第42話 クアドラ -7-
僕の目の前には首に矢が突き刺さったままの泥の人形がいた。
虚空を見上げていた瞳が、白目に変化し、銀色の髪も、色白の肌もすべてが汚物のような茶色に変化してゆく。
――これは! ゴーレム(土人形)!
そのゴーレムから伸びた茶色い腕は、僕の首の喉仏を両手の親指で押しこむように締め上げてきた。
喉の奥が、ヒュー、と鳴った。
息を吸い込むのが難しい。
――くそぉおおお!
ゴーレムとは、土を人間の形に変化させる特殊な土を操る上級魔法であった。
僕はそのゴーレムの茶色い親指を掴み、喉の奥にそれ以上喰い込ませないように抗っていた。
あらゆる混乱が渦を巻くように頭の中を駆けめぐる。
――おかしい。おかしいじゃないか。
すべてが不自然だった。
なぜクアドラは僕の追跡に気づいたのだろう?
どうしてこんな罠を用意することができたのだろう?
訳が分からなかった。
そして、このゴーレムのパワーは尋常ではなかった。
細身のゴーレムなのに、僕の何倍も力がある。
段々ゴーレムの指が僕の喉にめり込んでゆく。
苦しい。助けて、誰か……。
視界の端に戦槌を肩に担ぎ走るレディ・バルムントと抜刀するジーンが映った。
二人は一斉にクアドラへ向かってゆく。
クアドラはそれを微笑みながら見据えた。
レディ・バルムントは更に加速し、戦槌を振り上げる。
「やれぇええ! レディ!」僕は、蚊のようなかすれ声をあげた。
振り上げられた戦槌を見て、クアドラの表情が変わる。
バックステップで距離をとったクアドラに追いすがるように戦槌が振り下ろされた。
戦槌はクアドラの前髪をかするように空を切り、大地を叩く。
のけぞるようにそれを避けたクアドラの銀色の前髪がものすごい風圧で乱れ、板金鎧に全身を包んだレディ・バルムントの兜の奥の瞳が躍る。
振動が、少し離れた僕にまで伝わってきた。
後ろに飛んだクアドラの手のひらから炎が繰り出され、レディ・バルムントはそれに包まれる――が、レディの突進は終わらない。
戦槌を振り上げながら炎の中から現れたレディは、真上から真下に向かって戦槌を振り下ろした。
クアドラは転がりながら、寸前のところでそれを躱し、ねじまき村の大地がまた揺れた。
よし、と思った。
クアドラが二度も攻撃を避けた。
ジェイの剣を避けるまでもない、と思っていたであろうあのクアドラが、だ。
僕の喉仏にゴーレムの親指がめりこんでゆく。
視線を正面のゴーレムに戻す。
――くそ、まずこいつをどうにかしなければ。
僕はゴーレムの親指をこれ以上喉に喰い込ませないためにソーセージを握るようにゴーレムの親指を握り、全力でそれを首から離そうとしたが、僕の力をもってしても少しずつ敵の親指は僕の喉に喰い込み続けていた。
埒が明かない。
このままだと、どっちにしろ殺される!
僕は右手をゴーレムから放し、放り投げた剣を拾おうと手を伸ばす――が、その瞬間ゴーレムの左の親指が喉の奥に一気にめり込んでゆく。
「ガッ……」
気道が完全にしまり、息ができない。
目の奥が揺れ、顔が赤紫色に変色してゆく。
――負けるもんか!
僕は剣を拾い上げると、すぐさまゴーレムの両腕を切り裂き、弾けるように後ろに倒れ込んだ。
よし、と思ったのも束の間、切り離されたゴーレムの親指が尚も僕の首を締め上げてきた。
――!?
腕を切り離したのに、より一層首が締め上げられてゆく現実に僕の頭は混乱を極める。
手が震え、頭の奥が痺れ始め、目から涙がでてきた。
そうか。
こいつは人間のような生き物ではなく魔法なのだ。
腕を切り離しても、まったく問題ないのだ。
手は手で動き、体は体で行動するのだ。
ならば、どうやって倒せばいいんだ?
肘から先の無いゴーレムの本体が、むくりと起き上がり、こちらに向かってゆっくり一歩踏み出した。
完全に立場が逆転した。
ゴーレムは勝者のように僕を見下ろし、ゆっくりと近づいてきた。
しかし、片足が無いせいか、どこかバランスが悪く、ぎこちない。
僕は渾身の力を振り絞り、片足だけで立っている敵の足を引っかけた。
すると、ゴーレムは後ろにひっくり返り、後頭部をうちつけ、そのまま全身がねじまき水路の水流の中に消えていった。
僕の目が大きく見開かれた。
――水! そうか水か!
片足が無くなった時もそうだった。
こいつは水に弱いのだ。
僕は自分の体ごと水路の中に飛び込んだ。
すると、すぐに喉が圧迫される感覚が消え、土は水流に押し流されていった。
僕は、ねじまき水路からすぐさま顔を出すと、思い切り肺に空気を取り込んだ。咳が止まらず、背中が大きく上下する。
――クアドラは? クアドラはどうなった?
視線の先には、より一層激しくなった三人の戦いが繰り広げられていた。
レディ・バルムントが戦槌を振り下ろし、その隙を見計らいクアドラが攻撃しようとするのだが、ジーンがそれをさせまいと小刻みに剣を振る。
そのおかげで、レディは再び戦槌を振り上げ、そしてまた振り下ろすのだ。
即席コンビであったが、理論派のジーンとパワーを前面に押し出すレディ・バルムントのコンビは上手くかみ合っているようであった。
ジーンが戦槌の弱点を補うようにうまく立ち回っているのだ。
戦槌は、恐らくクアドラが鋼鉄化していたとしても唯一ダメージを与えられるかもしれない武器だが、あまりに重く、一回一回の攻撃の間に大きな隙が生まれる。
恐らく、ジーンはそれを瞬時に理解し、レディが振り上げる間だけ、剣を細かく振る。そして、クアドラが魔法を放つ気配を察知すると、盾を構え、レディを上手く守りながら戦槌の弱点を補っていたのだ。
――いける。いけるぞ!
僕もそこに加わろうと、地面に手をつき、水路から這い出たその時だった。
僕の瞳に口角の片方をあげるクアドラの笑みが飛び込んできた。
クアドラは優しい瞳でレディ・バルムントを見据えていた。
「わたし、勇敢な女性は好きよ。特にあなたみたいに勇気をもって立ち向かってくる女性が。でもね……、もう少し独りで戦えるようになるべきだわ。じゃないと足元をすくわれるわよ? こんな風にね」
クアドラはまずジーンに向けて手を前にかかげ、掌を開く。
魔法が飛んでくると読んだジーンは盾を構えるが、クアドラは不意をつくように鋼鉄の足で盾ごとジーンの体を蹴り飛ばした。
ジーンの体は宙を舞い、黒ずんだ廃材の中に消えた。
クアドラの動きは速かった。
レディが戦槌を振り上げると、這うように打ち出された光の輪がレディの足首に巻き付き、クアドラはそれを引っ張りあげる。
レディは後ろにひっくり返るように倒れ、背中と後頭部を激しく地面に打ち付け、戦槌を手から放してしまった。
僕はずぶぬれの体で駆けだしていた。
盾を構え、剣を振り上げ、叫びながら。
でも遅かった。
クアドラはレディの手首を踏むと、しゃがみ込み、仰向けに倒れるレディの兜の隙間に掌をぴったりとあて、炎を浴びせた。
「きゃあああああああああああああああ」
聞いたこともないようなレディの甲高い声が兜の中から聞こえ、板金鎧の隙間という隙間から炎が飛び出てきた。
肩と胸の間。膝の裏。首のつけねに……、そして肘からも。
やがて声は途絶え、板金鎧の隙間から煙が立ち昇る。
僕はしゃがみこむクアドラに渾身の一撃を叩き込むが、剣は跳ね返され、そしてつんのめるように地面に転がった。
クアドラは母のように優しく微笑むと、ゆっくりと立ち上がった。
あたりにはあの日のように、人の肉の焼ける臭いが漂っていた。
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