第43話 クアドラ -8-
「ジーン! 生きてるのか! 生きていたら返事しろ! ジーン!!」
僕は、素早く体を起こすと、廃材の中に突っ込んだジーンに向かって叫んだ。
「ふふふ、困った子ね」と正面のクアドラが微笑んだ。
足元には煙が所々から吹き出すレディ・バルムントが仰向けに倒れたままになっており、クアドラは視線を足元に落とす。
「さっき、この大きな子にも言ったのだけど、仲間をあてにした戦いをしてはいけないわユーリ。
たった独りきりで戦う用意をしなければ駄目なのよ。
戦いというものはそういうものなの。
集団で群れていれば安心感はあるわ。
なんとなく、仲間が守ってくれるような気分になるの。
でもね、戦いにそれを求めてはいけないわ。
戦いというのは常に生きるか死ぬかよ。
心に安心感を宿したまま戦えば必ず死ぬことになるわ。
だから独りきりで戦う覚悟が必要なの。
あなたにはそれがあったかしら? ユーリ」
クアドラは、すでに戦いの決着はついた、と言わんばかりに僕だけを見据え、ゆっくり、丁寧に、あの頃のように喋っていた。
黒の館で様々な雑談を楽しんだあの頃のように。
どうして……ここまで追い込まれているんだ……僕が……
人選は完璧なはずだった。
身軽で弓の名手であるジェイ。
屈強な体をもち、全身を板金鎧が包み込み、巨大な戦槌を振り回す女レディ・バルムント。
そして、僕のサポート役であるジーン。
ジーンは追跡の役に立つはずで、ジェイは不意打ちの役に立つはずで、レディ・バルムントは接近戦で役に立つはずだった。
事前の準備だって完璧だったはずだ。
色んな方面に頭を下げ、教会の能力をフルに使い、クアドラの情報がどこから入ってもいいようにミッドランド中に蜘蛛の巣のように情報網を張り巡らせた。
そして、そのあとの行動だって完璧だったはずだ。
クアドラの情報が耳に入ってきてから、素早く行動し、情報を分析し、追跡し、鷲の道か山道かを選び取り、そして僕は追いついたはずだ。
馬車だってねじまき村から大分離れた場所に止めたし、見つからないように山中に分け入り、わざわざ木々の深くなった場所を選んで走った。
そして、狙い通り無防備なクアドラを狙ったはずだった。
なのに……どうしてこんなことになっているんだ?
おかしい。おかしいじゃないか!
くそ! くそぉおお! くそぉたれぇええ!
僕は、剣を鞘に納めると、地面に転がるレディ・バルムントの戦槌を拾い上げ、それを構えた。
重かった。本当にそれは死ぬほど重かった。
こんなものを今までレディは使っていたのか、と思ったぐらいだった。
戦槌のヘッドの部分が異様に重く、振り上げた姿勢で構えようと思っても重心がぐらついて、体が後ろに倒れそうになるのだ。
そんな戦槌に翻弄される僕を見て、クアドラは鼻を鳴らして笑った。
「それで私を倒すつもりなの? ユーリ。嘘でしょう? 持っているだけで精一杯に見えるわよ」
僕は歯を食いしばり、顔を真っ赤にして、やっとレディのように戦槌を構えた。
その構えを維持するだけで体中の筋肉がよじれそうになった。
クアドラはそんな僕を見て、にこやかな表情をする。
「ユーリ、敢えて忠告させてもらうけど、たぶんそれを持ったままあなたが戦うことは不可能よ。それならたぶんあなたは盾を構え、剣を握った方がよほど強いと思うわ」
「黙れえええええええ!」と僕は叫んだ。
クアドラの表情は崩れない。
いくら騙そうしても無駄だ、と思った。
クアドラは鋼鉄化する。
360度、どこから攻撃しても剣ではダメージを与えられない。
そうである以上、このハンマーで攻撃するしか道はないのだ。
その時、視界の端に黒い廃材の中から頭を抑えながら出てきたジーンが見えた。
しぜんと口角があがる。
「こっちだジーン!」と叫ぶ僕に、ジーンは顔を向け、それからクアドラに盾を構えながら重い足取りで僕の傍にやってきた。
クアドラは興味を失ったおもちゃを見るようにジーンを見送り、特に何もしなかった。
恐らく彼をほとんど脅威に感じていないのだろう。
だが、僕にとってジーンが無事なことには大きな意味があった。
僕は小声で傍に来たジーンに話す。
「さきほどと同じようにサポートしてくれ。今度は僕がハンマーを振り下ろす」
ジーンは、一度深く頷いた。
「今度はヘマをするなよジーン!」
ジーンは、唇をつりあげるように笑った。
よし、戦える。戦えるぞ! まだ!
そして、クアドラは明らかに先ほどよりも全身に力が入っていなかった。
闘志が全く感じられないのだ。
でも、こんな時はチャンスであるはずだ。
僕が戦槌を振り下ろし、再び振り上げるまでの時間をジーンが稼いでくれれば、何とか戦う事だってできるはずだ。
「残念だったなクアドラ!」と僕は叫んだ。「僕はまだ独りきりじゃない。まだ戦えるんだ! 戦いはまだ終わっていない。2対1だからまだ僕の方が有利だ!」
数の優位をまだ強調するのか、と馬鹿にされそうだったが、事実そうだった。
この攻撃には補助が必要だった。
「2対1? ふふふ。そうね。確かに2対1ね」とクアドラはまた鼻を鳴らして笑った。「合っているわよユーリ。あなたは昔から本の数を数えて、元の場所に戻すことが得意だったから、きっと、数を数えるのも得意なはず。
流石ねユーリ。
確かに、私とあなたとそこの彼とで、私たちは2対1」
それはとても不思議な口ぶりだった。
いくら僕でもそのぐらいの計算はできる。
「ユーリ、いつでもお前の攻撃に合わせるぜ」と隣のジーンが言った。僕はうなずき、少しずつクアドラににじり寄ってゆく。
だが、クアドラの口調に僕はとてつもない違和感を覚えていた。
そして、クアドラの表情からも、違和感を覚えていた。
彼女のその顔はまるで出会った頃のような穏やかな表情をしていたからだ。
まるで、この場で戦いなど一切行われてないような、そんな顔……
僕は光に吸い寄せられる虫のように一歩ずつ彼女に近づいてゆく。
なにかおかしな気がした。
僕が迫っているのではなく、彼女に引き寄せられてゆくような……、そんな違和感。
唐突にある考えが頭をよぎる。
逆なのかもしれない……、と。
すべてが逆なら……この状況の説明がつくかもしれない……、と。
不意に、一筋の光が射しこみ、色んな物事が逆転してゆくように体中の皮膚が粟立ち、背筋に悪寒が走る。
もしも、すべてが仕組まれていたのだとしたら?
もしも、最初からすべてが仕組まれていたのだとしたら?
もしも、僕がクアドラを追いかけていたのではなく、クアドラが僕を追いかけさせていたのだとしたら?
もしも、僕が丹念に調べていたクアドラの資料も……、僕が探し当てたものではなく、クアドラが僕に与えたものだとしたら?
もしも、僕が助言を聞き、決断を下していたのではなく、助言が僕の思考を操っていたのだとしたら?
もしも、僕の行動のすべてが、僕が選んでいたのではなく、クアドラに選ばされていたものだとしたら?
もしも、2対1ではなく……1対2だとしたら?
その瞬間、脇腹が熱い、と感じた。
僕は顔面蒼白になり、背後を振り向く。
そこには無表情のジーンの顔があり、その手には剣が握られていた。
ジーンの剣は僕の脇に深々と刺し込まれていた。
僕は、膝から崩れ落ち、両手に持っていた戦槌は地面に転がった。
世界が回る。
すべてが回り、頭の奥がしびれてゆく。
その瞬間、思い出した。
彼は水が苦手であったことを。
彼は、朝の雑巾がけもせず、雨の日は決して訓練しない男であった。
そして、彼はいつも僕に寄り添い、僕の思考に影響を与えていた。
彼ならすべての書類を偽装することができ、何もかもを偽ることが可能であった。
「ゴーレムだったのか……ジーン」と僕が言い終わらないうちに、彼の無表情の目の奥が白目に変化してゆく。
その瞬間、光の輪が僕の首にまきついた。
「ねぇユーリ。確かに2対1だったでしょう?」とクアドラは満足そうに微笑むと、僕をゆっくりと引きずりはじめた。
彼女が一歩歩くたびに、ねじまき村の地面が土埃をたて、僕の体は引きずられてゆく。視線の先のジーンは、何も言わず僕から引き抜いた剣を鞘におさめた。
すべてが朦朧としていた。
脇腹から流れ出る血が地面に垂れ流されたままになっており、僕は薄れゆく意識の中で“終わった”と思った。
何もかもが、無駄だったのだ。何もかもが……
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