第41話 クアドラ -6-
何十という魔導士達と戦い、僕はあることに気づいた。
それは、クアドラという女性は実はかなり特殊な魔導士である、ということに気づいたのだ。
例えば、母さんの命を奪ったあの光の首輪。
僕は六年間でただの一度もあのような魔法を見たことがなかった。
そもそも光魔法自体が相当に珍しい魔法だった。
普通の魔導士では、手から光りを放出することすら困難だと、拷問の最中に聞いたことがあった。
それにあれだ。
あの全身が鋼鉄化する魔法。
あれも他では見たことがなかった。
通常、魔導士達は「防壁」と呼ばれる透明な魔法の盾を使う。
基本的には、これが彼らの防御方法のほとんど全てで、ゆえに魔導士たちは接近戦に弱かった。
魔導士を取り囲みさえすれば、360度に展開できない魔法の盾を攻略することは容易であるからだ。
異端審問官の装備の大半が近距離戦を重視した装備であるのもそういう理由であった。
魔導士は接近戦に弱い。
それが大半の異端審問官の魔導士に対する認識なのだ。
だが、クアドラは違う。
クアドラだけは別なのだ。
すばやく全身を鋼鉄化し、360度の攻撃を跳ね返すことのできるクアドラだけは、接近戦に関して、ほとんど無敵の能力を持つ魔導士なのだ。
つまり、なるべく僕は彼女と離れて戦いたかった。
そして、できることなら暗殺者のように、彼女の意識の外から不意打ちを仕掛け、戦いを有利に運びたかったのだ。
僕は、ジーンと巨体で目立ちやすいレディ・バルムントを残し、ジェイと共にクアドラの死角から村の中に降りていった。
僕とジェイは音をたてないように慎重に足を進める。
たぶんこれは僕が思い描いてきた中で、最も理想的なシュツエーションに近かった。
クアドラはこちらに気づかず、そしてこちらには弓の名手である正直者のジェイがいる。
僕とジェイの2人は黒ずんだ廃墟の裏に素早く身を隠し、隙間からクアドラを覗き見る。彼女は相変わらず何がそんなに不思議なのか、螺旋状の水路を見つめたままだった。
彼女と僕らの距離はおそらく15mから20mといったところだろう。
まだ、彼女はこちらにきづいていないようだった。
それに、背中が丸見えだった。僕は息を呑む。
――チャンスだ。
いくらクアドラといえども、死角から放たれた矢に気づけるわけがない。
だから、鋼鉄化される恐れもないはずだ。
矢羽が作り出す風切り音がその耳に届いた時には、すでに矢尻はクアドラの体に突き刺さっているはずだ。
銀色の髪が静かに揺れ、風になびき、クアドラの後頭部がハッキリと見えた。
今なのだ。
この機会を逃してはいけない。
僕の細胞のすべてが目の前のチャンスを逃すなと言っていた。
鼻から息を吸った僕は、一呼吸おき、ジェイを見据え、頷いた。
瞼だけで返事をしたジェイは雑草の尖端を軽く千切り、それを空中に放り投げた。
草の切れ端は風に乗り、東から西へと飛んでいった。
ジェイはこうしていつも風を読む。
ジェイの目つきが変わる。
音もなく矢筒から矢を取り出すと、顎をひき、矢を弦に引っ掛け、ゆっくりと引き絞る。
片目をつぶり、そしてもう片方の黒い瞳が、クアドラの背中を見つめていた。
そして、つがえた矢をジェイは静かに放した。
たぶん、それはほんの一瞬だった。
静寂と静寂の間に、一瞬だけ、僕らの悪意が紛れ込んだ。
空を走る鉄の矢尻は、冷徹な殺し屋と化し、矢羽は周りの空気を操り、悪意を隠す。
風を切り加速する矢は、唸るようにクアドラの首につきささり、銀色の髪が乱れ、黒いコートと共に彼女は膝から崩れ落ちた。
やった。やったぞ!
「どんなもんですかい!」とジェイは誇らしげに叫んだ。
「見事だジェイ!」と言い、僕は抜刀し、黒ずんだ村の建物を通り抜け、クアドラに駆け寄る。
そう、ここで殺してはならないのだ。
僕は彼女から聞く必要がある。
なぜ村のみんなを殺したのか、妹のフィーナは今生きているのか死んでいるのか、すべてを聞き出さなければならなかった。
「あぶないですよ隊長!」とジェイが声をあげるのを聞かず、僕はクアドラに駆け寄った。クアドラの体は地面にうつ伏せの恰好で倒れ、片足がねじまき水路の中の水流にさらされていた。
僕は彼女に剣を突きつけ「観念しろクアドラ!」と叫んだ。
クアドラの延髄のあたりから喉仏にかけて矢が突き刺さっていた。
僕はもう一度叫ぶ。
「もう終わりだクアドラ!」
その声だけが虚しく風に乗り、軽快な水流の音が余韻のようにあたりに響く。
反応がなかった。
彼女は声をあげることをせず、また体も微動だにしなかった。
もう一度声をあげようとするが、一瞬、空寒い風が僕の体に吹きつけた。
――え? まさか。死んだのか?
そんなわけはない、とすぐさま心の声を否定する。
クアドラはとてつもなく強い魔導士だ。
だからこの程度で死ぬわけがない。
そうだろう? と思い彼女を見るが、彼女はまだ動かなかった。
体の奥から震えがやってきた。
まだ何も聞いていなかった。クアドラの口から何も……。
ねじまき村の皆が殺された理由も、妹の行方も何も聞いていない。
このまま死んでもらっては困る。
そう、困るんだ! 何故この程度の攻撃で死んだ。
死なないでくれ。まだ聞きたいことがあるんだ!
僕は剣を放り投げ「しっかりしろクアドラ!」と叫び、両肩をつかみ、彼女を仰向けの体勢にした。
彼女の目は虚空を見上げ、口は半開きのままになっていた。
僕は必死に彼女の両肩をゆする。
きっと他の審問官にしてみれば、理解不能なことをやっている、と思われたに違いないが、僕はそんなことに構っていられなかった。
死なせるわけにはいかなかった。
絶対に彼女を死なせるわけには……。
だって、僕は聞いていないのだ。
肝心なことを。なんでみんなを殺したのに――
――なぜ僕だけを生かしたのか。
その時、視界の端にあるものが映り、僕は強烈な違和感を覚えた。
彼女の足だ。
それは彼女の肩を掴み仰向きにさせたことで分かった。
先ほどまでねじまき水路に浸かっていた片足が何故か綺麗に消失していたのだ。
本当にこちらが不思議に思えるほど、そこから切断されたように彼女の左足の足首から先が無かったのだ。
あれ? さっきまで、クアドラは立って歩いていなかっただろうか?
矢が狙ったのは、首であって足ではない。
それに血がでていないということは、元々左足の足首から先がなかったのだろうか?
いや、そんなことはない。
歩く姿も、立ち姿も、足を失った人間の歩き方とも思えなかった。
なんだこれは?
これは一体何が起きているんだ?
そんな時に僕は思い出した。
あの日のことを。
あの皆が殺された時、僕と父さんと母さんは窓から外を確認した。
そして、周りに誰もいないことを確認してから、僕らは家を飛び出した。
すると彼女は家の曲がり角のところに待ち構えていて……、絶望のどん底に叩き落されたのだ。
そう、元来、クアドラはそのような戦い方をする女なのだ。
まるで、相手が罠にかかるのをじっと待つような……、そんな戦い方を……
「ヒェッ」というジェイの声が後ろから聞こえたのはそんな時であった。
僕はクアドラの肩をもったまま振り返ると、そこには棒立ちになったまま大きく目を見開いたジェイがいた。
ジェイの目線は自分の首に注がれていた。
ジェイの首には光の首輪が巻き付き、その光の首輪から光る鎖がジェイのすぐ傍の黒ずんだ廃墟の中から伸びていた。
空気の隙間に入り込むように妖艶な声が僕の耳元に届いた。
「ユーリ、覚えているかしら? 昔、あなたへ忠告したことを」声はゆっくり耳に入り込む「私はあなたに言ったはずよ。もっと注意深くなければだめよ、って。注意が足りなければ災いが降りかかってくるものよ」
山の中腹にいた、ジーンとレディ・バルムントがこちらに向けて走ってくるのが見えた。
そして、ジェイの目線がゆっくりと、自分の首から伸びる光の鎖の先に注がれているのが分かった。
足音が聞こえた。
ゆっくり、ゆっくりと歩く足音。
この感覚だった。
このすべての絶望と未知を混ぜ合わせたような危険な感覚。
これが、僕のよく知るクアドラだった。
黒ずんだ廃墟から出てきたのは、僕がよく知る女性だった。
黒いローブを身にまとい、銀色の髪がよりいっそう光輝き、なによりその瞳が青く燃えていた。
「うぉらあああああああああああ!」と叫び声をあげながら抜刀し、剣を振りかぶったジェイがあの時の父さんの姿と重なった。
ジェイは渾身の力で剣をクアドラの頭の上へと振り落ろす。
すべてがスローモーションのように流れていた。
最初から最後まで知っている劇の結末を見るように、僕の瞳にあの日と同じ映像が繰り返された。
振り下ろされたジェイの剣はクアドラの頭に弾かれ、そして彼女は言うのだ。
「収縮」
首輪が収縮をはじめる。
ジェイの顔は青紫色となり、更に首輪はどんどん狭くなる。
ジェイと目があった。
まるであの日の母さんのように。
「隊長! 俺は――」
首筋から血が噴き出し、ジェイの首はあっけなく地面に転げ落ちた。
「ジェェェイ!」と叫んだ僕の首が絞められる。
前を向きなおすと、そこには、さきほどまでクアドラであったはずの泥のような人形がかろうじて人の形を保ち、その両腕で僕の首を絞めあげていた。
くそおおおおお! 僕はその両腕を掴むが、力がとてつもなく強く、引きはがせない。
本物のクアドラは、ほんの少しだけ顔をあげると、青い空をみて「本当にいい天気ねぇ」と言った。「さぁ、はじめましょうユーリ」
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