第37話 クアドラ ー2ー



 ラウルハーゲンを出立したメンバーは僕を含めると4人。


 僕の部下で無類の正直者ジェイと、

 腕利きの審問官レディ・バルムントと、

 そして友達で書庫の達人のジーンだ。


 僕らは馬を飛ばしに飛ばし、その日のうちにデュースパロウに到着した。

 懐かしかった。

 前にこの街を訪れたのは、もう6年も前のことになるのか……、と思った。


 この街に父さんの切った木や村の工芸品が置かれている話を聞いて育ってきたから、不思議な温かみをこの街には感じた。


 僕は頭を横に振り、私情を捨て、まずクアドラが泊まっていたという宿屋の主人に話を聞いた。


 すると、昨日の朝まで、彼女はたしかにデュースパロウの宿に居た、という裏付けがとれた。


 銀色の髪、色白の肌、そして青い瞳に黒いコート。

 そして、彼女を目撃した人にしか分からないような情報も主人は漏らした。


「えらい美人だったな。あれぐらいの美人はいやでも目立つものだよ。そういやアイスフォックスからこのローレンに来たって言ってたな」


 この言葉でようやく僕は今追いかけている女性がクアドラなのだと完全に確信した。僕の知る彼女も、とてつもない美人だったからだ。


 まぁいい、それはいい。

 問題はそこから先だった。


 この街を既に後にしたクアドラはどちらへ向かっていったのか、というのが問題だった。


 デュースパロウから別の場所に行くには道を通らなければならない。

 アーシャの中心地であるドンスターへと向かう鷲の道。

 そして、デュースパロウから、トキナル村とねじまき村に繋がる細い山道。


 常識的に考えるならば、鷲の道を通じてドンスターへ向かったと考えるのが自然であった。


 なぜなら鷲の道と、ねじまき村に通じる山道では人の往来にあまりにも差があったからだ。


 ほとんどの人はデュースパロウからドンスターへ往くものだし、ごく一部のもの好きとトキナル村の住民だけが細く険しい山道を上るのだ。





「なんでユーリさんはここに留まる決断を下したんすか? 意味がわかんないんですけど」針金のような体をもつ正直者ジェイがいきり立った。「だって、常識的にドンスターに行ったに決まってるでしょう?

 そうじゃねぇですかこれ。

 分かってると思いますけど、この二つの道じゃあまりにも人の往来に差がありすぎますよ。

 その女はアイスフォックスから来たんでしょう?

 ならドンスターへ向かうに決まってまさぁ。

 だってドンスターはアーシャの中心地ですよ?

 もう片方は何もないしけた山道ですよ?

 その奥にあるのはトキなんとか村っていうのと、何年か前に廃村になった村でしょう?

 誰がそんなところに行くっていうです! マジで意味わかんねぇ」



 そこは宿屋の一室で、僕をはじめとする異端審問官の4人はそこに集まってクアドラの行き先を話し合っていた。


 ジェイの大声に蝋燭の火が揺れた。

 すでに外は暗く、時折吹きつける風の音が低い音をたて、木の壁をきしませた。


 僕は立ち上がった正直者のジェイから視線を外し、レディ・バルムントに視線を送ると、レディ・バルムントは黙って目を伏せた。

 その動作はなめらかで、貴族の娘らしく礼儀作法が身についているような気がした。

 このレディ・バルムントと呼ばれる女は異端審問官の中でも異色のキャリアを持つ女性で、元々ローレン公に仕える子爵の娘だったそうだ。


 本人はいたって内気な性格だそうだが、崖から落下して事故にでもあったような崩れた顔と巨大な体をもって生まれてきてしまったおかげで、親から酷く憎まれ、蔑まれ、辛くなり、自ら出家してこの教会の信徒となった。


 ここで彼女はつつましやかな日々を送りたかったらしいのだが、教会はそうはさせてくれなかった。

 なにせ彼女の筋骨隆々とした体から繰り出される岩のようなパワーはすさまじく、並みの男であれば片手で払いのけるほどの怪力の持ち主だったからだ。

 おかげで彼女は異端審問官という職に就き、魚が水を得た如く躍動し、教会入りして約一年という短さにも関わらず、今では審問官の中でもっとも審問指揮に近い女と呼ばれていた。



「少し考えたい、とさっきから言っている」とため息交じりで僕が言うと、ジェイの勢いは更に激しくなった。

 きっと彼の正直さがそうさせているのだろう。


「冗談ですよねユーリさん? どっちの道を行ったかわからないなんて、1+1を分からない子供のようなもんですよ。

 誰だって分かる。

 ドンスターですよ。

 鷲の道を通りドンスターに行ったに決まってますよ。

 今回のことで俺は心底ユーリさんにがっかりしてます。

 他の無能な指揮官とは違うと思っていたけど訂正します。

 あなたもそれなりに無能なようだ。

 少なくとも追跡に関してはね。てんでなっちゃいない」


「なんだと?」


 その言葉に我慢がならず、僕は座っていた椅子から立ち上がるが、となりのジーンが僕らの間に割って入ってきた。


「二人とも必要以上に熱くならないほうがいい。

 とにかくこの部隊の指揮官はユーリだ。これからの行き先はユーリが決める。

 それが司教様の意向でもあるはずだ。それでよろしいなジェイ殿?」


 ジェイはむくれっつらのまま、そっぽを向きベッドにドサッと座り込んだ。

 ジーンは僕とジェイを引き離すように僕の背中を押し、部屋から僕を追い出し、廊下を挟んだ向いの部屋に僕を押し込んだ。


「何をするジーン!」

「ユーリもユーリだ。少し頭を冷やしたらどうだ」と言ったジーンは後ろ手で部屋の扉をしめた。「あの狂信者にわざわざ付き合う必要などない。違うかユーリ」


 二つあるベッドの片方に腰を落とすと僕は頭をかかえた。

 すると、大きなため息が口から漏れた。

 ジェイに悪気がないのは分かっているのだが、今回ばかりはさすがに殺意が湧いてきた。

 あいつを殺したいほど憎む人の気持ちが手に取るようにわかった。

 あいつは、きっと誰にでもあの正直さが止まらないのだろう。


「誰もあいつと組みたがらないわけだよ」と僕は鼻で笑った。


 僕の言葉を聞き、ジーンは声をあげずに、くすくすと笑った。

 でも、そのあとすぐに真剣な顔つきになり「でも、どうするユーリ」と尋ねてきた。


 僕は顎に手をあて、考える。

 そう、ジーンの言う通り、ここからどうするかが問題なのだ。

 彼女はアイスフォックスからこのローレンへやってきた。

 たぶんそれは間違いない。

 何の利害関係もない宿屋の主人にもらした情報が偽りということはないだろう。

 だから、きっと彼女は、アーシャへと向かうに違いない。


 二つの道はどちらもアーシャ地方につながる道だった。

 鷲の道を往きドンスターへと向かったか、山道を登っていったか、二つに一つしかなかった。


 僕は白いフードの脇からクアドラの資料を取り出した。


「おい、それ持ち出し禁止だぞ」とジーンが呆れ声で隣から言ったが、僕はそれを無視した。

 そんなことは分かっている。

 これを持ち出した罰ぐらい受けるつもりだった。


 クアドラが今まで発見された回数は今回のも含めれば全部で5回だ。

 僕は資料を見ておさらいをする。

 この資料から読み取れることは、彼女は修行所に出入りしているということだけ。

 でも、その修行所はもうミッドランドの南側にはない。

 もうどこにも。


 ならば彼女はこの地に何をしにきたというのだろう?

 僕は顎に手をあて考えるが、答えなど出るわけがなかった。

 心臓がドキドキしていた。

 僕の心臓は賢い。

 こいつはここに留まることのデメリットをよく心得ているようだった。


 クアドラが鷲の道を通りアーシャの中心地ドンスターへ向かい、もしも僕らが追い付くよりも前にドンスターの街に紛れ込んでしまったら、もう僕らに追跡は不可能だろう。


 そうなれば、また僕はラウルハーゲンでクアドラの情報を待つ時間を過ごさざるを得なくなる。

 老人のように、ただ待つ日々がはじまるのだ。



 もしそれで、永遠に見つからなかったらどうする?



 僕は頭を横に振った。

 そんなわけはない。そんなわけは……でも、とまた不安がよぎる。


 やはり、この機会を逃すわけにはいかないのだ。絶対に。

 僕は頭の中でシュミレートした。

 クアドラが昨日ドンスターへ向け旅立ったとしたら……、ドンスター手前で追いつくためには……、明日の昼頃までが決断を伸ばせるギリギリの時間だろう。

 たぶんそれ以上だといくら馬の脚をもってしても追いつくことなどできなくなるはずだ。


 だから、それまでに決断しなければならないのだ。

 鷲の道を往きドンスターへ向かうか、細い山道を登るか、を。

 カチカチ、という時計に針の音がどこからか聞こえた。

 時間は残酷に過ぎてゆく。

 まるでそこに抗うことなどできないように……、ゆっくりと。


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