第29話 奇跡と狂人 ー4ー



 ラウルハーゲンの広場には無数のかがり火があった。

 松明のパチパチ鳴る音が耳に入り込む。

 すでに三日月が顔をだし、あたりが暗くなり始めた頃だった。



 待てど暮らせど、クアドラが修行所に出入りした、という情報がラウルハーゲンの教会に届くことはなかった。


 ひと月が経ち、ふた月が経ち、そしていよいよ四か月目が経とうとしていた。



 僕は憂鬱だった。



 そして、毎月この日にやってくる“この行事”がより一層僕を憂鬱にさせた。

 もちろん僕は魔導士を殺すことなど何とも思わない。

 でも、この日だけは本当に嫌だった。


 ラウルハーゲンの広場の中央には頑丈な木の磔台と、その下には折り重なるようにして組まれた薪があった。

 すべて、この日のために用意されたものだった。

 広場の周りには実に沢山の人が集まってきていた。

 老人から子供、肌の黒い人から白い人まで、槍のように背の高い女から、常人の半分ほどの背丈の小人のような男に至るまで、とにかくあらゆる顔がそこにはあった。


 本当に、毎月この日だけはこのように人が集まるのだ。


 たぶん、皆怖いもの見たさで。






 神はようやく14日目に人をお造りになられた。

 聖書にはそう記されている。


 まず神は1日目に太陽をつくり、2日目に星々をつくり、3日目に空をつくり、4日目にこの大地をお造りになった。

 5日目には海をつくり、そして6日目には山をお造りになった。

 7日目が安息日と呼ばれるのは、この日、神ははじめて休んだからだ。

 そして大地には全てが満たされたのだ、と思ったのだ。


 だが神はここでようやくからっぽの大地に気づく。

 この大地にはその喜びを育み、愛しむ存在がいない、と。

 7日目が別名「迂闊な日」と呼ばれるのはその為である。


 8日目に神はこの大地に生い茂る雑草をお造りになられた。

 9日目は頑丈な木々をつくり、10日目は魚をつくり、11日目には山を走る獣らをつくり、そして12日目についに世界は完成したと神はお思いになられた。


 しかし、胸の奥には寂しげな気持ちが残られた。

 それは、神の声が聞こえ、その知を共有する存在が欠いているように思えたからだ。

 でも、その存在はひょっとしてその他のすべてをも脅かす存在であるかもしれない。知を欠いているからこそ、すべては手のひらに収まるというのに。



 13日目、神は迷われた。


 そして、神はようやく14日目に人をお造りになられた。



 神の声を聞く唯一の動物にして、神の声に反することのできる唯一の動物。

 ゆえに人は、常に神に従順であらねばならない。

 この世に数多ある欲に惑わされてはならない。

 偶像を崇拝してはならない。

 特に、神の声を聞かぬ、罪深き魔の者を放っておいてはならない。

 必ず浄化せよ。

 浄化こそが唯一の救いである。




 教会の教義の一つに“神炎”と呼ばれるものがある。

 これは炎によってすべてが清められる、という考え方である。

 だから、教会は神の教えをこう解釈する。


 罪深き魔の者を浄化するためには、炎によって清められるのが一番の方法だ、と。


 だからこそ、この日……毎月のこの14日目は陰鬱な気分にさせられるのだ。

 なぜなら、人がつくられたとされる日に罪深き魔の者を清めなければならないからだ。



 広場には鎖につながれた魔導士が黒ずくめのボロボロの恰好で引きずられてきた。

 教会の牢屋からここまで引きずられてきたのだ。

 そのボロボロの魔導士は髪と髭が長く伸びっぱなしになり、まるで何年も手入れされていないように見えた。


 僕は薪に火をつける係だった。

 この名誉な役は審問指揮がやらねばならないことの一つでもあった。


 でも本音を言えば、こんなことやりたくなかった。


 敵を倒すのはよい。

 でも、もうボロボロで抵抗の意志がない敵を炎で焼くなど……、僕は気が進まなかった。



 僕はパチパチ鳴り続ける松明を片手にもち、その男が磔台につながれてゆく様を見ていた。

 男は、特に抵抗らしき抵抗などせず虚ろな目をしていた。

 もう助からない、とでも思っているのだろうか?

 すると、両腕にしっかりと釘が打ち込まれたところで男は大笑いしはじめた。



「ひゃっはっはっはっはっはっはっはっは。

 お前らざまあないぜ。お前ら全員これから死ぬんだぞぉ? 怖いか? 怖いだろうぅ? ひゃっはっはっはっはっはっはっは」



 磔台に繋がれ頭がおかしくなる魔導士というのはよくいる。

 まぁ、この男の場合はこの磔台に繋がれるずっと以前から頭がおかしかったわけではあるが……。


 この男はラウルハーゲンではある種有名な男だった。


 彼は『狂人エウケソン』と呼ばれた男で、ある誇大妄想に取りつかれた男だった。


 彼は通りを歩く人々に対し、ずっと警告を発し続けた男だった。

 今は、魔導士と人間がいがみ合う時ではない。あと数年で世界は終わる。

 異形の怪物、によって世界は終わるのだ、と彼は言い続けた。


 それは教会の終末思想とも魔法学校側の思想とも相いれるものではなく、ほとんど彼一個人から飛び出した話だった。


 にもかかわらず、彼はそれを心から信じ、叫び続けたのだ。

 教会は長年ほとんど無害な彼を放っておいたが、彼の言っていることがあまりにもブレなかったために、市民の不安を取り除くという理由でこのような刑に処されることになったのだ。



 審問官が彼の罪状を読み上げる。


「汝、狂人エウケソンは、魔であることを恥とも思わず――」



 罪状が読み上げられる間、彼はずっと笑っていた。


「ひゃっはっはっはっはっはっはっはっは。

 分かった! 今、分かったぞ! 所詮時というものはどうあっても止められないのだ。すべては流れてゆくだけなのだ。

 止められる、と希望を抱いた俺が馬鹿だったのだ!

 お前を救うためにここに来たのに! お前らに殺されるだなんてな!

 愚かだ。

 お前たちは死ぬほど愚かだ!

 皆死ね! 死んでしまえ! ひゃっはっはっはっはっはっはっはっは。皆愚かなのだ!

 時は止まらない! 流れ続ける!

 お前たちが死ぬ運命はもう変えられない!

 皆死ぬのだ! 皆奴に食べられるのだ! 魔獣フェンリルに!

 ひゃっはっはっはっはっはっは、ヤツは人を食べれば食べるほど強くなる。だんだん巨大で強力になり、止められなくなる。

 ひゃっはっはっはっはは、赤い光が見えた時がお前たちの滅びの合図だ! 楽しみだぜ! 本当に楽しみだぜ!」



 いつまでたっても終わらないエウケソンの笑い声に審問官は眉をひそめ、そのあと、こちらを向き「これではきりがありません。ユーリ殿、ではお願いいたします。神炎を」と言った。



 僕は笑う狂人エウケソンの姿をみた。


 確かに彼は笑っているようだった。

 この世の全てを。

 そして本当にこの世の終わりがくることを知っているみたいにすべてを蔑んだ笑みを作るのだ。



 僕は松明を磔台の下で組まれた薪に近づける。

 薪に火がもえうつり、それが徐々に大きくなってゆく。



「ひゃっはっはっはっはっはっは! ひゃっはっはっはっはっはっは!!」



 彼はその体を炎で焼かれながらも笑い続けた。

 その蔑みの笑いをつづけた。


 僕はそれを見続け、聞き続けているうちに、意識がねじまき村に引き戻されていた。


 すべてが炎に燃えたあの場所に。


 クアドラの透き通るような白い肌と青い瞳が僕を見つめていた。


 そして、彼女はいつもたなびかせるのだ。


 あの恐ろしいほどに艶のある銀色の髪を。


 あの赤い炎に照らされ、紅く光る銀色の髪を。


 それは夢の中で炎の巻き起こす上昇気流によっていつも舞い上げられていた。



 僕は大きく息を吸い込んだ。

 あの女を殺さなければ僕は前に進めない。

 そして、あの女からなぜ村の皆を殺したのか聞かなかければ前には進めない。



 クアドラ、クアドラ、クアドラ、クアドラ!



 僕は何度もその名前を心の中で唱えた。

 狂人エウケソンが燃え続ける間、僕はずっとその名前をただひたすら心の中で唱え続けた。

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