第12話 予言の子 ー2ー



 私たちが王の道に辿り着いたのは、歩き始めてから3日目のことだった。

 それは今までのけもの道とはまるで違った道だった。


 かなりの数の雑草があちらこちらから飛び出してはきていたが、そこだけ木が不自然に消失し、砂利も敷き詰められており、道幅と呼ぶべきものがあった。


 6~7人が横に並んで歩いたとしても十分に通ることが出来そうな広い道がまっすぐ伸びていたのだ。


 だから私たちは、これは完全に人間の作り上げた道に違いない、と思った。

 問題は、果たしてこれが本当に王の道であるのだろうか、ということだった。

 きっと当時の人の作った道はこれ一つではないはずだ。

 たぶん、他にも道があるかもしれない。

 そうなったとき、一体どれが王の道であるのか判断するのはかなり難しかった。



「これは王の道よ。間違いないわ」とアシュリーが私に向かっていった。双子だからか、相変わらずアシュリーは私の考えていることが手に取るように分かるみたいだ。私は溜息をつき、尋ねた。


「どうしてそう思うのアシュリー」

「だって、見て、リリア。ほら、この道はずっとまっすぐ伸びているわ。地図と一緒」



 私は長く伸びる道の先を見た。

 確かにまっすぐ伸びているようだった。

 私はアシュリーをチラッと見た。彼女はいつものように自信満々な顔つきで地図と、その道を見比べていた。



 これはどちらにしろ彼女の言い分を呑まざるを得ないかもしれない、と思った。

 彼女は基本的に自信のあることについては絶対に引くことのない女性だった。

 自分が、正しいと思ったことについては梃子でも曲げないのだ。


 私は双子なので、顔つきをみただけでアシュリーが何を考えているのか分かる。


 私が色んなプランを提示しても、きっと無駄だ。

 恐らく、言葉を交わしても一ミリも変わらない彼女の考えを聞かされるだけで、議論が全く進まず、時間を浪費するだけだろう。


 もしも彼女が考えを変える時があるなら、それはまず、自分の信じた道が失敗した時だけなのだ。しかもそんな時、彼女は大概謝らない。

 ふとした瞬間に、また別の考えを私に話すだけなのだ。



「オーケイ。じゃあそうしましょう」と私がため息交じりで同意すると、またもアシュリーの顔が明るくなり、バックの中から出した本を私に渡してきた。本を渡された理由がよく分からなかったので思わず尋ねた。


「この本はなに? もっていろ、とでもいうの?」

「違うわよ。勉強よ、勉強。リリアはフェンリルについてあまり勉強してないんでしょう? だからこの本に書いてあることをまずはマスターしなさい」



 なんだろう、と思い、本を開くと、ページ一杯に不思議な記号や模様が敷き詰められていた。訳が分からず本を閉じそのタイトルを見ると、古代アッカルク語について、と書かれていた。



「これはなに?」と聞くと、アシュリーは笑顔で「古代アッカルク語辞典よ」と言った。「ほら、フェンリルは古代アッカルク人の作り上げた召喚獣カルニバルであるかもしれないって話をしたじゃない。これを知っていれば、ヤツを封印するときに役にたつかもよ!」



 私は、大きなため息をついた。

 アシュリーはどこかの誰かのとなえた説を頭から信じ込んでいるようだった。

 そりゃあそう思いたい気持ちは分かるけど、そんなに簡単に分かることならば、どうしてここまでフェンリルが封印されなかったのか説明がつかない気がしたし、あまりにも短絡的であると思った。


 次にこのような細々としたことを私に求めるということは、つまり、雑務を私に押し付けたいのだな、とも思った。

 知らない文字を解読するような気の長い作業など、余程やりたくなかったのだろう。



「ほら、行くわよリリア」



 そういったアシュリーはまっすぐ伸びた砂利道を元気よく進んでゆく。

 私もそれについてゆく。

 足の裏の感触が少し変わり、私はそこに文明を感じた。


 それから私たちは今まで背にしてきた山々を視界の左側に移し、その道をひたすらまっすぐ歩いた。つまり、地図の中の下側に向かって歩いたのだ。


 視界に映る左側の山々は途中から茶色のごつごつした切り立った崖に視界を遮られ見えなくなり、道路の右側は丈の短い草から徐々に雑木林へと変わっていった。

 アリスの丘と呼ばれる起伏のある丘を越えたところで丘は長く緩やかな下り坂に変わり、太陽の光が目に入ってきた。


 正直に言えば太陽に背を向けて歩きたかった。

 太陽を見つめると、目がおかしくなるからだ。

 すべての色が緑色に見えるようになるというか……、目が痛くなるのだ。それにどういうわけか、太陽の光がずっと肌に当たり続けると、肌が赤くなり、ヒリヒリする。


 私たちはそれでも、王の道を歩いて、歩いて、歩き続けた。



 山々から登ってきた太陽が私たちの上を通りこし、やがて地平線の彼方に沈みかけた時、雑木林が開け、私たちの右手に小さくそれは映った。




 それは一目で人が作ったものと分かった。



 たぶんこれが“街”なのだろう。


 石を積み上げた壁のようなものが街を囲むようにぐるりと取り囲んでおり、その中には人が作ったとしか思えない色々なものが点のように見えていた。



 私とアシュリーは別に言葉を交わしたわけでもないのに、自然とそこに足が向いた。たぶん、文明の息吹が私たちを引き寄せたのかもしれない。


 近くまで来ると、街を取り囲んでいた壁の石は私たちの背丈ぐらいの高さまで積み上げられているのがわかった。

 生まれて初めて見るそれは、なかなかに威圧感があった。

 だが、威圧感以上に疑問が湧き上がる。



 どうしてあの石が崩れずに立ったままの状態でいるのだろう?

 私はその壁を少し押してみたのだがビクともしなかった。

 炎の魔法で石同士を溶かしてくっつけているのだろうか?

 石を溶かすほどの魔法など、どれほど魔力を集中させればいいのだろうか。



 するとこの積み上げられた石を見つめているうちに新たな疑問が湧き上がる。

 これは一体どのような目的で作られたものなのだろう?

 この壁を乗り越え、運動不足を解消するために作られたのだろうか?

 それとも、この石を積み上げると、何か名誉なことでもあったのだろうか。

 あ、分かった。

 ひょっとして風を遮るためだろうか?

 そうだ。そうに違いない。

 地上に出てきて驚いたことの一つに風が思ったよりも強い、ということがあった。 長時間風にさらされると体が冷え切り、手や足先がかじかむのだ。

 そこだけは地下での生活が勝っていた部分かもしれない。

 だからこの壁はたぶん風を遮るために作られたのだと思った。



「よくこんなものを考え付いたものね」



 見上げると、街に入るための簡素な門に街の名称が書かれていた。



 ラウルハーゲン。



 地図に目を落とすと、たしかに小さな文字で王の道の通り沿いにラウルハーゲンと書かれている箇所を見つけることができた。

 私は、ゆっくりとした足取りでその門を潜り抜けると、途中で足裏の感触が変わったことに気づいた。


 下を見ると、地面には均一の形の平べったい石が沢山埋まっていた。

 これはなんであろうか?

 すると頭に数日前の本の記述が蘇る。



 これか? ひょっとして、これが石畳と呼ばれるものなのか?


 都市や街の地面には石畳と呼ばれるものが当然のように敷き詰められている描写が本には数多くあった。

 私はそのイメージがつかめなかったが、実際に触れてみてすぐにわかった。

 きっとこれ以外にはないだろう。

 たぶん、これが石畳なのだ。

 昔の人々は石をこのようにも使うのか、と思った。

 切断魔法は骨が折れる。

 きっとこの石たちをこれほど均一に切りそろえた人々はかなりの魔法の腕をもっていたに違いない。



 感嘆の声をあげながら私は顔をあげた。

 次に目に入ってきたのは、見慣れぬ沢山の建物だった。


 私は目を丸くさせながらその一つに近づいてゆき、確かめるように触った。

 ざらざらしていた。思ったよりも冷たくなく、石ではない別の何かで作られているのだとすぐにわかった。


 適度に弾力があるこれは、たぶん木だろう。木を伐り、削り、そしてそれを組み立ててこれを作り上げたのだろう。


 見上げると、建物の上の部分には枯れた長い草の束のようなものがいくつも縛り付けられており、何段にも分けてそこに固定されているようだった。

 これは何だろう、と思った。

 昔の人々の作るものは実に面白い。



「みて、リリア。ドアよ」



 アシュリーの声がした方に顔を向けると、建物のちょうど中ごろにお婆の部屋にあったような“ドア”が取りつけられているのが見えた。

 私は早歩きでアシュリーのところへいくと、迷わずそのドアを引いた。

 ドアはキィー、と音をたて、だらしない口のように開かれた。



 中には見覚えのあるものが無造作に木の床の上に散らばっていた。

 靴に、お皿に、ナイフやフォーク。

 動物の毛皮らしきものまで床に敷かれていた。

 ハウスには食器が少ししかなかったので、慎重に使いまわしていた記憶が蘇る。



 ドアがあり、食器があるということは……、ここは人が暮らしていたところなのだ。

 つまり、これは地上に住んでいた人々のハウスなのだ。

 たぶん、これがあの本に書かれていた“家”というものなのだろう。

 フェンリルが地上に出現する前は、人はこんなところで暮らしていたのだ。


 私は踵を返し、外に出た。


 すると、無数の家々が目に飛び込んできた。

 本当に、このすべてに人が住んでいたのであろうか?

 と思えるほど、そこには沢山の家が立ち並んでいた。



 沢山の人々の歩き回る姿が目に浮かぶようだった。

 人が行き交い、食料に溢れ、皆きっとこの街で愛を育んできたのだ。

 すると、胸の奥からある想いがせりあがってきた。



 おかしい、という想いだ。

 こんなにも大きな街が目の前にあるのに……、

 こんなにもこの場所は文明に溢れているのに、

 その文明の主だけがこの場にいないのだ。


 聞こえる音は、カラスの鳴く声や、風のささやきだけで、他の音がしなかった。

 本に書いてあるように荷馬車が行き交う音も、物売りをする女の声も、喧嘩で怒鳴り合う声もなかった。



 皆どこにいってしまったのだろう。

 こんなにも沢山の家や豪華な家具や食器を残して、本当にどこにいってしまったのだろう?


 もうすっかり日は落ち、あたりは暗くなり、月が顔をだしていた。

 月は大きな丸い形をしており、地下よりもずっと明るかった。

 私は虚しい気持ちを抱えながら地図を広げ、月明かりで魔法学校までの距離を確認する。


 今まで歩いてきた道のりを考えると、たぶん、明日か明後日には着くだろう。

 そんなことを思いながらボォーっと顔をあげた。



 最初はわからなかった。

 しかし、どこかが不自然だった。

 自分の視界の中にある映像のどこかが奇妙だったのだ。

 数秒後、その違和感に気づいた。



 光が見えたのだ。

 それも正面に見えた。

 この街の遠くで何かが光ったように見えたのだ。


 私は色んな新しいものを見過ぎておかしくなったのだろうか、と思い、目を細め、それをじっと見た。


 やはり、この街の奥の方で何かが光っていた。



――光……、光?



 あれはなんなのだろう。

 緊張で息が止まりそうになった。



「ねぇアシュリー、あれはなんだと思う?」



 私の後ろにいたアシュリーの目つきが急に鋭くなり、そちらを睨んだ。



「わからない」とアシュリーは言った。


 背筋を悪寒が駆け抜ける。

 アシュリーの顔つきを見ても分かる。

 私もアシュリーも、アレを想像していた。


 魔獣フェンリルを。


 でも、魔獣フェンリルにしてはおかしい。


 やつは大きいはずだ。

 それこそ、とてつもなく大きい、と本に書いてあったはずだ。

 ならば、この月明かりのなか何故その姿が見えないのか、とまず思った。

 もし仮にそれがアシュリーの言う小さい子供のフェンリルである、というのなら私たちにも少しぐらいは勝ち目があるかもしれない。



「行って確かめてみましょう」とアシュリーは言った。「あくまでも私の勘だけど、なんだか違う気がするの」

「違うってどういうこと?」

「きっとフェンリルではない」そう言い残すと、アシュリーはステップでも踏むように道の真ん中を軽やかに歩き始めた。それはあまりに無防備で、自殺志願者ではないかと思えるほどに堂々とした姿だった。

 夜のラウルハーゲンにアシュリーの足音が響く。

 コツコツコツ、とそれは鳴った。


 私は動けなかった。

 それこそ天敵の前で固まった動物のように動かなった。


「はやく、こっちに来なさいよリリア」とアシュリーは振り返り声をあげた。


 私は長い間止めていた息を口から吸い上げると、アシュリーに続いた。

 冷汗が流れ、知らないうちに魔力を右手の指先に溜めている自分に気づいた。

 もしもフェンリルなら一撃だけでもくれて死んでやる、と思った。

 すると、その右手をアシュリーが優しく包む。


「大丈夫よリリア。たぶん、フェンリルではないわ」


 光が見えた。

 そして、その光が微妙に揺れているような気がした。


「どうしてそう思うのアシュリー」

「本を読んで私はあることに気づいたの。たぶんヤツはものすごく遠くから私たちを見つけることができる。恐らくそういう能力を持っている。となると、同じ街にいるのに攻撃してこないなんて変でしょう? リリアはそう思わない?」


 たしかに、そう言われてみればそうかもしれない。

 でも、なら、あの光はなんだというのか。

 光が強くなってくる。

 段々その光に近づいてゆくにつれ、逆に私の頭に巨大な疑問符が垂れ下がってきた。



――フェンリルではない、というのなら一体この光はなんなのだろう?



 私とアシュリーは手をつなぎながら歩いた。

 歩いて、歩いて、歩いて、やっと私たちはそこに辿り着いた。

 それはこのラウルハーゲンの奥にある、周りの建物に比べるとやや小さな家だった。光はその建物の窓から漏れていた。



 私は無言で取手を引き、ドアをあけた。

 ギィー、という重い音が辺りに響き、光が私たちの目に突き刺さった。

 目の前には一人の老人が座っていた。

 老人はこちらを見て驚きもせずに言った。



「このラウルハーゲンにようこそ。予言の子よ」


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