第13話 予言の子 ー3ー
雑木林から忍び寄ってきた霧がほんのひととき街を包み込んだが、東の山々の尾根から太陽が顔を出す頃になると、いたずら小僧のようにどこかに消えていってしまった。
私は街を取り囲む壁の上に座り、足をだらんとさせながら、その全てが移ろう様を眺めていた。吹きすさぶ風に銀色の髪がなびく。
すべてが美しかった。
山の上から覗き込む太陽も、
それに照らされる色とりどりの大地も、
幻想的な霧も、この風も、
なにもかもが魔法のように思えた。
「おはようリリア」というアシュリーの声が後ろから聞こえた。だから私は後ろを見ずに答えた。
「おはようアシュリー」
アシュリーはひょいと壁をのぼると、隣に座り、私の肩にもたれかかってきた。
「リリアは相変わらず“朝”が好きなのね」
私は苦笑いをしながら答えた。
「ええ、だって自分で明るくしないのに勝手に明るくなるなんて素敵でしょう? そういう朝の光を浴びると、いつも途方もない奇跡をみているような気分になるの」
「そうねぇ。……そうかもしれない」それ以上アシュリーは何も答えようとしなかった。
私たちはただ黙って揺れる稲穂や草木を眺めていた。
私は双子だからアシュリーが何故黙っているのかよく分かっていた。
あの老人だ。
すべてはあの老人の口から漏れた言葉のせいなのだ。
あの老人の名はゴードンと言った。
いや、そうじゃない。
名前なんてどうでもいい。
とにかく私たちは私たち以外に地上に人が居たことに驚いた。
だから矢継ぎ早に質問したのだ。
それこそ思いつく限りの疑問をぶつけたと思う。
私たちはついこの間地下から出てきたところだが、あなたも今地下から出てきたところなのか?
そうじゃないなら何故生きたままここにいるのだ?
もしも、ずっとここに居たとしたらフェンリルは何故あなたを襲わないのか?
どうなの? 答えてちょうだい。
そう、たしかこんなことを間髪入れずに質問したのだ。
すると老人はそのどの質問にも答えずおかしな言葉をつぶやきはじめたのだ。
「ラズロ、おかしいじゃないか、何故二人なのだ? ゾビグラネ様はそんなことを言っていたか? 予言の子が二人など、そんな話はされていなかった。なぁラズロ、どう思う?」
ラズロ? 他にも誰かいるのだろうか、と思い私はあたりを見回したが、誰もいなかった。老人はただ一人でずっとラズロと呼ばれる人物と会話をしているようだった。最初は独り言かと思っていたのだが、たしかに老人はラズロから頻繁に話しかけられている様子だった。
「違うラズロ。そんなことを言うな。この少女はどう見てもゾビグラネ様の言った予言の子じゃ。そうじゃろう? 銀色の髪。透き通るような白い肌。美しい顔立ち。そしてなによりワシが老人になってから目の前に現れた。すべて予言の通りじゃ。二人だから違うかもしれんとは、よく言ったものじゃ! いくらお前でも許さんぞラズロ!」
私とアシュリーは互いに目配せした。
この老人は頭がどうかしてしまっている。
居もしない人物と長い間しゃべり続けるなど、とても正気ではない。
いや、それとも人は長い間独りでいるとこんな風になってしまうのであろうか?
「ねぇ、もう一度尋ねるわ」とアシュリーは座る老人に顔を近づけ言った。「どうしてあなたはここで生活してるの? 最近地下から出てきたばかりなの? それともずっとここで生活しているの?」
老人は何も答えなかった。
果たして聞こえているのかいないのかさえ分からなかった。
アシュリーのいらつきが手に取るようにわかった。
「ねぇアシュリー」
「いいこと、もう一度だけ尋ねるわ」と言って私の声を無視したアシュリーは右手の人差し指に魔力を溜め、それをゴードンに向けた。「次何も答えなければ、あなたの耳の片方をいただくわ。それが嫌なら答えるのよ」
「それは駄目よアシュリー!」
「黙りなさいリリア。分からない? このジジイは、私たちにとって貴重な情報源なの。絶対に答えてもらうわ。頭がおかしくなったとしても、たとえこの爺さんが死んだとしてもね。彼がここで生活していることの意味をリリアなら分かるでしょう?」
意味……、意味? 頭が回転する。
そうだ。この状況がそもそもおかしいのだ。
この老人がここでずっと生きながらえているということは……
つまり、魔獣フェンリルの脅威が去ったのだ。
そうじゃなければこの爺さんが生きていることの方がおかしい。
彼が生きているということは、ある時期からフェンリルはこの地上からいなくなったことを指していた。
「だから答えてもらうわ。もしも、本当にフェンリルがいなくなったのなら、私たちの旅はここで終わり。ここから引き返して皆と一緒に地上で暮らすことができるもの。そうでしょう? 違うかしらリリア」
――そのとおりだ。
「さあジジイ答えるのよ。お前はいつからここで生活しているの? 本当にフェンリルは死んだの?」
老人は奇妙にひきつった笑みを浮かべ、あさっての方向を見た。
「ラズロ。予言の子はフェンリルが死んだと思っているのか?
なんと愚かな考え方をする少女なのじゃ。
本当にゾビグラネ様はこの子を欲しているのじゃろうか?
フェンリルは死になどせん。
フェンリルは永遠に生きながらえる生き物じゃ。
成長し、成長し、成長し続ける。
それがフェンリルなのに。この小娘らは何も知りはせん。
ワシは長らくゾビグラネ様に仕えてきたが今日ほどあの御仁が分からなくなった日はない。
このような未熟な少女を“送れ”とは意味が分からん。
そうじゃろうラズロ。この少女が一体どんな助けになるというのか。
ならば今まで“送ってきた人々”はどうなったというのか?
ワシが勝手なことをしたから師は怒ったのであろうか……。
ワシはただ師の予言の通りにしただけなのに……」
私たちにはこの老人が何を言っているのか分からなかった。
ただ、かろうじて分かった部分があったとするなら『フェンリルは永遠に生きながらえる生き物』である、という部分であった。
眉間にしわのよったアシュリーは指の先に炎を着火させ、それを老人のほっぺたに押し付けた。老人の悲鳴が夜のラウルハーゲンに響き渡る。
「アシュリー!」と叫び、私はアシュリーの頭をつかんだ。「拷問みたいなマネはやめるべきだわ!」
「何を言ってるのリリア。あなたこそ正気なの?」
アシュリーは立ちあがり、私の腕を振りほどき、睨みつけてきた。
「リリア……、あなたには残酷さが足りない。
私たちには目的があるはずよ。そこに辿り着くためには何だってするべきだわ。あなたは手段を選ぶべきだと思っているけど、そんな精神なんてかなぐり捨てるべきよ。
もっと冷酷で合理的になるべきだわ。
私たちはもう地下になんて戻れない。
お婆が許すとか許さないとか、そういう話じゃないわ。
私たちはもう地上を知ってしまったの。
そうでしょうリリア。だからこそもう地下になんて戻れないの。戻りたくなんてないわ。それに、戻るべきでもないわ。
私たちはこの地上で暮らすべき生き物なの。みんなね。
だから、地下で暮らす屈辱にまみれた生活に終止符をうつために私たちはここにいるの。そうでしょう? そのためにはあなたにはもっと冷酷になってもらわなければ困るの!」
私は言い返すことができなかった。
心のどこかで彼女の言ってることが正論だと思ってしまったからだ。
私たちは、何百万、何千万という犠牲を払いながらも奴を倒すことができなかった。だからこそ、猶更手段を選ぶべきではないのだ。
そのことは頭では分かっていた。分かっていたのだが……
「このジジイから情報を引き出せるだけ引き出すわ。それから魔法学校に向かう。いいわねリリア!!」と顔を真っ赤にさせながらアシュリーは叫んだ。
すると、突然ゴードンが笑い始めた。
それは、狂人のような、妙に甲高い笑い声だった。
私とアシュリーはそれを見て思わず固まった。
「キャヒャーッハッハハハハハハハハ。この小娘は何も知らんようじゃのラズロ。魔法学校? 魔法学校などとっくの昔にのうなっとるわい。
ワシが若い頃に灰になってしもうたのに、何を言ってるんじゃこやつらは。
ヒャーッハッハハハハハハハハ。
あそこにはもう何もありはせん! あるのは何もかも焼け落ち、灰になり、魔法の書物の何もかもがなくなったただの廃墟じゃあ!
ヒャーッハッハハハハハハハハ」
「嘘をつけ!」とアシュリーは叫び老人に馬乗りになり、老人に本を見せた「この著者であるG・レラルフルはこの書にて書いている。あらゆる魔法の知識が眠る魔法学校に滅びなどこないと、魔法学校は唯一無二の存在で残すべき遺産である、と。だから魔法学校は――」
「未来永劫、どんな形であれ残る……。それこそが人類の責務であり、義務である」と老人はアシュリーの言葉を遮るように言った。
私もその本を読んでいたから分かる。
それは、その本の著者のセリフだった。
「あの時は、本気でそう思っとったんじゃよ。
あれほど価値のあるものが滅びるわけがない、とG・レラルフルはそう思っておったんじゃ。
なぁラズロ。
ワシはゾビグラネ様にそう言ったはずじゃ。
そして、その問いにゾビグラネ様もうなずいた。
そうじゃろう? なのに呆気なく滅びた……本当に呆気なく……」
アシュリーは老人から離れ、一歩ずつ後ろに下がってゆく。
私も食い入るような目つきで老人を見た。
老人の目がハッキリと定まり、私たちを見た。
「G・レラルフルのGはゴードンと呼ぶのじゃ。ゴードン・レラルフル。それがワシの名じゃ」
頭の奥が揺れた。
すべての歯車が狂ってゆく。
魔法学校はもうない? 魔法学校がもうない!?
そこに眠ると言われていた大量の魔法の知識も、何もかもがもうないというの?
希望が指の隙間からこぼれ落ち、混乱が渦を巻くように頭の中に広がってゆくのを感じた。
対フェンリル用の魔法を探し出せるかもしれないという希望があるからこそ旅立ったというのに……、それが唯一の勝算だったというのに……
大粒の汗が額からこぼれ落ちてゆく。目の前がぐらつき、世界が回り、蝋燭の灯りが私たちの心の内側を映し出すように不気味に揺れた。
もうなくなっていたのだ。
私たちが目指すべきものなど、もうとっくの間に……
私たちはこの夜、はじめて止まっていた時計の針が残酷にまわりだしたことを知ったのだった。
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