第7話 ある村での出来事 ー3ー







 カツゥーン、という甲高い音があたりに鳴り響く。

 これは良い音だ。父さんが木を切ると大抵こういう音がでる。

「ほら、ユーリ。休むな」と父さんは僕の方をちらりと見て声をかけてきた。

 僕は父さんの丸太のような太い腕を見て溜息をもらした。きっと、あんな腕だから、あれほどよい音がでるのだろう。


 僕の目の前には切りかけの木があった。

 父さんが切っている木と違い、それほど太くもない木だ。

 僕が斧で木を切った部分は白いところがむき出しになっていて、そのまわりを茶色いごつごつとした木肌が覆っていた。

 僕が斧を振るたびに、たしかに木は少しずつ削れてゆくのだが、本当にほんの少しずつしか進まないため、終わりのない作業を永遠とやっているような気持になっていた。



 カツゥーン、という甲高い音がまた隣で鳴った。

 少し離れた父さんの切っている木に目を移した。

 父さんが一回斧をふるたびに、木が切れてゆくのがハッキリと分かる。

 木肌が一瞬にして吹き飛び、斧の刃が木の幹に喰い込むのだ。

 父さんは腕を折りたたみ、斧を木から抜くと、もういちど斧を振った。

 また甲高い音が響く。

 おそらく、あと7~8回程度斧を振ったら木は倒れるに違いない。

 そう僕に確信させるほどに父さんの木の切り方は上手かった。

 父さんの木の切り口がやけに白く見えた。

 すると、不意にクアドラのあの白い肌を思い出した。

 透き通るような白い肌。柔らかそうで触れてみたかった。

 でも、触れたらクアドラは怒るだろうか? それとも僕を子供だと思って許してくれるだろうか?



 すると、父さんはまるで僕の心の声が聞こえていたかのように僕をさとす。



「ユーリ。いいか、集中することが大切だ。何か違うことを考えたままだと、木なんて上手く切れるようなものではない」



 僕は「はい」と言うと、頭に焼き付いたクアドラの幻影を無理に父さんの言葉で埋めた。

 頭の中のクアドラがゆがみ始める。

 ため息をつきたくなった。

 僕はいつからこんな妄想をする男になったのだろう。

 本当に情けない。情けないぞ、ユーリ。


 僕は、一度深呼吸をすると、斧を大きく振りかぶり、そしてクアドラへの思いを振り切るように木に打ち込んだ。

 すると、鈍い音がして、手がしびれた。

 切り方を間違えてしまったようだ。

 こんどはクアドラの面影を振り払うことに集中し過ぎて、肝心の木をどう切るか、という考えが抜け落ちてしまった。



『もっと注意深くなければだめよ。注意が足りなければ、災いがその身に降りかかってくるものよ』



 たしかクアドラにもそんなことを言われたことがあったな、と思った。

 僕は思わずため息をつき、自分の茶色のウェーブのかかった髪をねじる。

 もう少し器用でかっこいい男になりたかった。

 すると、またカツゥーンという音が聞こえた。

 今度は遠くから。

 大方キャルの親父さんの音だろう。

 ねじまき村では村単位で木の売買がされ、その金が仲間内で分配されるようになっていた。だから、誰がどの程度の量の木を切るのか、どの区域を切るのか、というのが重要視されていた。


 父さんは村で一番の木こりだったから、一番多くの木が生えそろう区域を任されていたし、当然のように皆よりも多くの木を切っていた。


 僕はそんな当たり前のように皆に頼りにされる父さんを誇りに感じていた。


「ユーリ、危ないぞ」と言い、父さんが手招きした。

 だから僕は斧を持ったまま父さんの後ろに隠れる。

 きっと、木を倒すところなのだろう。



 父さんは僕が自分の後ろに隠れたことを確認すると、激しく何度も木を叩く。

 斧から放たれた音が大きくなり、やがて大きな木は、ギィー、と斜面に向かって倒れていった。


 僕の切りかけの木が、倒れた木の隣で虚しく立ち尽くしていた。だから僕はまた自分の仕事に戻った。辺りが暗くなりかけた頃、ようやく僕の木が倒れた。

 気づくと近くに父さんがいた。



「そろそろあがるか」と父さんは言った。

 だから「はい」と僕は答えた。すると、そこに陽気な声が割り込んできた。


「よぉダイン! そしてダインの息子ユーリよ!」と言いながら駆け寄ってきた酷く顎の角張ったベンおじさんが僕の頭を撫でてきた。キャルの親父さんのベンおじさんはとても陽気な人で、ねじまき村のムードメーカーみたいな人だった。


「そろそろあがりだろダイン。どうだ? このあと一杯やらねぇか?」

「今日はやめとくよベン。この間一緒に飲み過ぎてお前の女房に文句を言われただろ? 俺はこれ以上嫌われたくないぞ」

「ふははは。そりゃあ災難だったな」とベンおじさんは笑った。「ありゃ、そういえばユーリは今日が古書館の日じゃなかったのか」


 古書館というのは黒の館のことだ。

 大人たちは黒の館のことをそう呼んでいた。


「はい」と僕は答えた。「僕の担当の日は明日と明後日です。今日は、たしかキャルでした」

「うちの娘かぁ、あいつは不器用だからな。イライラして本を引きちぎらないかいつも心配だぜ。前に一度やったことがあるからな。あはははは」


 その言葉を聞き、父さんは「元気があることはいいことじゃないか」と笑ったが、僕は笑えなかった。

 だって想像してみてほしい。

 皆が傷一つつけないように大切に保管している本が、ある日とんでもない野生児にバラバラにされる様を。

 たしか僕は当時理由を聞いたのだ。どうしてこんなに本をバラバラにしたのか、と。すると驚きの答えが返ってきたことを今でも覚えている。



『なんとなく。むしゃくしゃしてたの』



 僕は未だにあの言葉を超える衝撃に出会ったことがない。

 彼女の名前はキャロラインという貴族のような名前がついているが、中身は野生児そのものだった。僕ら三人はしゃべりながら山を下りていった。


「そういや今度の修行者さんはえらいべっぴんさんだって話だな」とベンおじさんが言った。「キャルが何度も言うんだよ。ああいう顔になりたいってな。どうして私をああいう風に生んでくれなかったのか、って泣くんだ。そりゃあ無理ってもんだ。子は親に似るもんだ。それに自分の肌が黒いのも気になるって、私も白くなりたいって……。もうどうしろって言うんだよ」



 僕は少しキャルのことが気の毒に思えた。

 キャルは自分の悩みが僕に筒抜けであることを知らない。

 自分がそんな悩みを抱えているだなんて僕に知られたら、キャルはどんな反応をするだろう。僕は想像の翼をはばたかせた。

 すると、怒り狂った彼女が黒の館の本たちに火をつける様が思い浮かんだ。轟々と燃え上がる黒の館を見て彼女は笑い、そして、たぶん最後にはこういうのだ。


『ユーリがいけないのよ。これは全部ユーリのせいなの』


 背筋に悪寒が走った。それにキャルならやりかねない、と僕は思った。

 だから僕はこの話題を変えてほしかった。



「そういえば修行者さんと言えば……、ローレン地方の……、ほら、例の教会と魔法学校の戦争……。あれが終わったそうだぜ」とベンおじさんが言った。「なんでも教会側が勝ったらしいぞ」


「そうか」と父さんは言ったが、父さんの表情が険しい表情になってゆく気がした。

「ほんとローレンの領主様は何をしてるんだろうな。自分の領地で勝手に戦争がおっぱじまっているのに知らぬふりだもんな。まぁいい。とにかく重要なのは教会側が勝ったってことだぜ。教会のやり方は知ってるだろダイン。魔法を使うものはすべて異端とみなして火あぶりにするってやり方……。教会が勝った以上うちの領主様も少なからず影響をうけそうだぜ。なんせ我らがアーシャ地方の領主様はへっぴり腰で名高いお方だからな」


 まだ父さんは黙っていた。そして段々と顔が仏頂面になっていくようだった。

 この話は僕も詳しくは知らない。

 僕の村はアーシャ地方という地域の隅にある村だった。

 話に出てきたローレン地方というのはアーシャ地方の隣の地域だ。


 なんでもローレン地方では領主様を差し置き、魔法を使える人たちと、その魔法を使える人々を排除したい人々との間で戦争が起こっている最中なのだそうだ。

 いや、今終わったという話をしていたのか……。

 とにかく、両者いがみ合い、領主様が止めるのも聞かず戦争をはじめたらしいのだ。まったくおかしな人々がいるものだ、と僕は思っていた。

 たしかに僕らは魔法を使えない。

 だから魔法を使えるクアドラみたいな人を見ると羨ましくてたまらなくなる時もある。でも、だからといって火あぶりにする、というのは少しやり過ぎだ。



「いや、それでよダイン。修行者様の話に戻るが、時期がおかしいと思わねぇか? 修行者様がうちの村に訪ねてきた時期だよ。まるで魔法学校側が負けたと同時に現れた。ひょっとすると、あのべっぴんさんはここまで逃げてきたんじゃねぇか、って思うんだ」


「それで?」と父さんはやや怖い口調でベンおじさんに言った。


「いやぁ、だからもしも彼女が魔法学校から落ち延びた魔導士だとすると教会の異端審問官がここに来るかもしれねぇって話をしてるのさ」


「なぁベン。もしもそうだとしよう。その話がかりに全部本当だとして、それが俺たちとどんな関係がある? 俺たちの村には修行者様を受け入れてきた伝統がある。長年ずっとそうやってきた。それに我らが領主のバージル=アーシャ様は自分の領地で教会の連中が好き勝手やることを見逃すほどお人好しではないだろうさ」



 今度はベンおじさんの方が黙った。


「ローレンはローレン。アーシャはアーシャさ。それに我らの村は我らの村だ。そうだろベン。だからあの修行者様が逃げてきた人にせよ違うにせよ、どのみち我らの村で学ぼうという者はすべて受け入れる。それが我らの伝統だ」


 ベンおじさんが笑った。「まったくお前は子供の頃から変わらんな。1000年後も同じことを言ってそうだぜ」

「1000年も生きることができればいいけどな」と父さんも笑った。



 僕は二人の後ろに隠れながらクアドラのことを考えた。

 彼女の整った顔立ちと、その青い瞳が真っ先に僕の頭をかすめた。

 僕はほとんどクアドラのことを知らない。

 クアドラはどういう人生を送ってきたのだろうか。

 彼女は僕のように木を斧で切ったことがあるのだろうか。

 彼女の顔が何度も頭に浮かんできては、暗くなってきた空の間に沈んでいった。

 明日が待ち遠しかった。明日は僕が黒の館の担当だ。

 明日になれば、またクアドラに会える。

 僕の心は早くクアドラと話をしたがっていた。


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