第16話 異端審問官 ー3ー
僕の暮らすラウルハーゲンという街は、ローレン地方で最大の教会施設のある街で、司教様も僕と同じ施設で寝泊まりしていた。
だからこそ、僕の勤める教会には、教会の幹部がこぞって出入りし、活気に溢れ、他の街の教会に比べると、一段上の教会とみられていた。
そのおかげで、僕はあるものを簡単に調べることができた。
魔導士の討伐記録だ。
魔導士の討伐記録とは、その名の通り、魔導士を成敗した記録で、その魔導士の名前や外見的特徴、どこで討伐したかなどを詳細に記録した文章のことをいった。
僕の働く教会では各地域から司教様に宛てて、この魔導士討伐の記録が集まるようになっていたから、僕はそれを簡単に調べることができる立場にあったのだ。(信徒であれば誰でもそれを目にすることができた)
僕は新しい情報が更新されるたびに、3階建ての教会の2階の奥に息を殺したようにひっそりと存在する書庫でそれらの文章に目を通し、あることをずっと確認してきた。
クアドラの行方だ。
もちろん、僕が直接手を下すことができるのなら、それが一番よいのだが、あの女が殺されたというのであれば、これほど愉快なことはない。
僕は討伐記録に目を通し終わると、次に魔導士の発見記録や戦闘記録に目を通す。
これは別に討伐し終えたわけではないのだが、魔導士を取り逃がしたり、どこそこの土地で発見した、ということだけが書かれている記録であった。
少し目をこすった。
この書庫は、窓がないため常に薄暗く、ロウソクの灯りと廊下から差し込む僅かな光をたよりに、僕はいつもこの文字群と睨めっこする。
僕はこの5年、これらの書物の山と向き合い、あの女の行方を追ってきたのだ。
僕はゆっくり歩き、ある本棚の前で立ち止まると、これらの資料が別途添えられてある魔導士の個人資料をあつめた文章の束を手に取り、それをめくった。
幼い当時の僕の証言を元にした似顔絵がその資料には添えられていた。
視線がその絵に注がれる。
「クアドラ」という言葉が自然に口から漏れ、ロウソクの灯りが揺れた。
本当にこの似顔絵はよく似ていた。
この艶のある長い髪も、筋の通った上品な鼻も、妖艶な唇も、何より、その青く燃える瞳も……。
またページをめくると、魔導士の発見資料がそこに添えられていた。
もう何百回も読んだ記録を僕はまた読み返す。
記録によると、クアドラが最初に発見されたのは、ちょうどあの事件が起きる年と同じ5年前でローレンとアーシャのちょうど中間地点にあたる山小屋付近であったらしい。
当時、魔法学校の指導者であるゾビグラネを追いかけていた異端審問官の部隊は、ゾビグラネがその山小屋に落ち延びた、という情報を聞きつけ、山小屋を包囲。
その際に、その包囲網を破り、そこから逃げ出したのがクアドラであったというのだ。
そして、次にクアドラが文章に登場するのは、それから約一か月半後のねじまき村での事件になる。僕はページをめくった。
その後、彼女が発見されたのは4回。
そのうち、一つを除けばすべて街と街をつなぐ街道で発見された。
一つ目はミッドランドの西方のランダーラ地方のラクダの道をセプタ街に向けて歩く道中。
二つ目はミッドランドの北方のアイスフォックスの地の熊の道をキリンス街に向けて歩く道中。
そして、そしてローレン地方に現れたのがちょうど1年前。
王の道を、北からこのラウルハーゲンに向かって歩く道中の三つ目と、そのすぐあとに魔法学校跡地にて発見された四つ目の記録だ。
これはあくまでも勘だが、クアドラの行動にはある法則性があるような気がしていた。それが何であるかは分からない。でも、そんな気がするのだ。
きっと、それさえ分かればクアドラを先回りして待ち伏せすることができるかもしれない、と僕は思っていた。
そしてなにより、僕はこの膨大な資料からある事実を探し当てていたのだ。
妹のフィーナだ。
ねじまき村には黒焦げになった人々以外に行方不明者がいる、ということが分かってきたのだ。
妹のフィーナもそのリストに含まれていた。
だから僕は、行方不明者の発見リスト、という資料にも毎日目を通していた。
祈るような思いで。
「よお、ユーリ」と声をかけられた。
顔をあげると、同じ下働きをしている金髪で彫の深い顔立ちをしたジーンが興味深そうにこちらを眺めていた。
彼の主な仕事は書庫の記録係兼管理係だった。
各教区から送られてきた情報を整理し、ひとまとめにし、こうして僕らの為に情報を提供してくれているのだ。
「やぁジーン、新たな情報かい?」
「いや、書庫の整理さ。俺が率先してやらないと、みんなやらないからね。ホント苦労してるよ、まったく」
その言葉を聞き僕は肩を揺らし笑った。
基本的に彼はこういう愚痴が多いが、笑顔でそれを言うから困る。
きっと本当はこの仕事が好きなのだろう。
このジーンという男はこの教会で唯一話の合う“まともな人間”だった。
というのも、他の連中は神父の話す意味不明な説法に毒され、どうも話が噛み合わないのだ。
二言目には、神がどうのこうの、とか、ようやく14日目に人は生まれた、だの訳の分からない話を繰り返し、とにかく話が退屈なのだ。
僕はそんな神聖な話題に興味をもったことなどこれまでの人生で一度もなかったので、当然彼らと話が合うはずがなかった。
背中からジーンの声が聞こえてきた。
「そういえば、ユーリも審問官試験を受けている最中なんだって?」
「ああ、そうさ。去年は剣術が上手くいかずに落ちたからね」
「今年はどうなんだ?」
「バッチリだよ。盾術、剣術、両手剣術、体術、馬術、すべて基準に達した。あとは実地試験を残すばかりだね。ジーンはどうなんだ?」
「俺かい? まぁそこそこ上手くいってるさ」
「なんだ? 歯切れが悪いな」
「まぁな。毎年落ちていたら流石に歯切れも悪くなるさ。それに――」
「それに?」
「……いや、なんでもない。歯切れが悪くなるってだけさ」
――?
そういえばジーンは最近変なところで言葉を詰まらせることが多くなったような気もした。
「妹さんさ」とジーンが言った。「まだ見つかってないのか?」
「あ~、……うん。まだだ」と僕は言った。付き合いが長いせいもあり、ジーンだけには妹のことを話していたのだ。
「早く見つかるといいな」
「おう、ありがとう。本当はもっと遠出して色んなところで情報を集めたいんだけどな。そうしている間にもここに情報が溜まってきて、その情報を見逃すんじゃないかと思うとなかなかここから動けなくなった。
それに僕が探しているのは妹だけではないし」
「……そうか。……まぁそうだよな」
それから僕らの会話はしばらく中断された。
5分か10分か、いやそれ以上に長いかもしれない。
そうそう、そういえば、このジーンが書庫係をしているのは少し特殊なわけがあった。
なんでも、水に触れるとぶくぶく肌が腫れ上がる皮膚病とかで、毎朝の雑巾がけを一切しないのだ。
アルガスなどは、あれはさぼりの言い訳だ、などと言っているが、雨の日に一切訓練しないところを見るとあの話は本当なのかもしれない、とも思った。
まぁ、そのぶん書庫の仕事のほとんどを彼は押し付けられることになり、僕より2年遅くこの教会に入ってきたにも関わらず書庫の仕事は完全に彼を中心に回っていた。
おかげで、教会のお偉方も何があったとしても、もうジーンの書庫係は外せない、と言っているぐらいであった。
僕はほとんどすべての資料に目を通し、新しい情報がなにもないことを全て確認し終えると、すべての資料を元にあった位置に戻した。
すると、ジーンがおもむろに喋り始めた。
「なぁユーリ……時々さ……、本当に時々なのだけど……、永遠に時間が止まればいいのに、と思うことはないか?」
「え?」
「なんというか……、幸せな時間が続いている時っていうのはさ……、きっとかけがえのない時間だろうから。そんな時間が続いている時は、時間なんて流れていかなければいいのにって思う時があるんだ」
僕は彼の口から紡がれる言葉を聞きながら、故郷のねじまき村を思い浮かべていた。
僕は痛いほどにその気持ちが理解できた。
あのまま……、永遠にあのままのねじまき村で暮らすことができたなら……どんなに素晴らしい人生だっただろう。
村の皆と家族と僕と……。
あそこで時が止まったようにずっと暮らし続けることができるなら、どんなに……
僕はとりあえずその気持ちを飲み込んだ。
そんな気分でいると、泣きたくなってくるからだ。
「じゃあ、僕はそろそろいくよ」と言って出口から出ようとすると、ジーンが後ろから声をかけてきた。「そういえば実地試験っていつやるんだ?」
「今週中って聞いてる」と僕は答えた。ジーンは暗い顔をしていた。
「なぁ」
「うん?」
「死ぬなよ?」
大げさな奴だ、と思った。
実地試験で死ぬものなどほとんどいないというのに。
「大丈夫。死なないさ」と僕は笑った。
死なないさ。死ぬわけにはいかない。
だって僕はクアドラを殺して妹を見つけなければならないのだ。
だから、なんとしても試験をクリアしなければならないのだ。
「じゃあ行くよ」と僕は彼に言うと、出入り口から力強く出た。
カツンカツンという足音が廊下に響く。
――異端審問官になるんだ。僕がならなけりゃ誰がなるっていうんだ。そうだろう?
僕は心の中で、その自分の言葉にうなずいた。
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