第51話 フェンリル ー2ー




「ほんの少しためらった一瞬で、あなたの体は変化していった。

 毛むくじゃらで、四ツ目の大きな化け物にね。


 ……焦ったわ。あの一瞬、私はあまりの動揺にどうしてよいか分からなくなっていたから……。

 その隙にフェンリルはフィーナを拾い上げ、むしゃむしゃと食べた。

 すると、フェンリルの体はまた少し大きくなった。

 生まれたばかりのフェンリルはあなたの家を一回り大きくしたような大きさだったから、更にもう一回り大きくなったの。

 そして、ヤツは食欲旺盛だったから、村人たちを手あたり次第に食べていった……


 私は命がけで戦ったわ。


 それこそ本当に命がけで。あのフェンリルは未来のフェンリルに比べると、まだかなり小さくて、勝てる余地があった。


 でも何度倒しても蘇ってくるの。まるで効いていない、というように。

 だから私は未完成の封印の術をためそうと思った。

 そうでもしないと確実にこの世界は終わると思ったから……、最後の望みをかけるように封印の術をかけたの。あなたに……」


 クアドラの言葉が僕の頭の中にうまく入ってこなかった。

 何を言っているのだろう? とも思った。

 それよりも妹の行方はどこなのだろう? 早く吐かせなければ、と思った。


 クアドラの話は進む。僕を置いてきぼりに、どこまでも進む。


 だから僕は聞いた。


 僕の妹はどこだ、と。そしてこうも言った。お前が嘘をついているのは分かっている、と。


「ごめんなさい」とクアドラは答えた。「すべて私が悪いことは分かっている。何度ユーリに謝っても謝り切れないことは分かっている」



 そんな言葉など聞きたくない、僕の妹はどこだ! どこなんだ!



「あなたが食べたわ」とクアドラは答えた。



 クアドラの瞳には涙が浮かんでいた。

 訳が分からない。

 そんなはずないじゃないか。

 さっきから何を訳の分からないことを言ってるんだ。

 ふざけるな、本当に。


 というより、なんだか全てのものが二重に見え始めた。

 さきほどよりももっと息が苦しくなり、背中が大きく上下する。


 馬鹿げている。

 本当に馬鹿げている。

 フェンリル? そんなものいるわけがない。

 人の体に入り込む召喚獣なんて。そんなもの!


「でも、これだけは覚えておいてユーリ」とクアドラは言った。「今私を殺せば前回施した簡易的な封印が解けてしまう。だから私は殺される訳にはいかないの! 絶対に!」


 僕はやっとクアドラがこんな馬鹿げた話をしはじめた訳がわかった。

 ようするに自分を殺せば損をする、と言いたかったのだ。


 世界が滅びる、と。

 なんてことはない。それがこの話をし始めた理由なのだ。

 そんなこけおどしで僕を誤魔化せるとでも思ってるのか?

 僕はねじまき村のユーリだぞ!

 どうせ世界なんて終わりやしない。

 なにが魔獣フェンリルだ。

 なにが世界の終わりだ。なにが人類は地下で暮らすことになる、だ。

 そんなおとぎ話みたいなことあるわけないじゃないか。


 つまり、こういうことだ。

 こいつは、僕に捕まり、逃げるための方便を考えた。

 それが今の話。何がアシュリーだ。そんな人物なんてきっといやしない。

 最初からこいつの作り話だ。

 何から何まで大ウソつきのクアドラだ。

 第一こいつの言った通りの話なら、全部こいつが悪いじゃないか。

 ねじまき村の人々だって、もちろん僕だって、何もしてやいない。

 全部こいつに奪われただけだ。

 くだらない勝手な理由で全部奪われただけだ。

 そんなもの許せるはずがない。



「本当のことを言え!」と僕は叫んだ!「自分は正義の使者なんですよって、ふざけた話じゃなく、本当のことを言え!

 お前が語った話の中に真実があるとするなら、それは、きっとゾビグラネと一緒に落ち延びたところぐらいだ。

 そして、異端審問官の前に引き出されるのが怖くなって村を襲ったんだろ!

 そうだろう? ハッキリ言え!」



 殺す、殺してやる、こいつだけは許さない。

 何よりもその穢れた魂に腹が立つ。

 この期に及んで言い訳をして罪から逃れようとするその姿勢にだ!


 償わせてやる。

 自分の犯した罪をこいつに償わせてやるんだ。

 クアドラは目に涙を浮かべていた。


 恐怖で涙してるのか? いい気味だ。こいつは万死に値する。

 やってやる。やってやるぞ。もういい。

 フィーナは自力で探しだす。いつか絶対きっと見つかるさ。もうこれ以上この女を許せない。この場から嘘をついてまで逃げようとするこの女を!


 クアドラが確実に死ぬように、僕は剣を振り上げ、そしてクアドラの心臓めがけて剣を振り下ろす。



 その、ほんの一瞬だった。


 クアドラは、自分のポケットからゴーレムを取り出すと、それを僕に向け投げつけてきた。

 ゴーレムは一瞬のうちにジーンの形となり、僕の後ろにまわりこみ、僕を羽交い絞めにしてきた。



「ソウハサセナイ、ユーリ」

「ゴーレムめ! 放せええええ! この裏切り者めぇええええ!」



 ジーンの力がどんどん強くなってゆく。

 首がへし折れそうなほど。

 僕はそれでもクアドラに馬乗りになった姿勢を崩さなかった。



「ジーン!」と仰向けになったままのクアドラが叫んだ。「一度復活したフェンリルはもう不死の存在。封印しか道はない! だから今離しては駄目!」


「シカシ、クアドラ様」

「やるのよ! 今しかないの! 前回は、私が未熟で封印が不安定だった。

 でもフェンリルが生まれたこの水路なら正しい形での封印ができる!

 この水路にユーリを永遠に閉じ込めることができる。

 もうこの機会を逃したら、二度とユーリをこの場所におびき寄せることはできない!

 今しかないのよ!

 今やるしか!」


 僕はクアドラを睨みつけた。

 くそっ! 手の込んだ嘘をつきやがって!

 ジーンの羽交い絞めにする強さがまたもう一段階あがった。


 苦しいだけじゃない。

 首の骨が折れそうだった。

 思わずジーンを振り払いたくなるが、ゴーレムに攻撃しても無駄だ、と思った。

 さきほど一度ゴーレムと戦ったからだ。

 あいつらはいくらダメージを喰らわせても何食わぬ顔で向かってくる。

 たぶんこいつもそうだ。

 かといって立ち上がり、ジーンを水に突き落とすことなんてできない。

 僕の足のアキレス腱はクアドラによって、断ち切られていたからだ。 


 クアドラだ。

 これはもうクアドラに攻撃するしかないんだ。

 クアドラを殺せばきっとジーンも連鎖的に消滅するに違いない。


 その時、僕はお腹のあたりに感触を感じた。人の手の感触だ。


 そちらを見下ろすと。クアドラの左腕の掌が僕のおなかを触っていた。そして、聖具をつけた右手の人差し指が素早く螺旋模様を描いてゆく。まだ魔力が残っていたのか?


「させるか!」



 僕は天高くつき上げた剣をクアドラの心臓目掛け振り落した。



 剣の切っ先がクアドラの胸にめり込んでゆく。

 何度も味わった肉の感触と共に、鉄の刃は心臓の奥へとどんどん突き進む。クアドラは堪えきれず、口から血を噴出した。クアドラの目には涙が溜まっていた。


「アシュリィ……」

「だぁあああああああああああああああああああああああああああ!」



 掛け声と伴に、更に奥へ奥へと剣を押す。



「もっと! もっと! もっとだぁ! もっとだああああ!!」



 クアドラの体が震え、剣はやがて背中を貫通した。

 クアドラの背中から流れ出た血が地面を濡らし、更に広がり、ねじまき水路の水流が濃い赤に染めあげられてゆく。


 僕の首を強く圧迫していたジーンの力が弱まった。

 振り返ると、形を維持できなくなってゆくジーンがいた。

 ジーンは何も言わず、そのまま溶けた。


 次に、下で仰向けのままになっているクアドラを眺めた。

 銀色の髪と美しいバランスのとれた色白の顔と、青い瞳が空を眺めていた。

そして、妖艶な唇がそっと動く。



「ユーリ……、ごめんなさい……」



 それがクアドラの最後の言葉だった。


 クアドラの瞳は虚空を見あげたまま止まった。


 体も、心臓も、呼吸も、何もかもが止まった。

 クアドラの瞳から涙が一筋目じりから地面へとこぼれおちた。


 僕の荒々しく吐く息の切れ目に、ねじまき水路の水流の音と、雀たちの鳴き声が聞こえてきた。胸が上下し、心臓がバクバク鳴っていた。



 終わった、と思った。

 ついに仇をうったのだ。皆の仇を……

 やり遂げた、という想いが体を駆け巡る。



「父さん……、母さん……、キャル……ライラ……村のみんな……、やったよ。僕はやり遂げたよ。この村で! 見てたかい? 僕はみんなの見ている前でやり遂げたよ!」



 ……長かった。ここまで来るのに……本当に長かった……。

 挫折しそうになった時が何度もあった。

 でもその度に夢が僕を引き戻してくれた。

 あいつを許してはいけないと引き戻してくれた。

 やった……本当に……やったんだ……僕は……



 僕は自分の体を眺めた。

 何も変化などおきなかった。

 心臓の鼓動が穏やかになってゆく。


 やっぱりな、と口角の片方をあげる。


 やっぱり嘘じゃないか。

 彼女が死んでも僕はフェンリルというおかしな怪物になどならない。



「ふふふ。あはははは」



 実に晴れ晴れとした気分だった。

 正しかったのだ。やはり、僕は正しかった。

 クアドラの言っていたことは全部嘘っぱちだったんだ。

 分かっていたけど、すこしドキドキしちゃったじゃないか、と思った。


 ジェイならば、きっと嘘は恥ずべき罪といい、どんなことでも正直に答えたに違いない。


 まぁ、それならば、嘘つきということで皆の前で処刑してもよかった。

 あの狂人エウケソンみたいに。

 どうせどちらも魔導士なのだから同じだ。

 魔導士は魔導士である時点で罪なのだ。

 いつもは気が進まないあの作業もクアドラ相手なら熱心にできたのに、と思った。


 そういえば、あいつも世界は滅びるとか言っていたような気がした。


 嘘つきは似るらしい。

 世界が滅びるなんて、そんなことなんてあるはずがないのに……。

 そういえばあいつは何かを叫んでいたよな……、なんて叫んでいたっけ……


 頭の中のニューロンが光り輝く。

 その電流でバチバチと情報を伝達し、それがある場所に届けられた瞬間、心臓がドクンと大きく一拍鳴った。


 鼓動がこれまでにないぐらいに大きくなってゆく。

 自分でもわかるぐらいに、バクン、バクン、という音をたてていた。



 それはたぶん僕の体が狂人エウケソンの言葉を覚えていたからだ。



『皆死ぬのだ! 皆奴に食べられるのだ! 魔獣フェンリルに!』



 そして、更に次々と思い出す。

 それは止まらない洪水のように僕の頭からあふれ出した。



『人を食べれば食べるほど強くなる。だんだん巨大で強力になり、止められなくなる。ひゃっはっはっはっはは』


『赤い光が見えた時がお前たちの滅びの合図だ! 楽しみだぜ! 本当に楽しみだぜ!』




 それは何から何までクアドラの発した言葉と同じものだった。

 僕は首を横に振り、それを頭の中で否定する。



 違う。違う! 偶然さ。偶然の一致だ。

 完全なる偶然の一致た。

 それに、奴らは結託していたかもしれない。

 同じ終末思想を広める魔導士同士でだ。

 そうだ。きっとそうに決まっている。

 そう言って、一般市民を震え上がらせるのが奴等の目的なんだ。


 僕の脳は次にラズロ・ラ・ズールの死体を見せる。

 そして、ねじまき村と同じように全滅した村を。

 あそこもこの村と同じように黒い炭が残るだけだった。



「違う、違うぞ。違う!

 それはマリアさんがやったんだ!

 マリアさんがラズロと相打ちになったんだ!

 そうだ! それ以外なにがある。


 じゃあマリアさんが村を焼き払った?

 違う。

 それはラズロだ。そう、ラズロだ。

 ラズロが散々に村を焼き払い、そのあと相打ちになったんだ。

 そうだ、それなら説明がつく!

 きっとそうだ! あれはラズロがやったんだ!」



 次の僕の脳はねじまき村の行方不明者リストを見せてきた。

 僕は両手で頭をくしゃくしゃにかいた。



「あれは……、どこかにクアドラが隠したんだ!

 そうだ! 絶対にそうだ!

 だって、あいつの話が本当なら僕は今頃――」




 おかしなものが僕の瞳に映った。

 毛だ。とても黒い毛。

 それは、僕の手の甲から生えていた。

 とんでもない剛毛だった。


 そういえば、足の痛みも消えた。

 さっきまでは激痛が走っていたのに……、と思い下を眺めると、やけに地面が遠くに見えた。


 それにクアドラの死体が小さく見える。


 気づけば周りの木々さえもが僕の目線よりも下にあった。




 あれ?



 頭の中が急速に溶けてゆくような気がした。

 段々と異端審問官の仕事がどうでもよく感じてきた。


 それよりも、どちらかというと肉が食べたかった。


 人の肉だ。あれを食べるとってもおいしいのだ。

 そういえば、ねじまき村には隣村があったのだ。

 なんて村の名前だったか忘れてしまったが、あそこに人がいた。

 あれを食べればいいんだ。

 そして僕はどんどん食べて大きくなって、強くなるんだ。


 ねぇクアドラ! と叫んだと思ったら、口から変な声がでた。



「ギュルギャアアアアアアアアアアォオオオオオオオオオオオオオオオ」



 あれ?

 なにか変な声が聞こえた気がする。


 まぁいいか。

 とにかく、人の肉を食べたくて食べたくて仕方なかった。

 そういえば、僕は妹を食べたのだろうか?

 分からない。

 でも人の肉は美味しかった気がする。

 そうすれば強くなれる気がするし、何よりも僕は早く食べたいのだ。

 それ以上の理由なんてない。


 ああ、なんてお腹が空くんだ。

 本当にお腹と背中がくっつきそうだよ。



 フェンリル?



 ああ、もうその話はどうでもいいや。



 クアドラ?


 誰だっけそれ。



 ああ、思い出した。


 あの人だ。色白で、青い瞳をした綺麗な人だ。

 またいつか会えるといいなぁ。



 その時だった。

 背後で何かが光り輝いた。

 青い光だ。

 それはねじまき水路から放たれた光だった。


 僕の黒い毛むくじゃらの大きな体は震え始めた。

 長い爪も、するどい牙も、黒く長い尻尾も震えはじめる。



 あれは怖い光だ。



 わかる。あれはとっても怖いものだ。


 いやだ。いやだ!

 僕はお腹が減っているのに、とっても食べたいのに、どうして邪魔するの?

 いやだ。いやだぁあああ。


 僕の体がどんどんねじまき水路の放つ青い光に吸い寄せられてゆく。

 体がいうことを効かなかった。

 まったく抵抗できないのだ。

 クアドラの血を含んだねじまき水路の水流が激しくまわり始める。


 僕はまるで乱気流の中をもがく鳥のように必死に足をばたつかせ、地面を爪で引っ掻き、何とかその場に留まろうと試みるが、無駄だった。


 更に大きな力が僕の黒い体を吸い寄せるのだ。


 もうだめだ!


 僕は地面から爪を放すと、あっという間に毛むくじゃらの黒い体は水路に引きずり込まれてゆく。


 僕の体は細長く小さくなり、螺旋状の水路に沿うように回り始める。

 ぐるぐる、ぐるぐる、と回り始める。

 そうしているうちに僕の尻尾も、爪も、自慢の黒い毛も、何もかもが水路の中に沈み込むように溶けていった。





 そして僕の意識は暗い闇の中に沈んでゆく……

 どうしようもない闇の中に……

 本物の暗闇の中に……

 ……







 僕が、異端審問官のユーリとして目を覚ましたのは、それから一週間後のことだった。

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