ユーリ編 奇跡と狂人

第26話 奇跡と狂人 ー1ー





 目の前の白髪の老人の足首には細長い鎖が巻き付いていた。


 「よし! 今だ!」


 白髪の老人の魔導士を取り囲んでいた異端審問官たちは、僕の号令で四方から一気に攻めかかる。僕はそれを5mほど離れているところから見ていた。



 盾を構えたまま四方から突進する異端審問官は、両手から大量の炎を繰り出す白髪の老人へと向かってゆき、その勢いのまま四方から老人の体を貫いた。


「もう一度!」と僕が声をあげたとほぼ同時に、虫の息の白髪の魔導士は長い髪をゆらしその場から逃げようとする――――――が無駄だった。


 彼の足首に巻き付いた細長い鎖がそれを許さなかった。


 その細長い鎖は僕の腕に繋がっており、弓を引くように僕は鎖を引っ張る。

 その老人はその場につんのめるように倒れ、雑草が生い茂る緑色の地面に額をこすりつけた。



「とどめだ!」と僕が叫ぶと、皆は手はず通りにそれぞれ違う急所を突く。

 

 背中、頭、首。


 老人は、一瞬大きく目を見開くと、ほとんど声をあげることもなく、あっさりと逝った。


 僕は既に事切れた老人に近づき、彼を見下すように立ち尽くし、鎖が巻き付いた足首を眺めた。

 自然と口角の片方が吊り上がる。

 うまくいった、と思った。




 ラズロ・ラ・ズールを倒した戦闘からそろそろ一年が経とうとしていた。


 あれから僕の立場は大きく変わった。

 あの事件以前は、ひよっこ同然の扱いをされるいち見習いに過ぎなかったのに、今では他の異端審問官を束ねる指揮官職を担うまでになっていた。


 それはたぶん、ラズロ・ラ・ズールを倒した影響に他ならないのだろう。


 彼はもともと、魔法学校側と対立が激化した発端ともなるべき事件を引き起こした張本人であるし、なによりその残虐なやり口で数多くの異端審問官を葬ってきた魔導士であったからだ。


 とにかく、あの“紅のマリア”ですら倒すことのできなかったラズロ・ラ・ズールを倒した新人が現れた、ということで僕は一躍有名になったのだ。



 もちろん、皆は真実など知らなかった。

 そして、僕だって知らなかった。


 だから僕は、混乱しつつも黙ってその状況を受けいれたのだ。



「流石です隊長!」と、老人の背中から剣を引き抜いた針金のような体格の男が声をあげた。「戦闘指揮が手馴れている、というか、天才というか、ホントもうすごいっすよマジで」



 彼は僕よりも年下の数少ない異端審問官だった。

 彼は元々先祖代々の土地で狩人を生業として生きてきた人間なのだが、土地相続の件で兄弟と揉め、刃傷沙汰に陥り、土地を追われ、逃げ込むように教会の信徒となった。


 審問官になってからは、持ち前の弓術に加え、針金のような細い体格を生かし、するすると相手の背後からちかづき、一瞬で敵を葬り去る術に優るという評価を周りからされていた。


 おかげで彼――ジェイ・ロイド――はメキメキと頭角を現し、次期審問指揮を担う候補の一人と噂されるまでになっていた。



「おいおい、やめてくれよジェイ」

「いやいや、マジですって隊長! 言っちゃ悪いですけど、他の隊長方なんてなぁ~んも考えてない人ばっかですもの。二言目には、つっこめ~! しか言わんですよマジで。

 そんで沢山の人が死ぬし、本当にしょうもない戦いばっかりやってるなぁ~っていっつも思ってたんですよ。

 でも隊長は準備しているというか……聖具に頼ってないというか……、うん。やっぱすげぇですよホント」


 ジェイはほとんど悪気が無いような顔つきでそれをさらりと言った。


 ジェイは、無類の正直者だった。

 教会の教えを間違って解釈した犠牲者の一人と言えるかもしれない。


 彼は、汝偽ることなかれ、という神の教えをひたすら守り、思ったことすべてを口に出し、いらぬ軋轢を招く達人であった。


 本人に悪気がないことは分かっているのだが、彼を殺したいほど恨んでる人間を僕は幾人か知っていた。



「聖具には頼ってるよ」と僕は言った。「聖具なしには僕はなにもできない。だから司教様にはいつも感謝してるんだ」



 僕がそう言ったことで、老人に剣を突きさしっぱなしになっていた他の異端審問官がようやく剣を引き抜いた。


 そうさ、分かっている。

 他の3人の剣の引き抜き方でも分かる。

 僕が上の立場だから彼らは不満なのだ。

 だからこそ、僕は司教様への感謝を忘れていない言葉を残さなければならない。

 僕のようなぽっと出が嫉妬を買うことは多いと聞いている。

 基本的に僕が命令しているのは、ほとんどすべて僕よりも経験が上の人たちばかりだからだ。


 でもそんな人々に僕は警告をこめて言い聞かせなければならない。


 僕をこの立場に任命したのは、僕ではなく、司教様に他ならないのだ、と。


 そのためにも僕は司教様への感謝の言葉を欠かさない。

 虎の威を借る狐みたいで格好悪いことは確かだが、それでも僕はそうしなければならないのだ。



 クアドラを討伐するために。



 審問指揮と呼ばれる異端審問官の指揮官には、審問官たちを自由に招集する権利がある。


 そうして、自由に戦い、戦果を出すことが許されているのだ。

 クアドラを僕の手で倒すためには、この指揮権を握っておかなければならない。

 だからこそ、上手く不満を鎮める必要があったし、その彼らの弱みをつき、そこを最大限に利用する必要があったのだ。


 彼らにはある共通する弱みがあった。

 異端審問官たちはほとんど例外なく、神の教えと、その神の教えを守る教会の作り上げた権威に弱かった。

 だからこそ、僕は事あるごとに司教様の存在をちらつかせ、僕が君らよりも上にいるのは、教会全体の意志である、と彼らに見せつけているのだ。


 でも、まだ足りない。


 彼らが僕に心から服従するようにならねばならない。


 来るべき戦いのために……。

 そう、すべてはそのために……



 そうして、皆をまとめ、馭者のいる馬車に戻ろうとする道すがら、ふと後ろから誰かの声が聞こえた気がした。



==本当は、お前が倒したわけじゃないくせに==



 振り返ると、そこには誰もいなかった。

 部下は全員前を歩いていた。また声が聞こえた。



==お前はクアドラ追いかけているんじゃない。逃げてるんだろう? そうなのだろう? ユーリ。悪夢はいつもお前を追いかける。だから逃げているんだろう?==



「どうしたんですか隊長?」と屈託のない声でジェイが話しかけてきた。


「いや、なんでもないさ」と言い、改めて前を向くと、馭者がまるで伝説の人物を見つめるような目で僕を見てきた。


 他の者も同じで基本的に僕に対し腹を立ててはいるが、僕がラズロ・ラ・ズールを倒した男であることに疑いなど抱いている様子などなかった。


 そう、これでいいんだ、これで。

 僕にはやるべきことがあるのだから。


 全員が馬車に乗ったことを確認すると「出してくれ」と僕は馭者に頼んだ。

 すると、視界の端に馬の黒い肌に鞭がしなやかに当たる瞬間が映った。

 カラコロカラコロと車輪が回り始め、馬車の荷台が大きく揺れた。


 こうして僕の毎日が過ぎ去ってゆくのだ。

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