第27話 奇跡と狂人 ー2ー
そこは、司教の間、と呼ばれており、ラウルハーゲンの一番高い場所にその部屋はあった。
高い、というのは文字通りそういう意味だ。
彼の寝泊まりする塔が、もっとも空に近く、この街を一望できるぐらい高い場所にあったのだ。
街の皆はその塔を見上げ、この街で一番の権力者を知る。
この塔はある意味、教会の象徴そのものであった。
僕はその部屋の扉をノックし、名を名乗った。
「審問指揮のユーリでございます」
「入いりなさい、ユーリ」という低く穏やかな声が聞こえ、僕は扉を引いた。
そこには灰色の石づくりの壁と、簡素な木の机と椅子と、その椅子に座りこちらに背を向ける司教ゼノンの姿があった。
白のローブに赤く小さなマントを羽織ったゼノンはボロボロに崩れた菱形の小さな石板に目を通している最中だった。
ゼノンはこちらを見ずに「そこの椅子に腰をかけなさい」と言った。
「はい」と返事をした僕は、後ろ手で扉を閉めると、出入り口のそばに孤児のように置かれた丸椅子にそっと浅く腰かけた。
あの石板はなんだろうか? と思ったところでゼノンは振り向かずに聞いてきた。
「審問指揮を務めはじめてからどのぐらいになりますか?」
彼の禿げた後頭部と、側頭部の白髪が見えた。
「四ヶ月ほどです」
「また異端者を討伐した、と聞きました。それも誰も人員を損なうことなく」
ここでようやく司教ゼノンはこちらを向いた。
彼の大きな鷲鼻がこちらを威嚇するように垂れ下がっていた。
「はい、運よく」と僕は答えた。
「立場が人を作るとはいいますが、人はふとしたことで己の才能に気づくことがあります。
神がお与えになった才能を存分に生かしなさいユーリ。
それが神の意志にかなうかぎり、神はあなたを愛し続けるでしょう」
才能? いや、違う。
自分を思い知ったからだ、と僕は思った。
僕はどうしようもない臆病者であると思い知らされ、違うところで秀でていることを証明しなければならないと思い、研鑽に研鑽を重ねたから今の僕がある。
それを才能なんていうおぼろげな言葉に置き換えてほしくなかった。
「そうそう、ところで、特別の願いがあると聞きましたよユーリ」
「は、はい」と僕は緊張しながらもハキハキと喋りはじめる。「司教様にお願いしたいことがあったのです」
「ほう……、なんでしょう?」
「司教様はこの世界でただお一人、奇跡という神の力を授けられた尊い存在でございます。そのような方にこのような願いをするのは憚られると思うのですが、魔導士たちを撲滅するためにも是非ともお聞きいただきたいのです」
「よろしい。聞くだけは聞きましょう」
「その……、実は……新しい“聖具”を司教様に作っていただきたいのです。そのようなことは可能でしょうか?」
聖具とは、司教の描く模様に司教が手を触れることで聖なる力が宿った道具を指した。この教会には司教様しか入ることを許されない“工房部屋”と呼ばれる部屋があり、そこで司教様は聖具をお造りになられるのだ。
なんでもそこで司教様は特別な模様を武具に彫り、神との交信を交わす準備をするのだ、と噂されていた。
まぁ、とにかくだ。
僕はそこに新たな聖具を加えたいと思っていた。
それは僕が“手錠”と名付けた道具だった。
司教様が聖なる模様を刻み込めば、僕の“手錠”も聖具になるのではないか、と思ったからだ。
「これです」と言って僕は刀鍛冶に作らせた特注の手錠を司教ゼノンに見せた。「これは魔導士どもの足首や手首にはめ込む形で使うものです」
ゼノンは眉をひそめた。
「二つ輪っかがありますが?」
「もう一つの輪っかは僕の手首に繋ぎ使います。これは、一度つかんだ相手を放さないようにするためです。つまり、敵の逃亡を防ぐための道具なのです」
「このまま使っては駄目なのですか? このままでも使えそうな気もしますよ」と首をかしげるゼノンに対し僕は言った。「僕が望んでいることは、この手錠に加護を付与してほしいということです。例えば……、この手錠に魔導士の奴等が掴まれば、しびれて動けなくなる、とか、石のように固まってしまう、というようなことです」
ゼノンは難しい顔をした。
だが、僕は熱くなり、身を乗り出して司教様に迫る
「もしも、そういう聖具があるなら、今の2倍、いや3倍仕事をしてみせます!」
「ユーリ。君は奇跡の力をなにか勘違いしているようですねぇ。そのような都合の良い奇跡などありません。そのような聖具などはできないでしょう」
ここまできっぱりと言われると思っていなかった僕はさすがに落胆した。
これまでの戦いでこれを使った実験を何度もした。
すると、危険を伴うが、たしかに奴らを仕留め切れることが増えたのだ。
敵の行動範囲が絞れれば対策も立つ。そういう目的で作ったのだ。
もちろん、この発想のヒントはクアドラの魔法だった。
母さんを逃がさなかったあの光の首輪。
あれと同じものでクアドラを倒してやりたい、と願った末のアイデア武器だった。
僕は手に持っていた手錠に視線を落とした。
――やはり、これに加護を付加するというのは都合がよすぎたか。
すると、落胆する僕に「ただし――」と司教ゼノンは言った。「このアイデアは面白い」
司教はそう言ったあとに手錠をつまみ、空中でブラブラさせた。
「うーん。君が思っているような加護ではありませんが、別のことならできるかもしれませんねぇ」と司教は言った。「ちょうど今しらべていた石板にそのヒントがあったのですよ」
石板? と思い、そういえば司教様は何かをしている最中であったことを思い出した。
「司教様……、あの……それは?」と言い、僕は菱形の形の石板を指さした。
「これですか? これは恐らく古代アッカルク時代の召喚陣の一部でしょう」
「古代アッカルク時代の召喚陣?」
なんのことを言っているのか理解できなかった。
そもそも古代アッカルク時代とはなんだろう?
たぶん僕が何も理解していないことを悟った司教様は丁寧に説明をはじめた。
「古代アッカルクとは千年前に滅び去った王朝です。彼らは高度な文明をもち、そして魔を尊ぶ歴史を持つ人々でした。ある日を境に彼らは滅びるのですが……、まぁいいでしょう。とにかく、この石板はその時代の召喚陣の遺物なのです」
違和感を覚えた。
魔導士たちが使う召喚術といえば、地面に木の棒で召喚陣を描き召喚獣を呼び出す方法が一般的なはず。
「今まで君が戦ってきたのは、現代召喚陣を使う敵だったのですよ。
地面に召喚陣を描き、召喚獣を呼び出すタイプの召喚術です。
これは古代召喚陣といって古代アッカルク人が作り上げた古い召喚術なのです。
古の時代では、なんでも召喚陣は建築するものであったらしく、建物や灌漑施設などで召喚陣の特殊な模様を描いたのだそうです」
「え? 建築……ですか」
「そうです。酷く大掛かりな気もしますが、召喚陣とは、決められた模様を寸分たがわぬ大きさで精密に地面に描かなければならないために、相当な訓練を必要とするものらしいです。
そう考えると、たしかに建築してしまった方がよいと思った古代アッカルク人の考えも分かる気がします」
司教様はとても魔術にお詳しかった。
そして、なぜそんなものを司教様が持っているのか、気になった。
なので、僕は司教様に尋ねたのだ。
どうしてそのようなものを司教様がもっていらっしゃるのですか? と。
ゼノンは深く息をつくと、そのあとゆっくりと喋り始めた。
「かつて、この地上にゾビグラネという魔導士がいました。
数年前に彼は死にましたが、彼は、我ら魔法を使えない人類を深く憎み、我らを丸ごと消し去るために古代アッカルクの研究をしていたそうです。
人類をまるごと消し去るなんてそんな馬鹿な話があるのだろうか、と思っていましたが……、私は思い出したのですよ。
古代アッカルクと聞き、召喚獣カルニバルのことをね」
「召喚獣カルニバル?」
「古の召喚獣のことですよ。
古代アッカルク人が生み出した、最強かつ最凶の悪魔カルニバル。
その召喚獣によって数百年の栄華を誇った古代アッカルク王朝はあっけなく滅び去った。
だから、ひょっとして、ゾビグラネはカルニバルをこの地上に呼び寄せるのではないだろうか? と思ったのです。
まぁ、結果的にヤツの息の根を止めること自体には成功しましたが、しかし、私は同時に不安になりました。
あのケダモノの意志を継ぐ者が現れたらどうしよう、と。
もしもそうなった場合、我らの神の子供たちを守りきれるのだろうか? と思ったのです。
だからこそ、我々は各地で古代アッカルクの召喚陣を徹底的に探したのですよ。
時間も金もかけて、何年も何年もね……、そして、ついに旅の行商人からこれを手に入れたのです。
行商人自身も、別の行商人から手に入れたと言っていたので、出所が分からない物であることには違いないのですが、とにかく、我々はそれを手に入れた。
それが、この石板です」
それはボロボロに欠けた菱形の石板で、所々が黒焦げになり、その中央には模様が記されていた。
既視感を覚えた。
あんな模様を僕はどこかで見た気がしたのだ。
どこだろう?
一体あれを僕はどこで見たのだろう?
だから僕は聞いた。
そこには何と記されてあるのですか? と。
司教様は口角の片方をあげ、こう答えた。
「奇は異なり。奇を呼び寄せたくば、魔を泉へふれさせよ。さすれば、そこより奇は現る」
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