第31話 ゾビグラネ ー2ー




 やはりそうか、とまず思った。


 この男は最初から次元修正魔法ホールの効果を分かり切ったように話していた。

だから、こいつがゾビグラネである予想はなんとなくついていた。

 だが、別の部分に驚いていた。


 この男は、私が想像していたよりも大分若かった。

 私はゾビグラネがもっと老齢な男だと思い込んでいたのだ。

 ゴードンのあの話し方や日記から察するに、誰からも尊敬され、一目置かれている男のように思っていたからだ。



 ――これほど若い男が魔法学校を率いていたのか……



「ところで」とゾビグラネは指を鳴らしたあとゆっくりと私にむけて手を差し伸べた。「君のお名前は?」


「リリアよ」と私はその手を取らずに簡潔に答えた。「キース・ハモンド・ゾビグラネ。あなたが紳士であるなら、まずは私がどこにいるのか教えて頂戴。私はどこにいるの? 今はいつ? 既にフェンリルはこの世界にいるの? いないの?」



 ゾビグラネは、奇妙に引きつった爬虫類のような気味の悪い笑顔を作ると、背もたれのついた自分の椅子に戻り、軽やかに座った。



「まずは合言葉だリリア嬢。私は合言葉を託したはずだ」



 あの日記の最後のページに挟まれた言葉であろうか? あれならたしか……。ポケットをまさぐると、そこにはあの紙があった。

 私はそれを読み上げる。


「B3の2Dの14……かしら?」

「素晴らしい!」とゾビグラネは更に引きつった笑い顔を見せ、膝を組みなおしながら拍手をしてみせた。

「これで、君が本当に未来からきたということが証明されたわけだ。

 いや実に素晴らしい。

 その数字は私の頭の中だけにあり、この口から一切外に漏らしたことのない情報だ。

 つまり、それを君が知っているという事は、君が未来からきた何よりの証拠というわけだ。

 ふふふははは。本

 当に素晴らしいな。

 あ~、そういえば、ここがいつの時代か知りたいのかい?

 ここは君の知る魔獣なんて存在しない時代さ。

 暦を知りたいというのであれば、喜んで教えよう」



 ゾビグラネがしゃべり続ける音と雨音が重なった。

 ザアザアとそれは響き、天井の黒い染みから雨水が間隔をあけ滴り落ちていた。

 その水滴が落ちた先には大きな樽が置かれており、それがこの部屋の中に幾つも並んでいた。


 魔法学校とはこのような貧乏くさいところなのだろうか?

 まぁいい。とりあえず、私には時間ができたのだ。

 ゆっくり奴を倒すことのできる時間が。


「ところで、君もゴードンから送られてきたのかい? レドやミドではなく」とゾビグラネは言った。


 ――君も?


「それは、どういう意味かしら?」

「私が次元修正魔法を教えた生徒はレドとミドとゴードンだけだ。特にレドはものすごい才能の持ち主だったからね。私は彼の未来に期待していたのだよ。だから当然レドも何かしら働いたのではないかと思ったわけだ。

 私はね、才能を愛しているんだよ。才能と真理をね。

 私はいつだってこの二つを追い求め、そして探求してきた。

 だから、レドを真っ先に気にかけるのは当然だろう?」


「そこじゃないわ……。今あなたは“君もゴードンから送られてきたのかい”……って言ったのよ」

「うん?」


 日記のあの記述が頭をよぎる。あの私よりも先に送られた五人の記述が。


「つまり、あの五人を知っているのね?」

「あの五人?」

「とぼけないで! 私よりも先にこの時代に送り込まれた五人のことよ。そうじゃなければ“君も”だなんて言葉を使わないでしょう?」


 心なしか、雨音が激しくなってきた気がした。


「五人なんて知らないさ。私が知っているのは、恐らく君の言う五人の中の一人だけだよ」と鼻から息を押し出し、肩をすくめたゾビグラネは言った。「彼は何の前触れもなく私の前に現れた。

 もう六年ほど前の話だ。

 彼は……、そうだな……、ちょうど今の君のような、臭そうなボロボロの衣服を身にまとっていたよ。

 私はその時初めて彼の口を通じて魔獣フェンリルの存在を知ったんだ。


 未来の世界がめちゃくちゃになっている、とね。


 最初は馬鹿馬鹿しいと思ったよ。

 だから、彼をすぐに追い返した。

 でもね、彼は魔法学校のすぐそばで、何度も私に面会を求めにやってきて、しつこくその魔獣の話を教えようとするんだ。

 ……奇妙だと思ったよ。こんな人間が世の中に居るのだな、ともね。



 とにかく、その時の私は彼を追い払い、それっきりになってしまったが、段々時が経つにつれ、その言葉が引っかかってきたのさ。

 なにせ、よくよく考えると、私にそんなことを吹き込んで彼に一体どんな得があるのだろうか、と思ったしね。


 だから、ここはひとつ騙されてみるかと思い、才能ある者を訓練したんだ。

 次元魔法ホールの訓練だ。

 ホールはまだ研究段階の魔法で、恐ろしく難易度の高い魔法だったから、果たしてそれを完成させられるのかさえ私には分からなかったが、確かにあの男の言うように、レド、ミド、そしてゴードンもあの“ホール”を習得することができた。

 実に嬉しい出来事だったよ。

 計算外の……とも言えるような、ね。

 だから私は今回の計画を実行しようと思ったわけだ」


「今回の計画?」


「そう、計画さ。彼の言った魔獣フェンリルが本当に実在したのか、を確かめる計画」


 え? と思った。


「だからこそ君はこの時代に呼ばれたのだよ。そして、嬉しいことに既に答えはでた。この時代にやってきた君が一番最初に気にしたことは、あの男と同じ『フェンリル』だった。


 この意味がわかるかい?

 私は半信半疑だったのだよ。

 フェンリルと言う魔物が存在する未来がね。

 でも今は違う。あの男の話はやはり間違いではなかったのだ、という絶対的な確信を今もったよ。

 君がゴードンから何を聞いたか知らないが、本当に、今やっと私は確信をもてたんだ」



 そういうことだったのか、と、ようやく腑に落ちた。

 あの日記を読み、どうしてゾビグラネだけが未来を知っているのか疑問に思っていたのだ。彼から、答えを聞くまで私はこう考えていた。


 彼がもしも未来を本当に見通すことができるのだとしたら、もっと普段からフェンリルに言及したのではないだろうか?

 なぜ死の間際になって唐突にフェンリルに言及したのだろうか?

 そんな疑問が無数の私に囲まれている間、ずっと頭をもたげていたのだ。


 だが、ようやくその唐突さの意味が理解できた。


 ゾビグラネには未来を見通す能力などなかったのだ。



 彼の目的は本人の言っているとおり、未来の確認。

 私をこの時間へと導き、フェンリルが未来の世界に実在するか確かめることだったのだ。

 胃の底からせりあがってきた大きな息が口から漏れ、緊張の糸がプツンと切れたように、私は床に崩れ落ちた。


「おいおい。リリア嬢大丈夫かい?」


 まるで、やれやれ水でも飲むかい? みたいな軽い調子で聞いてくるこの男に多少頭にきたが、自分ではどうしようもない以上助けてもらうしかない。


「ちょっと、起こしてよ」


 ゾビグラネは自分のポケットに手をしのばすと「仕方がないなぁ」と言い、人形のようなものを取り出し、床に放り投げた。そしてこんな口調で命令したのだ。


「リリア嬢を壁に立てかけろ」


 床に放り投げられた人形がほんの数秒のうちにみるみる大きくなり、一人の青年に変化した。その青年は赤鹿のコートを身にまとう私の体を壁際に移動させると、やさしく壁に体をあずけられるようにたて掛けてくれた。


 私は、バランスを失わないように、床に手をつき、しっかりと体を起こす。

 その青年は、私の姿をじっと見て、もう自分が必要ないとわかるとゾビグラネのポケットの中に帰っていった。



「今の魔法は?」と聞くと、ゾビグラネは「(土人形)ゴーレムさ」と答えた。「顔や体を自由に変化させ、色んなことを命じることができる。

 戦えと命じたり、料理を作れと命じることだってできる。

 別に言葉に出さなくたって、思考するだけで命令することできるし、とても便利だよ。

 本当に暇なときは、ゴーレムに歌って踊ってもらえば暇だってつぶせるしね。

 もちろん多少の練習は必要だが」と顔をニヤつかせた。


 すごい魔法だ、と思った。

 これを見た瞬間この男の実力は本物に違いない、と感じた。


「ただ雨に弱いのが欠点だ」とゾビグラネは眉をひそめた。「だから、こんな日だと外での戦闘には使えない。まぁいいかそれは」と言い彼はなめるように私の体を見た。


「恐らく次元修正魔法ホールは、送られる側の人物の魔力も消費するのさ。だからそんなにくたびれてしまったのだろうねリリア嬢は」


「分析どうもありがとう」とつっけんどんに答えると、ゾビグラネは顔を明るくして言った。「私の魔力をわけてやろう。これで大分楽になるはずだ」


 ゾビグラネは椅子から立ち上がり、私の前でしゃがみこむと、片手で私の体を支え、もう片方の手で私の左手を握りしめた。


 すると、たしかに力が……、力が伝わってきたのだ。

 光を当てられなくなって白くしおれた植物が青々しく再生するように、私の体の各部位は急速に力を取り戻してゆく。



「よし、これでいいだろう」とゾビグラネは言うと、立ち上がり、背もたれのついた椅子を部屋の中央の木のテーブルの傍につけ、疲れた顔をして、そこに座り込んだ。


 私の体に力がみなぎってきた。

 それはたぶん信じられないほどの力だった。

 魔力とは受け渡しが可能な力であったのか、と思った。


 一方のゾビグラネは、先ほどの私のように体全体から力が消えた感じがした。

 私が不思議そうな顔をしていると「魔法とは魔の波動なのさ。それを理解していないみたいだねリリア嬢は」とゾビグラネは言った。「波動である以上、波を揺らした側の魔力は減り、揺らされた側の魔力は増えるものだ。まぁそれもすべては魔力を受ける側の問題でもあるのだけどね」


「どういう意味?」


「もしも、もともと魔力を受けとめるだけの素養が無い人間が魔の波動を受けると、その中で魔が行き場を失い、暴走する。そういう場合は、魔の波動は回復にはつながらない。そういうものなのだよ」


 私にはその話がよく分からなかった。

 だから首を傾げたままでいると、ゾビグラネは「君はまるで幼児のような顔をするねぇ」と言った。


 馬鹿にされたのだろうか?


「まぁいいさ。正規の教育を受けてない子の魔法に対する理解の深さなどそんなものだ」ゾビグラネは饒舌にしゃべり始める。「動物であっても植物であっても基本的には同じだ。

 魔力を受け止める素養のない者が魔の波動を受けると、魔は行き場所を失い、場合によっては暴走する。

 ただし、ただの物であったとしてもあらかじめ魔の波動を受け止める用意のある物に対しては、その魔の波動は正しく働くものなのだ」


 ゾビグラネは、そう言い終わると、テーブルに置かれていたペンの先にインクをつけ、その場で何かを書き始めた。

 どうもそのテーブルの上にはあらかじめ手紙のようなものが置かれていたらしい。



「どういうこと? 物が魔力を正しく受け止める?」

「そうだ。たとえ、そこらへんに落ちている物でさえも、あらかじめ魔を受け止める準備ができているものであれば、その魔を正しく受け入れることができるのだよ。たとえば、そうだな、そこの樽だ」と言ってゾビグラネは雨漏りの水が床に届かないように置かれた樽に目を向けた。「あの樽だって、魔の波動を受けいれる物に変化させることができる」


「え?」と言いながら私は笑った。「どうやって?」

「簡単さ。手間だけどね。

 魔を受け入れる“模様”をそこに記せばよい。

 そうするだけで、物は容易に魔の波動を受け入れることができる。

 これはその昔、古代アッカルク人が召喚術に用いていた知識を応用したものだよ。

 魔の波動を流し込みたいものに“模様”を描き、そこに魔の波動を流し込むだけでいいんだ。

 つまり召喚術も同じ。

 召喚陣と呼ばれる模様を描き、そこに魔の波動を流し込むだけでいいのさ。簡単だろう?

 まぁアッカルク人が作った召喚陣には説明版なるものがあったとはきいてるけどね」


「説明版?」


「魔の波動を流し込む手順が書かれたものさ。その説明版なるものは必ず夫婦のように二つの石板が備え付けられていたらしい。まぁそんな話はどうでもいいんだ」


 ゾビグラネはそこまで言うと苦い顔をした。



「とにかく、やつらの台頭もそのおかげだろう。やつらは魔法を使う行為を神に逆らう所業とか、この大地を穢す行為、などとのたまっているくせに、自らは堂々とその行為を犯すのだから、まったくたいしたものさ」


「やつら?」


「教会さ」とゾビグラネは吐き捨てた。「奴等こそ、魔法の力を使いここまで勢力を伸ばしてきたやつらなのさ」

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