第17話 異端審問官 ー4ー



 僕は馬車に乗っていた。

 それは少し大きめのアーチ型のテントが張ってある大型の馬車で、僕はその中で馬の走るリズムに合わせ揺られていた。


 顔をあげると、二頭の馬を操縦する馭者の凛々しい後姿と大事そうに剣と盾を抱える四名の男女が映った。


 四名はそれぞれ思い思いの恰好で、馬車の中で暇をつぶしていた。

 恐らく、戦いがはじまるその時まで体を休めているのだろう。

 僕はというと、その暗く、小石チラホラと転がる馬車の隅で、両手で膝を抱き、小さくなり、身に着けた灰色の鎧を指でなぞっていた。


 心臓の鼓動が聞こえた。

 あの日クアドラに殺されて人生が終わったと思ったあの日以来なのだ……、魔導士に対面するのは……




 実地試験の内容は極めて単純だった。


 それは実戦の中に身をおき、実際に魔導士と戦うことで、その資質を見極める、というものだった。

 もちろん、それには死の危険が伴う。

 だからこそ、実地試験を受ける者は、あらかじめ死の覚悟を問われる。死ぬかもしれないが、それでも実地試験を受けるか、と。


 もちろん僕は、はい、と答えた。

 当たり前のことを聞くな、とすら思った。


 なのに、まだ戦ってもいないのに、浮ついた踊り子のように心臓が暴れ狂っている。



 ――こんな状態で戦えるのだろうか?



 僕は大きく息を呑んだ。

 僕以外の四名は全員ベテランの異端審問官だった。

 基本的に実地試験の合否はこの四人の採点によって決まる。

 僕がその場を戦うに相応しい戦士であったか。

 物怖じしなかったか。冷静にその場を立ち回ることができたか。

 そんなことが採点の基準なのだ。

 でも、そんな採点をまともに行う異端審問官など極めてまれで、邪魔にならない程度ならよい、と考える者がほとんどであった。



 どうも落ち着かない。

 だから僕はいったんはめた戦闘用の手袋を脱ぎ、べしょべしょに濡れた手のひらの汗をぬぐった。


「お、緊張してるのか?」隣の髭面の男がニヤ付きながら僕に話しかけてきた。「なぁに、そんなに緊張するこたねぇさ新人。あっと、そういやまだ新人ですらなかったんだっけ?」


 苦笑いする僕に、髭面は馴れ馴れしく肩をたたいてきた。


「なぁに、討伐なんてすぐに終わる。酷いときは一瞬で終わる。相手に魔法を使わせずに始末しちまうのさ」

「そういうものなのですか?」

「一番簡単な仕事だとそういうこともあるが、まぁ……苦戦する時だってある。でも今回はあの女がいるから大丈夫だろうよ」

「あの女?」

「ほら、馭者の後ろで空を睨みつけているあの女さ」



 僕は髭面が顎を突き出すその先を見た。

 確かにそこには女性がいた。

 彼女はちょうど肩にかからない程度に切りそろえられた黒い髪を風になびかせ、空を眺めていた。


「紅のマリア。あの女の通り名さ。なんで紅って呼ばれているか分かるか坊主」


 僕は首を横にふった。


「それはな、あの女は沢山の返り血を浴びてきた女だからさ。エウストのカスガ。魔導士ジブロー。魔導士ナレスカとそれと、あれだ。あの魔法学校の指導者ゾビグラネを仕留めたのもあの女って話だ。ヤバいだろあの女。殺人鬼みたいなもんさ」



 不意にクアドラの顔が蘇ってきた。

 確かに、恐ろしい女性というのはこの世に存在する。

 僕はそれをよく知っていた。


「とにかく無口で無愛想で頑固、だが異端審問官としての腕はこのロレーナで一二を争うヤツなのさ、あの“紅のマリア”って女は。

 だから俺たちは大丈夫っていうわけよ。オーケイ?

 それに今回の相手はそれほど苦労しなくて済みそうな相手なんだ。なにせ特殊魔法しか使いこなすことのできない酷く珍しいヤツが相手だしな」


 酷く珍しいやつ?


「ほら、これだよ。この本」と言われて僕は一冊の本を髭面から渡された。そこには“魔法学校”というタイトルが書かれていた。「その作者が今回の相手さ」



 僕はその本を手に取り、少しだけ中身を読んでみた。どうもそれは魔法学校が如何に素晴らしいところか、ということが書かれた本のようであった。


「そいつが、ついこの間カスタニア村の一角で見つかったってわけさ。だから俺たちがこんなに長く理不尽に馬車に揺られているってわけよ」

「なんです、その特殊魔法って」

「さぁな、俺はあまり詳しく知らんが、戦闘に使える魔法ではないらしいぜ。だから心配することはないってよ」


 僕と髭面の男との会話に一瞬の空白が生まれた。


「それだけですか?」

「それだけとは?」

「だから、その特殊魔法のことですよ。他に情報はないのですか?」

「あぁん? それを知ってどうなる。戦闘に使える魔法じゃないってことだけ分かりゃあ十分だろ。俺たちはそれだけ知ってりゃいいのさ。俺たちにとって重要なのは相手が強いか弱いかってことだけで、他の情報に意味なんてねぇ」


 そうであろうか?


「あの例えばですけど」と僕は前置きした。「この本を読めば相手が何を考えているかってことも分かるかもしれないじゃないですか。そういうことは必要ないんですか?」


「全く必要ない。100歩譲ってその特殊魔法がなにかって突き止めることはいいかもしれねぇ。敵が何人いるとかってこととかな。でもな、そんな本を読んでどうなる。相手の考え方を知ってどうする。意味なんてねぇよ。これから殺す魔導士の考え方なんぞ知って」

「でも……」

「あのな坊主。長生きしたきゃそう考えろ。

 人間てぇのはな、余計な考えがあると判断力が鈍るもんなんだよ。

 だから、必要じゃない情報はなるべく頭に入れない方がいいんだ。そうだろう? いざって時、剣がでなけりゃ死ぬのはこっちだ」



 僕は、この時、こういう考え方の人もいるのだな、と思った。

 良い意味で合理的というか、悪い意味で無知であることを了承している、というか、自分自身を狭い檻に閉じ込めたとしても、それでよいと思える人間。


 でも案外こういう男こそが生き残るのかもしれない。


 最前線で戦う僕らにとっては、相手が強いか弱いか、ということがほとんど全てであった。だから、極端な話をすると、それ以外の情報が全くなくなったとしても生きていけるのだ。

 人は何かに特化されてゆくと、それ以外の部分がそぎ落とされてゆくと聞いたことがある。たぶん、彼もそういうことなのだろう。


 でもそれでも、嬉しい情報が一つあった。

 彼の話しぶりから察するに、今回の戦いは随分楽な戦いになるかもしれない、という雰囲気だけは伝わってきたからだ。


「そういやお前、聖具を身に着けるのははじめてか?」

「はい」と言って目線を落とした。



 聖具。盾と剣と鎧。

 これが今回の聖具になる。

 それぞれに不思議な紋様が刻まれており、それに司教様が手をかざすと奇跡がおこる。これらの装備が僕らを超人に変えてくれるのだ。


「まぁあんまり聖具に期待しすぎるなよ」と髭面は警告してきた。「聖具と言っても、防具や武器の延長線上の存在なんだ。

 魔導士たちと普通の人間との差をほんの少し縮めてくれる程度のものだと思いな。

 突然魔導士のように強くなれるわけでもねぇし、何か特別なことができるようになるわけでもねぇ。

 ただ単に、ほんの少し魔法に対する耐性がつく程度さ」



 そうなのか……。

 今の発言にはさすがの僕も少しガックリきた。


「大丈夫さ。今回の相手はそれでも大丈夫。しっかりしろぉい坊主」と僕を励ます髭面は、警告も忘れなかった。「だが、何事も用心が大切だ。実戦と練習は違うからな、そこもしっかり頭にいれとけよ」


 すると、その時であった。


「注目」と言う女の声が僕の耳に入り込んできた。

 声のした方をむくと“紅のマリア”が腰をかがませた格好でこちらを向いていた。


「そろそろ到着する」と彼女は言った。「皆、準備は整ったかい?」



 もうそんな所まで来ていたのか、と思った僕は急いで戦闘用の手袋をはめる。

 彼女はそのままの姿勢で、僕たち一人一人の目を確認してゆくと、よし、と小さく声をだし、作戦を述べた。



「デル、ゴーン、ザンブラは正面。私と見習いは裏手に回る。いいな」皆一斉にうなずいた。


 マリアが冷たい目つきで僕を見てきたので、僕も細かく顎を上下させた。

 それを確認したマリアは、馭者に馬車を停車するよう促した。

 馬の走る速度が段々緩くなってゆくのがわかった。


「あと当たり前だが」と前置きし、マリアは僕らを睨んだ。「決して容赦はするな。殺せ」



 殺せ、という言葉が頭の奥に深く響いた。心臓の鼓動が止まらなかった。

 

 殺し合いがはじまるのだ。殺し合いが……。

 息を吐いた。

 でも、もう僕は震えるだけの子供じゃない。

 僕は戦士なんだ。やってやるぞ、やってやる。



 やがて馬車の車輪が止まり「私に続け」と号令した紅のマリアが飛び出すと、それに続くように皆も馬車から飛び出した。


 僕も剣と盾を握りしめ、あとに続いた。

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