ユーリ編 フェンリル

第50話 フェンリル -1-






 それが、クアドラの語るねじまき村を焼き払った理由だった。



 燦々と光り輝く太陽が、風化し荒れ果てたねじまき村を照らし、家々から突き出した木々が風に吹かれ葉ずれの音をたてる。


 すぐ傍にはチョロチョロと流れるねじまき水路の水流の音が響き、その中心で僕らは上下に向かい合っていた。


 僕はクアドラに馬乗りになり、いつでも殺せるように彼女の喉元に剣の尖端を構えていた。

 仰向けになりこちらを見上げるクアドラの腕には聖具がまきつけられている。

 そして、それは僕の利き腕ではない左腕に繋がっていた。

 僕は奥歯をギリリ、と噛んだ。

 頭の中がおかしくなりそうな話だった。

 訳が分からない。


 地上を支配する魔獣フェンリル?

 未来から来た?

 地下で生まれ育った?

 ねじまき水路がそいつをこの世に復活させる起動装置だった?



 すべてが滅茶苦茶で支離滅裂な話だった。



「そんな話信じられるかぁああ!」と馬乗りの状態でクアドラに覆いかぶさっていた僕は叫んだ。クアドラは不敵に微笑んだ。そのほほえみは不気味で、しかも未だに戦う意思を放棄していないように見えた。


 ――馬鹿げている。


 すぐそばに迫った未来が地獄に成り果てているだなんて、そんなことあるわけがない。

 そんな馬鹿げた終末論を唱える奴もいるが、そんなもの大抵が嘘っぱちだ。それに――



「――お前のいう赤い光なんて僕には見えなかった!」

「ええ、どうやら魔導士にしか見えない光だったようね。私はあとから知ったけど、そういうものらしいわ」

「いいから真実を言え!」

「だから、真実よ。今の話が」



 真実であるわけがない。

 というよりも、嘘であってくれ、という想いが胸の中に溢れていた。

 だってそうだろう。

 この話が仮に真実ならば……、すでにフィーナはクアドラに殺されていたという事になる。


 手が震え、歯がむき出しになり、クアドラを睨む目に力がこもる。


「本当のことを言え!」

「私がわざわざ嘘を言う必要がどこにあるというの?」

「必要ならあるさ! 嘘を言って僕を油断させ、その隙に僕を殺すつもりだ!」

「それで……私の嘘で、どうあなたを油断させればいいのかしら?」


「それは――」と口籠るが、頭を横に振った。

 のせられるな。

 今までだってこの女はこうやって人を惑わし続けたのだ。

 そうだろう?

 しっかりしろユーリ。

 僕は改めてクアドラを睨みつけた。



「フィーナをどこへさらった! お前がさらったのは分かっているんだ! はやく、どこにいるのか居場所を吐け!」


「フィーナ?」

「僕の妹だ!」



 クアドラの視線が左上を泳ぎ、その口から吐息が漏れた。


「ああ、あの……泣いていた子……。ダインさんの背中におんぶされて……そして、そこから転げ落ちて、泣いていた子……」



 僕は歯を震わせながら聞いた。


「どこだ?」



 クアドラはしゃべらない。



「どこだと聞いている」


 ……

 我慢できなくなった僕は唾を吐き出すように怒鳴り声をあげた。


「どこだぁああああああああああああ! 言えぇええええクアドラぁああああああああ!」



 クアドラは僕を見上げたまま何も語らなかった。

 すでに僕の感情の波は限界まで到達していた。


 クアドラは喋らない。

 それはつまりこの話が真実で、村人たちがどうなったかなど、いちいち言う必要がない、というクアドラの意思表示に見えた。


 村人の運命など分かり切っているでしょう? と。


 それは……つまり……

 僕の緑色のウールの服を後ろから引っ張る妹の映像が脳裏に浮かぶ。

 その妹が無残にクアドラに殺される映像が脳の中で作り上げられてゆく。


 殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺してやるぞクソ女! 許さない! 許さないぞこのアバズレがぁああああ!


 僕は奥歯を噛みしめ、クアドラの喉元に突き付けた剣に力を籠めた。

 これで終わりだ。終わりにしてやる! 死ね、魔導士め!


 剣の尖端をしっかりと喉元にたて、そして一気に突き刺そうとするその直前だった。


「そう、やっぱりあの時のことは記憶にないのね……」とクアドラが意味不明な言葉を発したのだ。



 ――あの時のこと?



 剣を握る右腕が動きを止める。

 あの時のこととはなんだろう?

 まるでフィーナがどうなったのかを僕が知っているような口ぶりだ。


 フィーナがどうなったかなど知るはずがない。


 だって、あの時、隣で耳鳴りがするほどフィーナは泣き、僕はクアドラの放つあの青くて白くて不気味な光によって……




 ――あれ?



 僕はクアドラを睨みながら首をかしげた。



 ――おかしいぞ。



 太陽の光が僕を背中から照らし、彼女の青い瞳に直接日光が突き刺さる。

 だからだろう、クアドラは眩しそうに瞼をとじ、薄目で僕を見つめていた。


 まてよ? これはどう考えてもおかしい。



 僕の頭は透き通る湖のように、洗練された思考をもってクアドラの矛盾を炙り出す。そう、クアドラの話にはある決定的な矛盾があった。


 クアドラの話では村人の中に入り込んだフェンリルという魔獣がいて、その魔獣を滅ぼすために僕らを全員殺す必要があった、という話であったはずだ。

 でもそれはおかしい。

 クアドラの話が真実ならばここに居てはいけない人間がいるのだ。

 しかも二人も。



 それは……僕とクアドラ。



 クアドラの話が真実であれば、僕もクアドラも死んでいるはずだ。

 そうだ。フェンリルが誰に憑りついているか分からないから全員を殺さなければならないという話であったはずだ。なのに、僕らは生きている。


 おかしい。これはやはりおかしい。


 だが、同時に得体の知れない黒い不安が胸をざわつかせる。

 それは、どうしてこんな簡単に分かる矛盾をともなう嘘を彼女はついたのだろうか? という不安だ。



 こんな嘘、僕じゃなかったとしても簡単にバレたに違いない。

 だって、その矛盾を探し出すのはあまりにも容易であったからだ。

 全員を殺さなければならない、という話であったのに、二人も生き残っている……、こんな矛盾に気づかないわけがない。



 それは、クアドラの思考法に沿うなら、フェンリルをこの世から消し去る行為を放棄したことに他ならないからだ。


 そんなことをクアドラがするわけがない。


 そうだ。そうに違いない。


 ならば、この話はやはり嘘なのだろう。ということは、フィーナもまだどこかで生きているかもしれないのだ。


 そんなことを思ったそのあとに、空気と空気の隙間に入り込むようにその妖艶な声は聞こえた。



「ねぇユーリ……、後悔していることってある? もしもその時に戻れるならやり直したいことよ……」



 僕は歯をむき出しにし、怒りを込めて言った。



「お前に恋をしたことだ。お前に恋なんかせずに、もっと村の皆とのかかわりを大切にすべきだった。そして、もっと早くお前を殺せばよかった。いやジーンだって! あいつを信頼したばっかりに僕の部下はお前に殺され……くそ!」



 クアドラを見ると、クアドラの瞳が緩やかな青をしていることが分かった。

 その瞳はとても澄んだ青に見えた。



「私の後悔は……ためらったこと……」とクアドラは言った。「覚悟ができたつもりだった。いや実際に覚悟はした。

 どんなに愛しいものであっても殺さなければならない、という覚悟……。

 その覚悟をしたつもりだったのに……ためらってしまった……ほんの一瞬……


 あの時……私はたぶんずっと寂しかったんでしょうね。

 自分の半身であるアシュリーがいなくなり、私の心の中には穴が開いていた。

 声や態度には出さなかったけど、私はやっぱり寂しかった。

 でも、そんな私を温かく受け入れてくれたのがねじまき村の人々だった。

 嬉しかった。


 私は天涯孤独の身で、しかも、フェンリルに立ち向かわなけれればならなかったから、余計に嬉しかった。

 そう……まるでハウスに帰ってきたような気分になっていたの。

 あの時の私は……。

 そして、その中でも私は特にある男の子に心惹かれていたの。


 ユーリ……それがあなたよ……。


 今でも瞼を閉じると思い出すわ。

 茶色いウェーブのかかった髪に愛らしい黒い瞳。そして柔らかな頬が気持ちよくて、私は何度もその頬に触れた。


 あなたは優しくて、そして正しくて、ちょっと理屈っぽいけど……本当に可愛らしかった。あなたといると、なんといえばいいのかしら……まるで本物の家族と一緒にいるような安心感を覚えたの……。

 まるでアシュリーと一緒にいるような心地に……


 ユーリ、あの時のことを覚えているかしら?


 私はあなたのお父さんとお母さんを殺し、そして、いよいよあなたに近づいていった時のことを……。


 腰を抜かし、瞳を潤ませ私を見つめるあなたに、私はゆっくりと近づいていった。

 殺すつもりだった。

 たとえあなたであったとしても私は殺してしまわなければならなかった。

 もちろんその為の覚悟だってしたつもりだった。

 でもあなたの愛らしい瞳が私をみつめるうちに、胸の奥底がグラついたの。

 やらなければならないと分かっているのに……。冷酷にならなければならないと分かっているのに……。討ちもらせば世界が終わると分かっているのに……


 自分が憎らしかった。

 今更動揺する自分が許せなかった。

 気づけば指先が震えていることに気づいたの。足の先までもがすべて。

 でも、私はやらなければならなかった。

 全員を殺して、私も死ぬことだけがフェンリルの出現を阻止できる唯一の手段だったからよ。


 だから、私は自分の手に魔を集めたの。

 ユーリの瞳はいっそう怯え、そして命乞いするように私にすがってきた。

 だからたぶん、一瞬だけ魔法をユーリに打ち込むのが遅かった。

 本当に……ほんの一瞬……。

 そして、その一瞬が世界の運命を分けた」



 僕はクアドラが何の話をしているのかよく分からなかった。

 クアドラは喋り続ける。



「私が死にたかったのは事実よ。今だってそう。

 本当は死にたくて死にたくてたまらないの。

 本当は死んですぐにでも楽になってしまいたいの。

 でもね……私はクアドラなのよ。

 この地上に平和をもたらす存在クアドラ。

 だからこそ、そんな私が自分のことのみを考えて死にたいと思ってはいけないの。

 たとえ思ったとしても、実行してはいけないの……地上に平和をもたらした後じゃなければ……だから、私は死ねない!」


 不思議な口ぶりだった。

 それはまるで、まだフェンリルが生きていると言っているような……そんな口ぶりだった。


 心臓の鼓動が激しく鳴っていた。

 息苦しくなってきたような気がする。

 うまく息が吸い込めないのだ。

 どういうことだろう……、この女の言っていることなんて全部嘘だと分かっているのに……こんな矛盾だらけの話なんて、最初から嘘っぱちだと分かっているのに……


 それは、たぶん僕の本能の何かが感じていたのだ。



 皮膚が、心臓が、頭が、足が、手が、目が、口が、体全体が感じているのだ。


 僕の理性が気づかないなにかを、濃厚に感じているのだ。



 いや……そんなはずはない。そんなわけは……



 もしもクアドラの言っていることがすべて真実なら……、それはつまり……



「あの日、私は失敗したの。あの日……あなたが愛しくて一瞬ためらったことで、私はフェンリルを滅ぼすことに失敗したの。


 つまり、あなたを滅ぼすことに失敗したの。

 もうわかったでしょうユーリ。

 あなたがフェンリルなの。

 そう……あなたがフェンリルなのよ、ユーリ。

 あなたこそがこの地上を恐怖のどん底に叩き落した魔獣フェンリルなのよ」

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