第24話 特殊魔法「ホール」 ー5ー
「つまり、こういうことじゃ」と言いゴードンは続けた。
ゴードンはまるで人が変わったようにホールに関する部分だけを詳しく説明した。
それは必ずしもゴードンの頭がハッキリした、ということではないのだろうが、昔の自分が修行に修行を重ねた古い記憶なら、詳しく、更に長々と話すことができる、というのは彼のようなボケ老人にはよくあることであった。
とにかく、話をまとめると、ホールという魔法は、時間を移動することができる魔法だ、ということがよく分かった。
術者自身は何処にも行くことはできないが、術の対象者を過去にも未来にも自由自在に送ることができる。
そんな魔法。
この場合、未来に送られることにあまり価値が無いことはすぐに分かった。
そこは恐らく、どこまで行っても、あの毛むくじゃらの化け物が支配する抜け殻のような世界が続いているだけだからだ。
しかし、逆に過去へ送られるのは大いに価値がある行為だと思った。
まだ廃墟と化していない魔法学校に眠る大量の書庫の山と向き合いながら、奴を葬り去る魔法をジックリ探し出すことができるかもしれないし、あわよくば教会と魔法学校の対立を回避するために彼らを啓蒙することもできるかもしれなかった。
ただ、それとは別に問題が二つあった。
その一つはゴードン自身の魔力残量の問題であった。
最初、それは訳の分からない数式の話からはじまり、次にもっとよく分からない専門用語が連発されたのだが、ようするに、二人を一度に過去に送ることはできないし、恐らく一人を送るだけでも精一杯だ、という話であった。
二つ目の問題は、この魔法は恐らく片道切符になるであろう、ということだった。
この魔法をかけられ、過去へ飛ばされると、二度とこの世界に戻ってくることはないのだ。
――この時間にもどってくることはないのか……もう二度と……
暖炉の前に立ち尽くしていた私とベッドに座っていたアシュリーの視線が交錯した。私たちはこの上なく正確に自分たちの運命を感じ取っていた。
二人の旅はここで終わるのだ。
仮にどちらが過去へ送られたとしても、私たち二人の人生はもう交わることはないのだ。この先、ずっと……永遠に……。
どうしようもない悲しさが胸にこみあげてきた。
二人で戦い、二人で勝利するか、二人とも死ぬか。
私が想定していた道はそんな道だった。
でも、これからは、たった一人で道を歩かなければならないのだ。
私はそんなこと、一瞬だって頭をかすめたことすらなかった。
私が顔を曇らせていると「こっちにきてリリア」とアシュリーが呼んだ。
だから、私は暖炉の前から移動し、彼女の座る同じベッドに腰かけた。
「手をだしてリリア」
ベッドの上を這うようにゆっくりおずおずだした私の手をアシュリーは優しく握りしめた。
「きっと私たちはこのために双子に生まれてきたのよ」とアシュリーは言った。「私たちは一人で倍の価値がある。そして、同時に二人で一人の存在。そうでしょう? リリア。
私たちはたとえ離れ離れになったとしても、魂は繋がっている。
どんなに離れていても、もう二度と会えなくなったとしても……」
それはとても悲しくなるような別れの言葉だった。
でも、同時に贅沢な悩みかもしれなかった。
少なくとも私たちには道が開けたのだから。
二人でハウスから飛び出した時には、フェンリルを倒すなんて雲をつかむような話だった。
でも今は違う。
過去にいけばどうにかなるかもしれない、と思っていた。
ヤツの出現を未然に防ぐことだってできるかもしれない。
たぶんアシュリーもそう思ったに違いない。
アシュリーは、ベッドから立ち上がり、古の誉れ高い騎士が名乗りを上げるように自分の胸に手を添え、言った。
「私とリリアのどちらかしか行けない、というのであれば私がいくわ!」
その目は一切の迷いを含んでいなかった。
「私よりあなたの方が適任である、という理由を聞かせて」という私の問いに「ええ、もちろんよ」とアシュリーは返事をした。「まず私には人を説得できる力がある。必ずフェンリルの存在を皆に伝えて、仲たがいしている場合ではないことを自覚させるわ。
そして、私にはリリアにはない移動魔法がある。
私なら万が一過去の世界でフェンリルに遭遇したとしてもそこから逃げきれるかもしれない能力をもっている。そうでしょう? リリア」
ああ、そうだ。そうだった。と、私はハウスでアシュリーが大目玉を喰らったことを思い返していた。
もう4、5年ほど前になる。
アシュリーは禁忌とされていた移動魔法をお婆に無断で覚えたのだ。
ハウスから出てはいけない、というのはハウスにおける基本原則である。
だからこそ、半径10m以内であればどこにでも好きに自分の体を移動させることのできる移動魔法はまさしくお婆のもっとも憎む魔法の一つだった。
だが、それをしてはいけない、という言葉ほどアシュリーの行動意欲をかきたてる言葉はない。
結果的にアシュリーは独学で移動魔法を覚え、お婆はそれに激怒した。
思い出すと笑いがこみあげてきた。
懐かしかった。
そして、その理屈はたしかにそうかもしれないな、と私に思わせた。
過去の世界に送られるなら、きっとかなりの長丁場になる。
もしも、魔法を使える者と使えない者の仲たがいを防ぎ、魔法学校の書庫の山が焼かれなかったとしても、フェンリルが出現する可能性はある。
そうなったとき、辛抱強く戦うためには奴から逃げ、次節の到来を待てる人間でなくてはならない。
逃げる手段のない私が戦えば、私が死ぬかフェンリルが死ぬか、二つに一つの可能性しかないだろう。
「ね? 私の方が適任でしょう? リリア」と強い眼差しで私を見るアシュリーの瞳に光が宿っていた。
たしかに、アシュリーなのかもしれない、と思った。
お婆の話を思い出したからだ。
彼女はこの使命を遂行するために一番必要な資質をもっていた。
彼女はどんな時だって諦めない。
そして必ず皆を希望へ導こうとする。
その瞳は常に前を向き、その光は人を魅了する。
かつてハウスの指導者だったライルと同じ光だとお婆は言った。
彼女ならばひょっとして。ひょっとするかもしれない。
……私はゆっくり深く、一度だけ頷いた。
この瞬間、私たちの役割は決まった。
過去へ行き、フェンリルを止めるアシュリー。
そして、それを待つ私。
「オーケイ」と言ったアシュリーは口角の片方をあげた。
彼女の胸が興奮で高鳴っているのが分かった。
未知に挑戦するほど面白いことはない、そう言いたげな顔つきをしていた。
「私はいつでもいいわよ。今すぐにでも過去に送りなさい」とアシュリーが威勢よく言い放った。そう言われたゴードンは、丸椅子に座り、ぶつぶつ呟くように何かを言っていた。
「なんじゃったっけ。ここまで出かかってるんじゃが……。あの時ラズロがたしか……」
アシュリーは構わずしゃべり続けた。
「ホール、というのは具体的にどのぐらいの時間がかかる魔法なの? 呪文を唱えてから効果を発揮するのに、何日も何時間もかかるものなの?」
ゴードンの反応は相変わらず鈍かった。
「ねぇゴードン。どうなの?」と言葉をかけるアシュリーの問いにゴードンは答えず。まだ独り言をぶつぶつと言っていた。
眉をひそめるアシュリーと目が合った。
突然どうしてしまったというのだろう?
それとも、これがボケ老人のペースなのだろうか?
アシュリーが大きなため息をついて、私を見ながらゴードンに向かって下あごを突き出した。
ゴードンの面倒を見ろ、ということらしい。
どうやらゴードンの扱いについては、私の方が上手であることをアシュリーも認めたようだ。
私は再び暖炉の前の丸椅子に座るゴードンの前にしゃがみこみ、彼に尋ねた。
「次元修正魔法ホールを今使うことができるかしら? ゴードン」
「え?」と私の姿をはじめて見たようにゴードンは驚くと「ああ、まぁの。太陽が出ていたらいつでも可能じゃ」と言った。
私は振り返り、どうだ、という顔つきでアシュリーを見た。
アシュリーは半分笑いながら肩をすくめた。
その顔は、はいはい、私の負けよリリア、その老人を相手にするのはあなたにまかせるわ、と言っているようだった。
そうして、なんだかそんな状況がおかしくて、私たちは互いの顔を見て笑った。
「全く歯が立たずに私がリリアに完全に負けるなんてね」とアシュリーは笑った。「あれ以来かしら。鋼鉄化の魔法。あれだけはリリアの方が上手かったわよね」
「他の全てで負けていたけどね。私はどうしてこんなに能力の差があるのだろう、って思っていたわ……。でも、アシュリーはいつも私の味方だった……」
数秒、二人は黙り込んだ。
「もう、行くの?」と聞いた。
「もちろん」とアシュリーは答えた。
私は目をつぶった。
彼女はまるで炎の魔法みたいにどこかに一直線に飛んで行く子だったから。
きっと、そう答えるに違いない、と思っていた。
「過去に行ってまずどうするつもり?」
「うーん、そうねぇ。まずはゾビグラネを探すわ。そして色々と説明して力を貸してもらうつもりよ。そうして暇なときには理髪店の店員になるの」
「理髪店?」
「そうよ。過去の世界には“職業”というものがあるそうで、理髪店の店員もその一つね」
「なにそれ……、その“職業”っていうの」
「何って言われると表現するのが難しいわね。
私たちにも様々なハウス内での役割があったじゃない。
あれはすべて義務だったわよね?
でもね、職業と言うのは、誰でも、どんなものにでもなっていいの。
そういうことが過去の世界では許されているの。
例えば理髪店なら、人の髪を切るだけでいいの。
野菜を育てなくてもいいし、モグラをとらえることも必要ないの」
「じゃあ、その人たちは一体どうやって食べ物を手に入れているの?」
「例えば髪を切るじゃない。そうすると、髪を切ってもらった対価として、オカネが払われるの。そのオカネを使って、オカネと食べ物を交換するのよ」
「オカネってなんなの?」
「オカネっていうのはね。モグラの肉みたいなものかな。モグラの肉を分けてあげるから、あなたのお気に入りのお皿を頂戴って言われたとして、小さいモグラの肉ならリリアはどうする?」
「拒否するわね」
「そうよね。でもこのモグラの肉が5個だったらどうする? 交換する?」
「う~ん、するかもしれない」
「でしょう? それが、このオカネというものなの。私たちのハウスの中ではモグラの肉は絶対的な価値をもっていたわ。
だからいつでも何かに交換可能だったし、簡単に持ち運びもできた。
オカネというのはそういう、簡単に持ち運びができて、何かに交換可能なものを指しているのよ」
「でも、それならモグラの肉でいいじゃない」
「ハウスではモグラの肉は絶対的なものだったけど、地上の世界ではそうでもないわ。モグラの肉をいらないって人がいるかもしれない。
それに、モグラの肉はいずれ腐るわ。
だけどオカネは腐らない。
そして皆腐らないものが好きなのよ。
まぁだから、そういういつでも交換可能なものがオカネというわけ。
この説明で合っているか自信がないけど、こんな感じのものかなオカネって。だからこそ、皆は自分で食料をとらなかったとしても、自分の好きなことをして働くことができるの。
過去の世界はそういうところなの」
「へぇ~」
「もしもリリアが過去に送られたのなら、孤児院とか向いてそうな気がするわね」
「孤児院?」
「身寄りのない子供たちの世話をする所よ。
このゴードンの世話がこんなに上手いんですもの。
子供ならもっと簡単に決まっているわ」
「そうかしら?」と私は苦笑いした。
でも、そうかもしれない、とも思った。
アシュリーが言うと、不思議な説得力があった。
「ああ、そうそう。そういえば、さっきあんまりにもゴードンの説得が上手いんで言いそびれちゃったけど、リリアはこれを見た?」と言って一枚の紙きれをアシュリーは私に見せてきた。
「なにこれ?」
「ゾビグラネの遺言よ。日記の最後のページに挟まっていたの。ちょうどさっきそれを見つけてね」
そこには確かにこれまで聞いたゴードンの情報が載っていた。
銀色の髪の少女がお前を尋ねに来る。
その人物にホールをかけてこちら側に送ってこい、と。
そして、その人物にあることを教えろとも書いていた。
「B3の2Dの14? なにこれ?」
「合言葉だそうよ。その下に小さく書いてある」
そこには確かに別の人物の筆跡で、合言葉と書かれていた。
「危なかったわねアシュリー」
「見つけることが出来てラッキーっていうところね。まぁこのゴードンを見れば、そこを責め立てるのは酷でしょうけど」
視線を少しさげると、また理解不能な独り言をゴードンがぶつぶつと呟いている姿が見えた。この人物にもかつて夢があり、それを追いかけていた時期があったのだ。
そして、彼はこの世界が壊れてゆく様をずっと見ていた。
それでもこの地で私たちを待ってくれていた。
そう思うだけで彼には感謝の言葉しか思い浮かばなかった。
すると、季節外れの台風のように、ゴードンは突然さっきの質問に答えた。
「そんな何日も何時間もかからん。ホールはほんの10秒くらいで効果を発揮する魔法じゃ」
私とアシュリーは目を合わせ、大笑いした。
さぁ行こう。
もう言葉を交わさなくても、互いの言葉が分かっているように私たちは外を目指した。
ゴードンのウールの衣服の後ろが丸まり、背中が丸見えになっていたので、私はそれを伸ばしてズボンの内側に入れてあげようと思い「立ってゴードン」と彼に言った。
彼は幼児のように素直に立ち上がり、私が衣服に触れるのを許してくれた。
すると、そのはだけた背中にまるで渦を巻いた形をした入れ墨のようなものが見えた。
そういえば、そんな記述が日記にあったかもしれない、と思った。
日記では彼は喜んでいた。
このゾビグラネから貰った印が彼の人生の誇りだったのかもしれない。
「早く!」と外でアシュリーが楽しげに言うので、私は、素早くゴードンのウールの上着を伸ばし、引っ張り上げたズボンの内側にしまい込んだ。
そして「さぁ行くわよゴードン」と言い、彼を家の外に連れ出した。
眩いばかりの日の光が私たちの瞳に飛び込んできた。
さっきよりも明るく感じた。
太陽は東の山々から顔を出したばかりだと思っていたのに、もう真上のあたりまで登ってきていた。
青々とした空には雲一つなかった。
先ほどまでの強い風もどこかに消えてしまったようだった。
「聞いてゴードン。ここにいる銀色の髪のアシュリーを過去に送ってほしいの」と私は彼に言った。
アシュリーはそのすべてを私に任せるように腕を組み、目をつぶって立ち尽くしている。
ゴードンはぶつぶつ独り言を言いながらも「分かった」と言い、アシュリーの背中に手をかざした。
私はちょうどアシュリーと向かい合うようにして立ちあがった。
アシュリーの顔が正面に見えた。
「ホールの答えを聞いてすぐに出発。本当に忙しい女性ねアシュリーは」
「駄目かしら? 思い立ったらすぐに行動するのが私なの」
「知っているわ」私は口元をニヤつかせた。「だって、あなたはいつだって落ち着きが無くて、反抗期が直らなくて、一人で突っ走る。……それがアシュリーでしょう?」
「ええ、そうね。それが私ね」
「……元気でね。永遠の反逆児」
「あなたこそ元気でね。リリア。私がいなくなったからって、ハーフっていう呼び名に戻らないでちょうだいよ。分かったわね? 私のリリア」
私たちは立ったまま抱き合った。
きつく、更にきつく、別れの抱擁をした。
……そんな時だった。
視線の先に奇妙なものが見えた。
それはたぶん私たちぐらいの背の高さの狐とも狼ともつかない獣だった。
それが直立不動で立っているように見えたのだ。
私はボォーっとしながらそれを見ていた。
その獣も黙ってこちらを見ているようだった。
「おー、そうそう。そうだ。そういえば」とゴードンがしわがれた声を出した。「ようやく思い出したわい。ホールを唱える前に思い出せてよかった。
あの時、ゾビグラネ様の遺書をラズロからもらい受けた時、ラズロが言っておったことをようやく思い出したんじゃ。
ゾビグラネ様の予言の言葉には銀色の髪の色白の少女としか書かれていないが、名はリリアという名じゃとラズロは確かにワシに言いおった。
銀色の髪の少女は『リリア』という名じゃ、と。
でも、この時代に残るのがリリアの方なのじゃろう?
これはどういうことじゃ?
ワシは今アシュリーを送ろうとしとるのじゃろう?」
その獣は、奇妙な赤い瞳でジッとこちらを見つめていた。
心臓が鳴っていた。
たぶん、その直立不動で立つ獣の大いなる違和感に気づいたからだ。
ほんの数m先に立っているように見えたその獣は、よく目を凝らすと、そこに立っていなかった。
なのに、不思議なほど近くに見えた。
次の瞬間、それは私たちの近くに立つ、私たちぐらいの大きさの獣ではなく、遥か遠くの場所に立っているのに、まるで近くに立っているように見えるほど、途方もない大きさの獣である、と気づいたのだ。
そんな生き物に私は心当たりがあった。
額から流れ落ちる汗に混じり込むように、一言呟いた。
「フェンリル」
その刹那、獣の目が光り、口から何かが発射された。
それは恐らく一瞬よりも短い時間だった。
私は筋力強化の魔法を瞬時に自分にかけると、ゴードンとアシュリーの襟首をつかんで力いっぱい跳躍した。
――間に合え!
次の瞬間、ラウルハーゲンの街の中央を光が貫き、ものすごい爆風が吹き荒れ、建物が木の葉のように舞った。
私の瞳は、砕け散り舞い上がる建物の隙間から、あの巨大な獣の姿をとらえた。
四つの目があり、口は裂けており、口の中は牙だらけで、手には長い爪が生えていた。そんな狐でも狼でもクマでもない奇妙な毛むくじゃらの巨大な化け物。
それが生まれて初めて見る魔獣フェンリルの姿であった。
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