リリア編 ある村での出来事

第45話 ある村での出来事 -1-



 ねじまき村はとても温かい村だった。

 気候が温暖である、という意味ではない。

 もちろん気候面でも穏やかな村であることは間違いないのだが、そういうことではなく、ねじまき村の住人と接しているだけで心が温まってゆくような……、そんな気持ちにさせてくれる村だったのだ。


 例えば、ユーリは少し理屈っぽいところがあるのだが、根が優しく、少々間が抜けており、頬を撫でると顔を赤らめる。

 そんな子だった。


 何かの拍子にウェーブのかかった髪を人差し指でくるくる巻き上げるのが彼の癖で、そのせいか、ユーリの髪の毛は年中曲がりくねっていた。

 私は彼と喋るといつも癒されていたような気がする。


 サラサラな髪のライラは、大人びた行動をとることに執念を燃やしているような子で、子供っぽい行動を嫌い、友達にも大人らしくあることを押し付けるようなところがあった。

 でも、ふとした拍子に弱気になり、借りてきた猫のように小さくなるのだ。

 どことなく、小さい頃の自分を見ているような気がして放っておけなかった。

 だから、喋るたびにあの子を励ましていたような気がする。


 キャルは見ているだけでこちらまで楽しくなってくるような子だった。

 彼女は自分の感じたままに行動し、周りの反応を気にしない。


 たぶんそのせいで、ユーリはいつも彼女に頭を悩ませていたし、ライラなどは彼女をたしなめることに人生を捧げているようなところがあった。

 でも、キャルはそんなことなど全く気にしないタイプだったので、皆がタブー視する村の噂話ですら、私にためらいなくしゃべった。


 彼女から聞いた噂話で最も印象的だったのは、ケイトと呼ばれる女性を取り囲む三角関係の話だ。

 ケイトは美人で、品が良く、村長の娘という続柄もあり、村の男性には昔から人気のある女性だったらしい。


 そんな彼女はほんの少し前までレンブラーさんの妻だったそうだ。

 しかし、ある時を境に彼女はダンさんの妻となった。


 なぜそうなったのか、というのはキャルにはよく分からなかったそうなのだが、とにかく、この恋多き女性は愛という価値観が最も重要であるらしく、その時最も愛する人と一緒にいたい、という哲学をもち、それを実行に移していた。


 でも、キャルの話では、また最近ケイトの心変わりがあったらしく、どうやら彼女はダンさんも運命の男性ではないのではないか、と思い始め、結局またレンブラーさんとくっつきつつあるのだそうだ。


 もしもハウスで同じようなことが起こったら結構な問題になっているかもしれない、と思い私は苦笑いをした。


 あとはなんだろう。


 ダインさんとベンさんが酔った席で、自分の取り分をめぐって殴り合いの喧嘩をした話とか、その二人が翌日何も覚えていなかった話とか、巨木の下でしか用をたさないライラの話などを彼女はしてくれた。


 私は話を聞いている途中でおかしくて腹を抱えて笑ってしまった。


 皆、それぞれ人間臭かった。

 怒りっぽい人、ひょうきんな人、穏やかな人や、愛に生きる人。

 年中笑い、怒り、賑やかさが絶えない村だった。

 そして、この村の人々はゲストである私にも、とてもやさしかった。


 まるでハウスに帰ってきたような気分になった。


 お婆がいて、マークがいて、そして皆がいる。

 そんな気持ちにさせられた。

 だからなのかもしれない。

 私は、穏やかな気持ちでフェンリルへ立ち向かうための手はずを整えていた。

 具体的に言えば、それは、封印の術や、魔法の知識や、フェンリルに関する知識を身につけることを指した。


 まずフェンリルの話をする。


 私は黒の館のあらゆる書を読み漁り、フェンリルが何者であるのか、という問いに答えを出すところまできていた。


 私が思うに、フェンリルはほとんど、カルニバル、という召喚獣で間違いなかった。

 まず、外見が似すぎていた。

 書の中に記述のあるカルニバルは毛むくじゃらで目の数が四つある化け物であったそうだが、それは私が見たフェンリルとあまりに酷似していた。


 次に、カルニバルがフェンリルであれば、かつてハウスの長部屋で読んだ『フェンリル記』の矛盾だらけの記述を上手く説明できるのだ。


 カルニバルは、人の肉を食べれば食べるほど強くなり、巨大になる。


 フェンリル記には、小さなフェンリルと、大きなフェンリルの存在が示唆されていたが、もしも人を食べる前のフェンリルと、人を沢山食べたあとのフェンリル、がそれぞれ、小さなフェンリルと大きなフェンリルにあたるならどうだろう?

 その記述に納得がいく。


 それはお婆のいうところの、フェンリルはこの世にたった一体しか存在しない、という話とピッタリ噛み合うのだ。


 そして更にいえば、フェンリルが一度倒されたことがある、という噂とも矛盾しなかった。


 なんでもこのカルニバルという召喚獣は、何度倒しても蘇る召喚獣で、別名、不死のカルニバル、とも呼ばれていた。


 だから、アシュリーはあのとき封印の術の話をしていたのだな、と思った。

 カルニバルは不死であるために、封印の術でしか倒すことができないからだ。

 本当に驚くべきことだが、アシュリーはハウスの中で既に真実に辿り着いていたのだ。



 でも、と思った。

 その場合一つ矛盾がでてくる。


 何で私がこんな簡単に辿り着いた答えに、世界中の人々は気づかなかったのだろうか? という矛盾だ。

 少なくとも未来の世界にも優秀な人々はいたはずで、そんな人々であれば、簡単に答えに辿り着きそうな気もした。


 私が間違えているのかしら? それとも……、分かっていても倒せなかったのかしら? と思い、白い紙に書きなぐられたあらゆる模様を眺めた。


 このすべての模様は召喚陣と呼ばれる模様であった。

 召喚陣とは召喚獣を呼び出すために使われる特定の模様で、この召喚陣に魔の波動を流し込むことで召喚獣を呼び出すことができるのだ。


 私は、その独特な模様に目を細める。

 ミミズが這ったような模様もあれば、三角が何重にも重なっている模様もあった。


 これは、この黒の館の中の魔導書に記述されているすべての召喚陣を書き写したもので、この中にはカルニバルを呼び出すための召喚陣はなかった。



 もしも、世界中の人々が今の私と同じ状態だったなら、ヤツを倒せなかった理由にも説明がつく。


 彼らは、たとえフェンリルがカルニバルだと分かっていてもどうすることもできなかったのだ。


 だって、カルニバルを呼び出すための召喚陣なしに、カルニバルを封印することなどできないからだ。



 召喚術とは、召喚陣と呼ばれる特定の模様に魔の波動を流し込むことで異界より超生物を呼び出すことができる魔術なのだが、封印の術ではその逆の手続きをする必要があった。


 封印の術では対象の体のどこかを触りながら指で召喚陣と呼ばれる固有の模様を描き、魔の波動を抜き取ることで召喚獣を封印する。


 つまり、その召喚獣を呼び出す際に使われる固有の模様(召喚陣)を知らなければ、封印の術などできるわけがないのだ。

 恐らく、未来の人々は、カルニバルを呼び出したり、封印するための鍵となる“召喚陣”を見つけ出すことができなかったのだ。


 そうだ。きっと、そうだったのだ。


 その召喚陣が見つからない以上封印することはできない。


 封印できない以上、もうどうすることもできなくて、この地上を諦め、穴倉に籠る生活を選んだのだ。未来の人々は……



 夏の終わりに吹き始める薄らさむい空気が鼻の中を通り抜けた。

 私はカルニバルの召喚陣を求め、そろそろ旅立たなければならない気がしていた。


 この土地の人々は温かい、でも、世界を救うためにはやもうえない。

 少し寂しかった。

 聞けば、そろそろ秋がやってきて、その短い秋も過ぎたら、冬が来る。


 ここは沢山の雪に囲まれる土地で、だからこそ、この村の人々は、春になるまでこの村に籠る“冬ごもり”と呼ばれる準備をするそうだ。


 だから、雪に囲まれ抜け出せなくなるまえに、このねじまき村から去らなければならなかった。



 千年前の古代アッカルク文明なんて、一体どこにあるのだろう?

 分からない。そんなことわかるはずがなかった。

 恐らく世界に残された猶予は数年程度。

 私はその前に古代アッカルク文明を見つけ、その中に埋もれたカルニバルの召喚陣を見つけなければならないのだ。



 でも、と思った。

 フェンリルが、カルニバルであるというのなら、カルニバルを召喚した人物がいるのだ。少なくともこの世界に絶対に一人は……



 そう、それだけは間違いなかった。



 ならば、誰が一体何の目的で召喚したというのだろう?


 世界の全てが滅んでしまうというのに。どんな頭の悪い人間がそんな行いをしたというのか……


 どことなく、ゾビグラネのような思想をもった人物がそのようなことをしたのではないか、という気がした。


 たぶん、あのような思想をもった人物が自分の滅びと引き換えに皆を引きずり込んでやろう、という想いでそうしてしまったのかもしれない。



 ………………



 いくら考えても答えが出るはずなどなかった。

 一度ゾビグラネと膝を突き合わせてゆっくりと話をしてみたかった。

 たぶん彼はこの時代で最も影響力のある人物の一人であるだろうから、彼の思想を変えさせることができたとしたら、ひょっとしたら魔導士全体の思想にも変化が生じ、フェンリルの召喚を阻めるかもしれない、と思ったのだ。


 そうなればいい、きっとそうしなければならないのだ……私は……。


 たぶん、それこそがこの問題を穏やかに解決させる最良の手段であるような気がした。


 そうなればいい、きっとそうなればいい。

 私は同じ言葉を心の中で二度呟いた。



 だが、皮肉なことに、私はこの翌日の朝知るのだ。


 ゾビグラネがあの戦闘で既に死んでいた、という事実を。

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