第9節

「どうしてあたしが? そりゃ、ここに住まわせてもらう以上、巫女さんの仕事はちゃんとやるけど」


 巫女さんの仕事って、境内を掃いたりお守り売ったりすることじゃないの?


 あたしの巫女さんのイメージは、とても曖昧なものだった。直接目にしたこともなかったのだ。


 年末年始に飯縄家のみんなが神社に行って初詣したり、七五三したり。そういうのはテレビで知っていたけれど、実際にあたしが行ったことのある、神社にまつわる行事なんてひとつもない。


 ただ、そんな情弱なあたしでもわかる。「神様を復活する手伝い」? そんな大層で非現実的な役、とてもあたしにつとまるとは思えなかった。


「仕方ないだろう。お前は、ナオが選んだ巫女だ。ナオは普段のぺーっとしているが、ただの神主ではない」


「のぺーって、あんた……」


「全身の穢れで昨日は気付かなかったが、さすがはナオといったところか。やつは、神に仕え神の声を聞く『神祇官じんぎかん』という。そいつが巫女に選んだのなら、神に愛される資質があるってことだ」


 神に、愛される資質?


 霆門が何を言いたいのかわからないが、霆門のきれいなシーブルーの瞳がまっすぐにあたしの目を――その奥まで見抜くように、見つめていた。


「お前にはこれをずっと持っていてもらいたい」


 霆門は着物の内側から、薄い青色の卵を取り出した。それは手のひらにすっぽりと収まるサイズで、白い羽のような模様がついていた。


「たまご?」


 青い卵を霆門から受け取る。表面がツルリとした感触で、ほのかにあったかい……


「姫様の魂のかけらが入った『神のたまご』だよ。人の優しさや、愛情に触れるとそのあたたかな力が姫様に流れ込む。善行を積むんだ。姫様の復活する力になる。これは、神が愛する人間にしかできないことなんだ」


「善行とか、魂とか言われても、あたしよくわかんないよ」


「お前が目に見えるものしか信じないことも、昨日わかった。だから別に難しく考えなくていい。人が「ありがとう」と言ってくれる行いをすればいいんだ」


 善行――よい、行い。あたしがしたことも、施されたこともない行い……

 どうすれば人が喜んでくれるのか、あたしにはわからない。でもあたし以外にできないんだってことも、霆門の切実そうな顔を見ていれば伝わってくる。


「……これが、あたしの巫女としての仕事ってわけね」


 なんだか……信じられないことばかりだけど、すごく重要な仕事を任されている気がする。

 あたしがそう答えると、霆門は少しびっくりしたような顔をして、そのあとすぐうなずいてくれた。


「そうだ。なんだ、物わかりがよくなってきたじゃないか」


 そう言って霆門は、初めてふっと笑って見せた。

 いやみったらしさのない、少し安心したような顔。


 その笑顔を見ていると……胸の奥がざわざわしてくる。十河さんが優しくしてくれるときのくすぐったさとも違う、なんとも落ち着かない感じ。だからなのかな。あたしはすぐに目線を外した。霆門のことを、ずっと見ていられなかった。


「だがその前に、お前は禊ぎを受けなくてはならないな」


「ミソギ?」


 またもや聞き慣れない言葉に戸惑っていると、霆門があきれたようにため息を返してきた。


「お前は、自分の魂がこんなにも穢れているのが見えないのか」


 そう言って、霆門は何気なくあたしの額をトンと小突いた。

 避けようがないほどその動きは自然で、素早く、迷いのない動きだった。


 何をするの――そう、言葉を発する前に。


「――!? なに、これ……!?」


 視界が真っ暗になる。ただの黒ではない。濃い血のような、どす黒い赤が混じる不気味で気持ちの悪い暗い色の世界。


 それはもやのようにあたしを包み込んで、全身にまとわりついている。


 今まで見たこともない風景。だというのに、このもやが放つ空気は、においは、雰囲気は、ずっとずっと昔から知っているもののような――


「こんなものがずっとまとわりついているなど、通常ではあり得んことだ。……これは、強烈な呪いだよ」


 呪い。それを口にした霆門は、不快そうに眉を寄せていた。あと一歩近づけば触れそうな距離にいるのに、二人の間には見えない壁があるかのようだった。


 黒いもやは、意思をもっているかのようにぐねぐね動いていた。目に見えた途端、ものすごく息苦しくなる。血のような生臭いにおいがツンと鼻を刺激してきた。


 これは、すごく、嫌なものだ。


「いやだ、霆門、これ……いや……!」


 今すぐ、取り除きたい……!!


 怖い。恐ろしい。嫌だ。心が苦しくなればなるほど、黒いもやはぶわりと大きくなった。恐怖心はさらに広がる。そして、直感的にわかってしまう。


 このもやは、あたしを食べる気だ――


「落ち着け、闇に飲まれるな! 自我を失えば取り込まれるぞ!」


 霆門の声が焦っている。でもその声はすごく遠くにいるように聞こえた。


 ああ。また、ひとりぼっちになっていくのかな。

 ――そうだよ。お前を愛するものなんて、この世にいるわけがない。


 どこかから――ううん、あたしの中から、あたし自身の声が聞こえてくる。


 その声はやたらと静かで、大人で、ずんと胸にしみてくる。この声にそう言われてしまえば、納得してしまいそうになる……


「神籬、しっかりしろ! 神籬エリカ!」

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