第39節

 モモちゃんは元気よく答えて、奥のキッチンスペースへ歩いていった。あたしは大きな鏡の前の、革張りの立派な茶色い椅子に手招きされ、そこに座る。霆門は少し離れたカフェスペースに座ったようだ。


「急にこんなことになって、びっくりしたでしょう」


 モモパパが、優しく話しかけてくれる。その声はまるで上質な音楽のようで、威圧感なんかは一切なかった。


 大人の人って、こんなに優しい声を出す人もいるんだ。


「ええ、まあ、昨日言われたばっかりで……ようやく今回モモちゃんが誘ってくれた趣旨がわかりました」


 モモちゃんは、あたしを変えようとしてくれてたんだ。


 おしゃれな洋服。おしゃれな髪型。おしゃれな、時間。


 同情や憐れみなどではない、モモちゃんの心からのおもてなし。彼女の優しさに感動して、友情の深さに改めて驚いていた。


「そうなんですよ。とはいっても、エリカさんのことは前々から何度も聞いていましてね。小学校の頃はそれこそ毎日のように、やれエリカさんをどこで見かけた、やれエリカさんから話しかけられたと、それはそれは嬉しそうに話すもので」


 モモちゃん……!! 一体あなたは、何人のご親戚にあたしのことを言いまくってるの……!


 いよいよ恥ずかしさで顔を覆いたくなってきた頃。銀色のトレイに三つティーカップをのせたモモちゃんが戻ってきた。


「おまたせ~! エリカちゃんはアールグレイでいいかな?」


「あ、うんっありがとう」


 正直アールグレイが何かわかっていないあたしは、雰囲気でこくこくうなずき、ひまわり柄のカップを受け取った。


 ほんわりと白い湯気を上げる紅茶は、琥珀色。くんくんとかいでみると、かすかにオレンジの香りがした。柑橘系の香りがつけられているのかな。こくん、とひとくち飲んでみると、あたたかい液体が疲れた体にしみわたり、さわやかな飲み味が疲れを癒してくれた。


「美味しい……!」


「でしょう~。お気に入りの紅茶屋さんがあるの! 今度一緒に行こうね」


「うんっ!」


 ああ。友達と会話している。次の約束をしている。充実している。こんなにも素敵な休日を過ごすのは、生まれて初めてだ。


 これが友達かぁ。友達とのお出かけかぁ。楽しいな。素敵だなぁ。これなら毎週どこかに出かけたくなる気持ちもすごいよく分かる!


 モモちゃんは霆門の座るテーブルに残りの二つのカップを持っていき、霆門の反対側に座った。霆門はいつもの無表情のまま、モモちゃんを興味なさげにチラ見だけして、あとは外の光景に視線を移してしまった。


 その様子を鏡越しに見ていたあたしは、モモパパに視線を戻した。モモパパはあたしの枝毛がぴょんぴょんしている髪を触ったり、眺めたり、とかしたりしながら、何かを考えているようだった。


「あの、髪、切るんですか」


「ん? うん、そうだよ。毛先がけっこう傷んでるから、少し切ろうか。なりたいイメージとかはある?」


「いいえ……美容室でカットすること自体初めてなので、お任せします」


「おぉ、それは貴重な体験だ。光栄だよ。力いっぱい、きみを素敵にするからね」


 こ、こういう恥ずかしいセリフをさらさらっと言えてしまうのも、賀田矢家特有のものなんだろうか。


 そのあとモモパパに、いくつかヘアカタログ(初めて見た!髪型がたくさん載ってるの)を見せてもらい、あたしが可愛いと思った髪型を教えていく。


 大体二冊目を読み終わったあたりで、モモパパは、よし、とうなずいた。


「オーケー、いろいろ教えてくれてありがとう。初めてだと不安もあるだろうから、なるべく希望のイメージにしてあげたくてね。じゃあ、やっていこうか」


 そう言ってモモパパは、首の穴と手の穴が開いているだけの白いポンチョをぶわりと広げ、首の穴がちょうどよくなるようにマジックテープで留めた。


 わ、わあ、なんだか緊張する。モモパパは霧吹きであたしの髪を湿らせながら、さっそく銀色のはさみでちょきちょきと髪を切っていった。


「ぼくはヘアだけでなく、メイクもできるんだ。本当は妻がしたいと言っていたんだけれど、あいにく海外出張中でね」


 彼女はメイクアップアーティストなんだよ、と、整った顔立ちをデレデレにしてモモパパはそう語った。


 わぁ、いいなぁ~。夫婦円満。


 にしても、すごい家だ、モモちゃんち。パパは美容師、ママは売れっ子メイクアップアーティスト、叔母はファッションサイトの運営。富と名誉は、集まるところには集まってるんだなぁ……


「妻もきみにすごく会いたがっていてね。良かったら今度、うちに遊びに来ておくれ」


「はい。ありがとうございます。ぜひ」


 しょきしょき、という心地よいリズムのはさみの音を聞きながら、あたしは力強く答えた。


 本当にいい家族。話しているだけで、あったかい気持ちになる。世の中には、こんなに素敵な家族もいるんだなぁ……


 あたしが心のあったかさに心地よくなっていると、かたん、と椅子を動かして誰かが立ち上がった気配がした。モモちゃんだった。


「それじゃあ、エリカちゃんの変身が終わるまで、霆門くんを借りようかな!」


「えっ?」


 あたしは夢心地に落ちかけたまぶたをグイと持ち直し、顔は動かさないままモモちゃんを見た。あたしと目が合ったモモちゃんは、楽しそうにウインクした。


「せっかくちょうどよさそうなメンズがいるんだもん。変身シーンは多くの人が見たほうが楽しいんだよ!」


「変身シーンって、悪の組織を倒すんじゃないんだから……」


 思わず苦笑していると、モモちゃんはすっと笑みをひっこめた。そして霆門に向き直り、NOと言わせない迫力で迫った。


「よろしいですよね。ちょっとお話したいこともございますし」


 しばらく、考え込むようにモモちゃんの目を見つめていた霆門だったが――軽くうなずくと、椅子から立ち上がった。


「……いいだろう。緑茶が美味い店に案内しろ」


「わかりました。抹茶パフェもお付けしましょう」


「うむ。なかなか分かっているな」


 まるで悪代官とのやりとりを交わしながら、霆門はあっさりとモモちゃんの要求をのんだ。正直、素直に従うと思っていなかったあたしは内心驚きの声を上げた。


 あの霆門が、珍しいこともあるもんだ。モモちゃんの話って、いったい何だろう……?

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