第29節
「あぁっ、エリカさん!」
ようやく追いついたナオさんが、霆門ごとあたしを抱きしめた。一瞬喉がぐっと押されて、あたしと霆門はグェっとカエルみたいに、一緒にうなった。
「遠方からすさまじい闇の気配を感じて、そのあと急になくなってしまって……! 霆門は結界が展開されたっていうんですが、訳が分からなくて、居ても立ってもいられなくって……ああ、本当に、本当に無事でよかった」
ナオさんは興奮気味にそう言うと、とにかくよかったです、とぽろりと涙をこぼした。あたしはナオさんにまで心配をかけたのがなんだか申し訳なくて、「ごめんなさい」と小さくつぶやく。
「あなたが謝る必要はありませんよ、エリカさん。」
ようやく体を離したナオさんは、いつものあの柔らかい笑みであたしの頭をなでなでしてくれた。くすぐったい感覚に、あたしもつられて笑う。
「そうか……そいつが、お前を守ったのか」
あたしの腕の中ですやすや眠るヤナギの小さな額を、こつんと小突く霆門。疲れてすっかり脱力しているヤナギは、それくらいでは起きなかった。
ああ。霆門だ。ナオさんだ。いつもの顔、いつもの立ち位置、いつもの会話。すべてが今は、輝いて見える。
「すごかったんだよ、ヤナギ。大きなわんちゃんになったの」
あたしは先ほどまでの戦いを思い出して、ちょっと興奮したように早口で言った。あたしはヤナギが誇らしくて、へへっと笑う。
それを霆門はじっと聞いて、そうか、と小さく返してきただけだった。
なんだろう。いつもなら「危ない目に遭ったのにへらへらすんな!」くらい言いそうなのに。今日はやけにおとなしいな。
霆門は、ふっと笑った。それは安堵したような、気の抜けた自然な笑みだったから。あたしは思わず、黙って霆門の顔を見上げていた。
霆門の瞳が、あたしを映していた。
やがて、霆門は重く息を吐いた。ずっと胸の内に溜まっていた気持ちを吐き出すように。すると、霆門の手が伸びて――――
「……心配、かけさせんなよ。バカ」
霆門はあたしを、ふわりと抱きしめた。
あたしは――普通なら恥ずかしくって、照れて振りほどいてしまいそうなその腕があたたかくて、やっと二人に会えて安心して、ヤナギが無事でほっとして――
やっと解けた緊張に、霆門の腕をつかんで、ぎゅぅっと目を閉じた。
泣いてる顔を、見られたくなかった。今更なんだけど! でも、今自分が……どんな顔してるか分からなかったから。ぶさいくな顔を、霆門にだけは見てほしくなかったの。
霆門はそんなあたしの頭を、ぽん、ぽんと軽く撫でてくれた。
霆門からは、いつも木の香りがする。神社に生えてるご神木みたいな、大きくて、ゆったりした、清々しい香り。
どこまでも落ち着く、霆門の香り――
「――って、やだもうっ! バカ!」
霆門に抱きしめられているのが急激に恥ずかしくなった。ようやく人心地ついて、自分の現状を認識できるようになったとも言える。あたしは慌ててドーン! と霆門を突き飛ばすと、ヤナギを抱きしめたまま立ち上がった。
「もうっ、急になにすんのよヘンタイ!」
「はぁ!? こんなもん、妹にしてるみたいなもんだ! お前こそ何勘違いしてんだ!」
「勘違いなんかしてないわよ、あたしは現実的な問題をねぇ!」
「あーあーはいはい、お二人ともストップストップ。ここ、一応天下の往来なので。ね?」
はっ。ナオさんの言葉に周りを見れば、あたしたちを不思議な目でジロジロ見る通行人の方々。あたしたちはお互いに恥ずかしさで真っ赤になりながら、フンとそっぽを向いた。
あ。そういえば……
「あたしが闇に飲まれた時みたいに、姫様助けてくれなかったね……」
闇の中であたしに呼び掛けてくれた、磐長姫様。前回は姫様と、ヤナギの力があったからこそ抜け出せた。今回だって、姫様が出てきてくれたらヤナギがこんなに消耗しなかったかもしれないのに……
そう思って胸ポケットから神様のたまごを取り出すと、光ってもいないし、あたたかくもなかった。とんとん、と指先で軽く叩いてみても全然反応がない。
「言っただろう、姫様は前に力を使いすぎて深く眠ってらっしゃる状態だ。それこそ闇から抜け出すなんて、普通の人間にはとても難しいことだからな」
あたしの手の中のたまごをひょいとのぞき込みながら、霆門がそう説明してくれた。
そ、っか……闇の中から助け出されたのは本当にすごく異例のことで、たくさん姫様が頑張ってくれたってことなんだ。
――あれ!? というかあたし、今ナチュラルに姫様の力に頼ろうとしてなかった!?
恐ろしい。これは、恥ずべきことだ。大体、こんなたまごの中に神様が入っているってのも恐ろしい。二卵性の双子ヒヨコが入ってる、の方が素直に信じられる。
でも……。ふとあたしは、疲れた頭でぼんやりと考えた。
もしかしたらあたしは「知らない、分からない」と拒絶していた不可思議に、真正面から向き合う必要があるのかもしれない……。
ヤナギの存在を認めるなら。ヤナギを、失いたくないなら。
今までの思考を改める考えを、しなければならないのかもしれない。
でも今は疲れて、疲れすぎてそこまで考える気にはならなかった。
霆門は腕組みしながら、目だけは鋭く道路にすっころがる眼鏡くんを眺めた。あ、そういえば眼鏡くんの存在すっかり忘れてたな。
「お前のアレは、さっきの闇とは比べ物にならないくらい濃くて、強かったからな。闇の気配から察するに、今回の闇はそこまで強いものじゃないよ」
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