第44節

「かわいい名前なのにねぇ」


「そうなんだよ。恥ずかしいだけでイヤってわけじゃないらしいから、気にしないで」


「ハルオくぅぅん聞いて!? 先輩の話聞いて!?」


 こそこそ話すあたしたちに、涙目で抵抗を見せるヒメちゃん先輩。


 ならあたしもヒメちゃん先輩でいいか。なんか誰かに怒られそうな名前だとは思うけど、ヒメ子先輩もしっくりこないし。


「それで、エリカさんだっけ。どうしてぼくに声かけてきたの?」


「ああ、入学式の帰り道に、会った気がするんだけど……ごめんね、よく似た人に勘違いしちゃったみたい」


 えへへ、と笑ってみるあたし。記憶がない人に、操られただの闇との闘いだのを説明しても、頭の中お花畑な人間だと判断されて余計に警戒されてしまう。


 自分でもつたないと思うあたしの言い訳を信じてくれたのか、ハルオくんは一つ頷いてヒメちゃん先輩に向き直った。


「ほら、ね。ヒメちゃん。ぼくをいじめに来たわけじゃないから、安心してよ」


「へ……? どゆこと??」


 確かに、あたしはハルオくんに危害を加える気は一切ない。だって、彼も闇に侵入され、操られた被害者だもの。


「ぼく、こんな見た目だからよくいじめられてたんだ。その度にヒメちゃんが助けに来てくれてて……ぼくはそんな必要ないって言ってるのに、優しいんだよね」


「うるさいな。そこのかわいこちゃんが何の用で話しかけてきたのか、気になっただけだよ」


 ヒメちゃん先輩はそう言いつつ、あたしをチラチラ見ながらふくれっ面している。つり目も相まって、めったに人になつかない猫さんが威嚇しているようなかわいさがあった。


 つまり、あれか。ヒメちゃん先輩はハルオくんを心配して、あたしを牽制するためにわざわざ声をかけてきたのか。


「ヒメちゃんはね、ぼくの幼なじみなんだ。今はこんな感じになってるけど、昔はぼくより小さくてすっごく可愛くてね~天使みたいだったんだよ。今も可愛いけど。トカゲに驚いて泣くくらいか弱くてね~」


「やめてぇぇぇハルオぉぉぉ!」


 お、おぉ……強そうな赤髪ギャル先輩が、とうとう頭を抱えてうずくまったぞ……。


「もうっ、ぼくも高校生だよ? ヒメちゃんがそんなに頑張らなくても大丈夫だって、分かってくれた?」


 ハルオくんはそう言って、ヒメちゃん先輩を上から見下ろした。腕組みしたその様子はあまり迫力がなかったけど、表情から怒っているのはじゅうぶん伝わってきた。


 二人は幼なじみで、昔は立場が逆転していたんだろうなぁ。……いや、立場は昔からこんな感じだったのかもしれない。


 ヒメちゃん先輩はうずくまりながらぷるぷる震えて、耳まで赤くしている。はあ、というハルオくんのため息がそこに降り注いだ。


「わっ……わかったわよぉぉ……あんたがいじめられてないってことも……でもそしたら、も、もしかして……あんた、ハルオに興味があるってこと……?」


 威厳も何もなくなってしまったヒメちゃん先輩は、今度はなぜかあたしを見上げて必死ににらみをきかせていた。


 ……おや? これは、もしかして……


「何バカなこと言ってるの、ヒメちゃん。そんなわけないだろ。ほら、始業のチャイム鳴るよ!」


「う、うぅぅ……」


 ハルオくんは腕を組んだまま、まるで追い出すようにヒメちゃん先輩に言い放つ。ヒメちゃん先輩はよろよろ立ち上がり、ジリジリ下がりながら真っ赤な顔であたしをなおも威嚇するようににらんでいた。


 おぉぉ。な、なんということだ。


 こんなにも分かりやすいヒメちゃん先輩の好意に、こうも気付かないとは!!


「ま、また来るからな! 下級生!」


 あたしに子どものような捨て台詞を吐いたヒメちゃん先輩は、ダッ! と勢い付けて廊下を走り去ってしまった。


「まったく……ごめんね、ヒメちゃんってば昔からちょっと思い込みが激しいところがあってさ」


「いやいやっ! 気にしてないから! 急に話しかけたの、あたしだし」


 ハルオくんはヒメちゃん先輩の気持ちに気付いてないのかなぁ。あっさりとそう言うと、カバンを持ち直して教室に向かって歩き出した。


 あたしもそれに続く。ああ、結局有力な情報はあの巨乳派手保険医の先生だけかぁ。さて、どうやって近づこうか……


「……エリカさん、どうしてぼくと会ったことがある、なんて思ったの?」


 あたしが次の作戦を考えていると、何気なくハルオくんがそう尋ねてきた。


「あ~……それはぁ……」


「もしかして、本当にぼくたち、入学式のあと会ってる?」


 言いにくそうにしていたあたしの先を読んで、ハルオくんが言葉を継ぐ。


「入学式が終わって、帰ろうとしたときなんだ。ぼく、帰り道の途中で倒れたみたいで……」


 たぶん「倒れた」と感じたあたりで急激に闇に飲まれ、引きずり込まれて意識を失ったんだろう。ハルオくんの言葉にうなずくあたし。


「そのとき学校まで運んできてくれたひとが、神主さんだっていうだけで名乗らずに帰っちゃってさ。ぼくお礼も言えずに悩んでたんだ。……ねえ、あの日ぼくが何をしたのか、エリカさんは知ってるんじゃないのかな」


「うーん……」


 きっと、ナオさんのことだ。そっか、ナオさんは名乗らなかったんだ……確かに、繋がりができちゃうとあの日のことを説明しなきゃならないもんね。結果、あたし自身が動いてその気遣いを台無しにしちゃったわけだけど……


 ハルオくんは真剣なまなざしで、あたしに詰め寄った。眼鏡の奥の瞳が、強い意志にきらりと光っていた。


「覚えてたら教えて欲しいんだ。ぼくを助けてくれたひとにもお礼を言いたいし。……だめかな?」


「……だめ、じゃないけど。もちろん」

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