第7節

 やりません? って、そんな軽々しく……ファーストフード店のバイトするみたいなノリで、巫女ってやれるもんなんだろーか……


「おい、ナオ。何を考えている? お前にも見えているだろう、このような魂の穢れが神域にあるのも許し難いのに」


 もんもんと考えてるその横から、霆門がすかさず口をはさんでくる。また、魂だのなんだのずいぶんスピリチュアルな言い分であたしをけなしてきた。


「ちょっと。魂なんて非科学的なものが見えるなんて、あなたの目は高機能カメラかなにか? そんなよく見えないもので人を非難するなんて、ナンセンスよ」


 あたしはここぞとばかりに主張する。霆門の形のいい眉が不愉快そうにぴくりと跳ね上がった。神社にはきれいなものしか入れたくない。彼の主張もわからなくはない。神社にわざわざ若くしてバイトに来るというのは、この神社というものを特別視している証拠だ。


 でも、悪いけど――あたしの主張は、曲げられない。


「あたしは、現実に起きているもの以外信じない。冷たいリアリスト? それでけっこう」


 あたしはゆっくりと祭壇に歩み寄っていく。木の階段が五段、その上にはしっかりと扉が閉じられた祭壇。昔の人は、ううん、今現代に生きている人も、このなんの変哲もない木の扉の向こうを神聖視して、特別なものとして祀っている。


 けれど、どうしてもあたしには信じることができない。こんな小さな中に、見たこともない神様が入ってるなんて。


 大体、神様はあたしたち人間なんかどうでもいいんだろう。

 だって、神様は……人を助けてはくれないんだ。


「おばけ、二次元、神様なんてもってほか。手で触れないもの、あたしはすべて信じません」


 自分でも清々しく感じるほど、きっぱりはっきりと言い切るあたし。

 そのセリフに霆門は改めて嫌そうな顔をし、十河さんもすごく寂しそうな表情をしていた。


 ただ、次の瞬間には十河さんはパッと微笑みを作った。そして、霆門にいたずらっぽく笑いかける。


「神様を信じていない? それは好都合ですね。あなたには、神の消えた社の巫女になっていただきたいんです。もちろん、住み込みで!」


「神様のいない、神社……?」


 そもそも神なんていう存在を信じていないあたしには、居るの居ないのという話ではないんだけども……


「ええ。神様は信じている人がいてこそ現世に顕現し続けられます。存在を忘れ去られてしまえば、いないものと同じ……人も、それは同じでしょう?」


 そう言われて、あたしは思わず押し黙ってしまった。

 あたしのことを覚えている人。飯縄家の人たちがいなくなってしまえば、きっと一人もいなくなるんだろう。


 その事実に、あたしは思わずぞっとして自分の手首をぎゅっとつかんだ。


 それは、忘れられることよりおぞましいのかもしれない。


 あたしのことを覚えていてほしい人もいないけど、あたしを知っている人があんな人達だけなんて、そんなの……救いようがないじゃない。

 あたしが泣きそうな顔でうつむいているのをどう受け取ったのか、十河さんがうかがうように顔をのぞき込んできた。


「ごめんなさい、急にこんな話しても整理がつかないですよね。神籬さんはしっかりしていそうだし、ちゃんと神社を任せられる方だと思ったもので……」


「……かわいそう、だとは思います。あたしと同じ、忘れ去られてしまいそうな小さな神社。でも十河さん……あたし、働けない」


 あたしには自分で決める自由なんてない。働いてお金を入れればママは喜ぶかもしれないけれど、ママの気に入る場所でなければバイトなんてできない。


 ママもわかっているのだ、あたしにお金を持たせたら自由になってしまうことを。だから今も外には出されず、部屋の中に居続けるように仕向けている。


 未成年の十五歳が、保護者の許可なしに働ける職場なんてない。それを、ママはよく分かっていた。


「ごめんなさい、十河さん。あたし、巫女さんもやるつもりありません。それに、きっとママはバイトとか許してくれないだろうし……」


「お母さまは……お厳しい方なのですか?」


「厳しいっていうか……あたしのやることなすこと、気に入らないんです。自分の意志で動くことを迷惑に思ってる。だってあたしは……拾われっ子ですから」


 自分で口にしてみると、このみじめな現状をまざまざと突き付けられているようで目の前が暗くなっていく気分。腹の奥がぐるぐる渦巻いて気持ち悪い。ママという保護者に操られ、自分の意志で物事も決められない。そんなあたしはきっと、十河さんを失望させたことだろう。


「ふん……なるほど。お前のへんに理屈っぽいところは、家庭環境にありそうだな」


 祭壇からようやく出てきた霆門は、祭壇に寄りかかりながらぽつりとつぶやく。


「神が人を助けないだと? 感受性の低いやつめ。動いていない岩を押し出せるわけなかろう。神は、動くものの背中を押すだけだ。人間が気付いていないだけで、それはどこにでもありふれて満ち溢れた“奇跡”なんだ」


 奇跡。いつものあたしなら、そんな非抽象的なことと笑って終わっただろう。


 ただ……霆門の真面目な顔は、先ほどの言い合いとはまるで違ってずいぶんと大人びて見える。もう何年も何年も人を見続けてきたような。そんな威厳とも呼べるような空気をまとっている、へんな男の子……。


 その横顔があまりにもきれいで、まっすぐだったから。だからあたしも、そんなことあり得ない、と反論するタイミングを見失ってしまった。


 あたしがなんとも言えずにいると、十河さんが優しい微笑みで隣に立った。


「まあ、信じたくないものを無理に信じることはありませんよ。ただ、これだけは覚えておいてください、神籬さん」


 一拍置いて、十河さんは自らの胸にとんと手のひらを当てた。まるでそこに、「こころ」があると示すように。


「真実かどうかはいつでも、自分の心が決めるものです。あなたが信じたいものが、現実になっていく。どうか、自分の見ているものだけが真実だと思い込まないでください。自分の可能性を、閉じてしまわないで」


 十河さんの声は、何も驕りがない。子供扱いしない誠実さがあるからか、すごく胸にすとんと落ちてくる。


 ああ。お父さんって、こんな感じなのかな。


 記憶のない親子像。理想を十河さんにはめ込んでしまっているだけかもしれない。それでも今は、十河さんの優しさが、気づかわしげな瞳がとても落ち着く。


 十河さんが言う風に、一度だって考えたことはなかった。だって現実はいつも辛くて、理不尽で、ちっぽけなあたしではどうすることもできないものだらけで。


 どんなに欲しても手に入らないから、あきらめるほうが楽だって逃げて。

 自分から何かを信じようだなんて、思ってもみなかったのに。


「あなたが今の家で幸せだというのなら、もう引き止めません。けれども、もしそうではないのなら……家を出たいと思うなら、私は衣食住を用意してあげられます。もちろん気負うことはありませんよ。これはあなたにとって、労働の対価なんですから」


 笑顔でそう、十河さんが言う言葉は、まるで……


「まるで、ハチミツが降り注いでいるみたい」


 あたしは熱くなる目頭を悟られたくなくて、十河さんと霆門に背を向けた。


「甘くて、優しくて……思わず、手を伸ばしたくなっちゃうよ……」


 神は、動くものの背中を押す。


 あたしが信じたいものが、現実になっていく……


「……あたし、あの家を出たい。もうこんな奴隷みたいな生き方、いやだ……! 自分の目で見たものを信じ続けたい。自分で自分が恥ずかしいって思う暮らし、していたくない……!」


 誰にもいえなかった本音。誰も叶えてくれなかった、本当の望み。


 今朝の光景が、固く閉じたまぶたの裏でフラッシュバックしてる。

 もうあんな風に理不尽になじられたくない。怒鳴られたくない。痛くて、寂しくて、怖い思いなんか、したくない。


「ようやくお前の言葉が聞けたな」


 霆門はそう言って、あたしの頭にぽんと手をのせた。


 変な感じだった。つむじの部分が、ひんやりと冷たい。けれど、その冷たさが火照った体にはとても優しく思えた。


 その甘い冷たさに、余計目じりが熱くなって。気付けば、あたしは大粒の涙がぽろぽろと頬を伝っていた。


 初めて……あたし自身の気持ちを、口に出せた気分。


 十河さんはうるんだ瞳で、何度もうなずいていた。そしてあたしを抱き寄せ、ぽんぽんと背中を撫でてくれる。小さい子をあやすようなその手のひらも、けれどあたしは少しも嫌ではなかった。


 そして、十河さんと霆門に見守られながら、あたしはわんわんと五歳の子供のように泣きじゃくったのだった。

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