神の目覚めとともに

第8節

「――ええ。では、そのように。いろいろお手伝いくださって、ありがとうございます。はい。では、また」


 神社の隣、社務所……というか、小さな白いプレハブ小屋にガラス戸がついた小さな一室で、あたしは十河さんの声を布団の中から聞いていた。


 結局、あのあと。十河さんのみならず、あたしがここで働くことを渋っていた霆門まで「とりあえずそのダサい顔を直してから来い」と、プレハブ小屋に布団を敷いて寝かせてくれた。


 昨日持っていた買い物袋の中身はすべて、これも小屋の中の小さな冷蔵庫にすべて入っている。着の身着のまま、本当にあたしは十河さんの神社に転がり込んでしまったのだ。


「おはようございます……」


 泣きすぎた後遺症か、ガンガンと響く頭を抱えながらあたしは起き上がった。まるであらかじめあたしのために用意していたかのように、小さいながらも全面床暖房の入った社務所は天国のように快適で、心地よかった。


「ああ、すみません。起こしてしまいました?」


 十河さんは申し訳なさそうに電話の受話器を戻した。驚くべきことに、十河さんはこの令和の時代において、スマートフォンどころか携帯すら持っていないという。社務所には固定電話(こっちのほうが見たことない!)が置いてあるから、わりとひんぱんに使っているらしいけど……


 そんなことより、今の電話。全部は聞き取れなかったけど、きっとママに関することだろう。あたしは重い頭を引きずって、なんとか布団に正座した。


「あの……それで、ママの一件は……」


「大丈夫です。法的な手続きはすべて滞りなく進んでいます。先方も、私の提出した『お手紙』を読んで青くなっていたそうですよ。見に行けばよかったかな」


 残酷なほどきれいな笑顔で言い切る十河さん。温和な彼にしてはずいぶん冷たい物言いに、寝起きのあたしはヒヤッと背筋に冷たいものが走った。


 どうやらあのあと、あたしが泣き疲れて寝ている間に十河さんはテキパキと準備を進めてくれていたらしい。手紙とはなんのことか分からないけれど、あのママを黙らせるほどのものだ。いったいいつの間にそんなものを用意していたんだろう。


「さてさて! シャワーでも浴びてすっきりしていらっしゃい。身支度を整えたら、サンマでも焼いて朝食にしましょうか~! 私今年初なんですよ、サンマ」


 あまりあたしが深く考え込まないようにするためか、十河さんはやたらと張り切ってそう言ってくれた。気付けば、枕元に巫女装束が置いてある。あたしは静かにうなずくと、十河さんが外に出るのを待って、プレハブに併設されているシャワールームに向かった。


 涙も垢もすっかり落として、巫女装束に袖を通すと、すごく新鮮な気持ちになる。気が引き締まる、というか。長い髪は高めのポニーテールに結んで、これまた一緒に置いてあった赤いリボンで留めた。


 巫女装束はともかく、リボンや布団、それにママへの説得……とても一日、いや、半日で一気に用意できるものじゃない。まるであたしが、ここに来ることをわかっていたような……


 白足袋を履いて、慣れない履き心地にくすぐったくなりながら、赤い鼻緒の草履を履く。


 服装とは不思議なものだなぁ……見た目だけなら、もう立派な巫女さんだ。


「見られるようになったじゃないか」


 声にびっくりして振り返れば、大きなご神木の下で腕組みして立っている霆門がいた。霆門は昨日と変わらない袴姿で、その周りだけ空気がきれいに見える気すらしてくる。


「なんだ、あんたか……びっくりした」


「なんだとはなんだ、相変わらず失礼な娘だ」


「失礼度合いでいったら、あんたを超える人はなかなかいないわ」


 霆門の毒舌にもだいぶ慣れたあたしは、へらっと笑ってみせる。霆門は軽く鼻で笑って、ご神木に興味を移した。


「このご神木……枯れてるの?」


 見上げれば首が痛くなるほどの大きな木は、その立派な枝に葉を一枚もつけていなかった。しめ縄もボロボロで、まったく管理がされていない様子だった。


「完全に枯れているわけではない。だが……この状態が長く続くと、かなり危険だな」


 そう言って霆門は、触れただけでぼろりと落ちてくる茶色い木の皮をさみしそうに見つめていた。


 あたしには神様のことも、木の健康状態もわからないけれど。霆門が何よりこの場所を大切に思っているのは、痛いほど伝わってきた。


「そっか。……ご神木が枯れちゃったら、神社じゃなくてただの社になっちゃうもんね」


「……ご神体が木だけというのは、いかにも神嫌いのお前らしい狭い見解だな」


 霆門はあきれたようにため息をつく。仕方ないじゃない、あまりスピリチュアルなことには興味がないんだから。


「我が月石神社のご神体は、神木と……この、大岩様だ」


 霆門はご神木を撫でるように触れた後、そのすぐ隣にある、霆門の胸の位置まである大きな岩の前に立ち、うやうやしくひざまずいた。確かに、これは大きな岩ね。一体どうやってこの神社まで運んだんだろう?


 大岩の周りにはしめ縄が張り巡らされ、白い紙のようなものが垂れ下がっている。岩の周りには白い、玉のような砂利が敷き詰められ、四方向に竹の支柱が立っており、それぞれを麻縄がつないでいた。


 ぱっと見ても仰々しく、特別大切にされているであろうことが一目瞭然だった。


「この神社のご祭神は、……磐長姫命イワナガヒメノミコト


 大岩の前で静かに頭を垂れた霆門は、その名前を出すのすらはばかられるような、遠慮がちな声でそっと名前を呼んだ。


「この社の磐長姫は長く人々に忘れられ、やがて自らのお姿すら忘れられて、この岩にお籠もりになってしまったんだ」


「神様が引きこもっちゃったの?」


 なんだかそんな風にいうと、途端にすごく親近感がわいてくる。あたしも引きこもりみたいなものだったから、外の世界がイヤになっちゃう気持ちはわかる。


 あたしのまったくうやうやしくない態度に、霆門は露骨にあきれたような顔をよこしてきたけど、すぐにいつもの無表情に戻って立ち上がった。


 そして、あたしの目の前までゆっくりと歩いてくる。上背のある彼から見下ろされると、心の内まで透かして見られているようで、とても落ち着かない。眼力に負けないよう、あたしはぐっと目尻に力を込めた。


「俺はこの神社に、必ず神を復活させる。そのために、巫女は必ず必要だ」


「……なんで神社の復活と巫女さんが関係あるの? 境内を掃くなら霆門でもいいじゃない」


「社内を掃き清めるだけでは足りないんだ。――神籬」


 初めて、名前を呼ばれて。見た目のわりにすっと低い声がやけにくすぐったく聞こえて、あたしはびくりと肩をふるわせてしまう。


「神の依り代を意味する『神籬』の名を持つ人間が、ここに現れたのも偶然ではあるまい。すべては神のご意志……お前には、磐長姫様を復活する手伝いをしてもらう」

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