学び舎の憂鬱

第18節

 ここが――聖華高等学校。


 あたしは満開の桜に囲まれた、白い学舎を見上げて、しみじみと思い出にふけった。


 レンガ道の表通りが続いている。校門へ吸い込まれるように、いろんな人たちが歩いている。でもどの子も同い年くらいの男女で、同じ制服を着ているのは一緒だった。


 ああ。来ちゃったんだ。とうとう。


 今日は聖華高校の入学式。みんな真新しい制服に身を包んでいる。緊張した顔、喜ばしい顔、ちょっぴり不安そうな顔、照れたような顔――たくさんの顔が、あたしの前を通り過ぎていった。


 ……え? あたしは今、どこにいるのかって?


「はぁぁぁあぁあぁ…………」


 セーラー服の真っ赤なリボンがまぶしい。まぶしすぎて、少しでも輝きをおさえたくて、いじいじと指先でいじり倒す。


 あたしは、校門の反対側、小さな喫茶店の前で立ち尽くしていた。


 遠くに見える校舎正面には、大きな大きな時計が時を刻んでいる。遅刻するのが嫌だったからかなり早めに家を出たんだけど、このままだと何もしなくても遅刻しそう……


 ――あたしと霆門、ナオさんの元に聖華高校からの通知が来たのは、もう一週間も前の話になる。


 モモちゃんからおかしな約束を取り付けられた、あのあと。あたしは必死に、毎日勉強をがんばった。


 ナオさんは秀才だったみたい。すごく教え方が上手で、聞けばなんでも教えてくれて、教えてもらうたびにビックリしたもんだ。


 そう。あたしは、聖華高校に合格したのだ。


「はぁ……」


 もう何度繰り返したか分からないため息が、春の生ぬるい空気に溶けていく。


「エリちゃん、はいらないのなの?」


 ヤナギが、また足下からひょっこり顔を覗かせて、そんなことを言った。


 うぅ……分かってる。分かってるよ、こんな場所で立ちっぱしてたって、時間だけが過ぎてなーーんにもならないってことは。


 でも、足は、体は、言うことを聞いてくれなかった。


 諦めていた学校通い。それができるのは、本当にすごくすごく嬉しいの。でも……


「ヤナギ……あたし、怖いよ……」


 子どもは残酷だ。理性や常識、社会の当たり前なんか吹っ飛ばして、自分の思うがままに行動し、言葉を発する。


 小学校、中学校。計九年間の、何もいい思い出が無かった学校生活は、そのままあたしの学校嫌いへと繋がっていた。


 中学の時や、小学校の知り合いなんかいない。そう思うけど、もはや学校自体を怖がってしまっているあたしの体は、校門へ向かうことができないでいた。


「……かえるのなの? エリちゃんがこわいなら、むりしなくていいのなの」


「ヤナギ……」


 ヤナギは、あたしの守護獣だ。あたしを守る、ただその思いだけで現世に留まっている、優しくて悲しい子犬。


 あたしが戸惑って、困っていれば、その原因から離れさせようとするのは当然だった。


 でも……


「行かなきゃ。モモちゃんと約束したんだもん」


 もしかしたら、モモちゃんも覚えていないかも知れない。一ヶ月前の約束なんて、優しい彼女にしたら世間話みたいなものだったのかも。


 でも、どうしてももう一度、あの綺麗な子に会いたかった。


「……ねえ、そんなところで何してんの」


「っひゃいぃ!?」


 ぅわびびびっくりしたぁあ!?


 いきなり声をかけられたあたしは、びょん! と子猫よろしく飛び上がった。


 半ばパニック状態で、声のした方を振り向く。だってその方向は、真後ろだったんだ。こんなの、驚かない人の方がいないでしょ!?


 振り返ってみれば、喫茶店の店から出てきたブレザー姿の男の子がそこに立っていた。


 すごく、背の高い男の子だった。グレーのブレザーがよく似合ってる。日によく焼けた肌に少し茶色がかった髪。よく整った顔は、イケメンスポーツマンとか、イケメン読者モデルとか、そんなのに出ていそうな雰囲気だった。


 左耳に光る赤いピアスが、エキゾチックな雰囲気の彼によく似合っていた。


 似合ってる、けど……


 ふおぉぉぉ……ふ、不良だ。ピアスとか不良のあかしだ……痛そうだよぉ……なんでそんな痛い思いしてピアスあけるんだよぉぉ……


「なんか、君……誰かと話してなかった?」


 びくっ。何気ない男の子の質問に、あたしの肩が跳ねる。


「話してないよ!? うん、一人ひとり!」


 下手かぁーーーっ!


 ごまかし方赤ちゃんか!?


 冷や汗だらだらのあたしは、無意識にヤナギの尻尾をぎゅむん! とつかんで、あたしの背中に隠した。


「ぴゃぁん! エリちゃんっ!」


 あーーーごめんねヤナギぃ!


 いや、なんか! ヤナギは他の人に見えないけど! なんとなく!


 案の定、カナデくんはあたしの奇行に目を丸くするだけで、その背中にまで視線がいっていない。やっぱりヤナギはあたしにしか見えていないんだな。


「ふーん……」


 男の子は、表情を変えずにじぃっとあたしを見ていた。そして物言わぬあたしを見て何かしら納得してくれたのか、ニコっと爽やかに笑った。


「そっか。じゃ、行こ?」


「え……行くって、どこに……?」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る