第46節

「いやあ、お恥ずかしい。そんなことないですよ」


 そう言って照れたように笑うハルオくんは、あたしの目から見ればどう見ても小柄なガリ勉くんといった風情で。とても中学生最強男子には見えなかった。


 は~……人って見かけによらないとは、まさにこのことなんだなぁ。


「えっ、じゃあイジメられてたってのは!?」


 新たな事実に新たな疑問が浮かんできてしまって、思わず前のめりに質問するあたし。


 先ほどまでのヒメちゃん先輩の態度は、どう見ても一生懸命ハルオくんを守ろうとしているものだった。あたしを見て、ハルオくんをいじめているんじゃないかと勘違いするほど、その行動は冗談抜きにハルオくんを心配してのものだった。


「ああ。中二のときに練習場所の都合で転校したばっかりで、ぼくのことを知らなかった人たちがちょっと、弱いんじゃないかって勘違いしてきちゃって……ヒメちゃんとはそこで再会したんだけど、ギャルになってて。ぼくはそっちの方がびっくりしたなぁ」


 中学の時は三つ編みに眼鏡の、目立たない子だったんだよ、とハルオくんは懐かしそうに笑った。


 ヒメちゃん先輩がハルオくんのイジメを知って守ろうとするも、彼はヒメちゃん先輩をビビらせないように裏からこっそり、きっちり成敗してしまったらしい。


 だがそこをどう勘違いしたのか、ヒメちゃん先輩は「ハルオくんがいじめられた」事実だけを受け止め、「自分が守ってあげないと……!」と思い切り間違った方向に情熱を燃やしてしまっているようだった。


 なるほど……確かに、ちょっと突っ走っちゃう系の人だとは思ってたけど、予想以上だったみたいね。


「ヒメちゃん先輩って、ずいぶんかわいらしい人なのね」


 あたしの隣にいるモモちゃんが、くすくす笑いながら感想を述べた。


「ええ。そうなんですよ。見ていて飽きないでしょう?」


「分かるわぁ。私もエリカちゃんは永遠に見ていて飽きないもの」


「本当にお二人は仲良しなんですね」


 当然でしょ、と堂々胸を張るモモちゃんの横顔を見ながら、あたしはふと霆門の言葉を思い出していた。


 ――桃瀬に深入りするなよ。


 その言葉だけが、何度も何度もモモちゃんの横顔に被る。


 こんな風に慕ってくれる子なんて、他にいない。こんな風に思い続けてくれた子なんて、過去に一人もいなかった。


 そんなモモちゃんと、こんなに心を縮めようとしてくれているモモちゃんと中良くなるなだなんて――霆門の心配のもとがどこか分からなくて、困惑するしかない。


 そんなことは不可能だって、ひまわり商店街で一緒にいた霆門が何より分かっていそうなものなのに。


 あたしに、また……一人になれって?


 この温かさを知ってしまったあと、それはとても残酷な言葉に聞こえた。


 知らなければ傷つかないことも、世の中にはあるんだね。


 温かな気持ちを知りたがっていた昔のあたしがそれを聞いたら、鼻で笑ってしまいそう。今よりも辛いことなんてない、そんな風に訳知り顔で。


 何も知らない、無知な子どもの顔で――


「エリカちゃん? どうしたの?」


 先を歩き始めた二人が、足を止めてこちらを振り返った。


 あたしを敵視しない、優しい目が四つ、そこにはあった。


 ――ごめん、霆門。


 あたしは霆門の言葉を振り切るように、足を踏み出す。


「ごめん。なんでもないよ」


 また、あのひとりぼっちの闇に飲み込まれるくらいなら。


 どんな事実を霆門が知っていたって――かまうもんか。


 あたしは、ようやく掴んだこの光を手放す気にはなれなかった。


 そのとき少し、胸のポケットに潜ませていたたまごが温かくなったような気がした。制服の上から少し触ってみても、それ以上反応がなかったので、あたしはその反応を無視して二人に走って追いつき、教室へと向かう。


 幸せな時間に浸っていたからだろう。あたしの本能は、すっかり腑抜けになってしまったようだ。


 入学式と同じ、粘りつくような気色の悪い視線があたしたちを見ていたことを――あたしは知らないまま、通り過ぎていたことにまったく気付かなかったんだから。


 三人で入った教室の中は、新しい人間関係を構築しようと駆け引きの真っ最中でざわざわと騒がしかった。


 その中でも、ひときわ明るい声の人だかりができていた。あたしたち三人は後ろの席に適当に座って、ようやくカバンを置く。


「みんなグループ作ろうと必死だね~」


「そりゃ、入学式最初のグループって大事だもんね」


 モモちゃんが人ごとのようにのんびりつぶやき、それにハルオくんが応えた。確かに。この一日でほぼ一年の人間関係ができあがってしまうと言っても過言ではなかった。


 毎年毎年、本当に憂鬱だったこの一日目。何度逃げ出したいと願ったことか。


 でも――今年は違う。どこか傍観者のように喧噪から少し離れたところで、心穏やかに過ごしている。こんな一日目は、初めてだった。


「でもあそこ、すごい人だかりだね」


 ハルオくんが眼鏡をくいっと直しながら、窓際の一番後ろの席を見やる。そこには、女子がきゃあきゃあと群がっていた。


 な、なんだ? あそこに有名パティシエのスイーツビュッフェでもあんのか……?


 とにかく、あまり目立ちたくないあたしは視線をそらそうとして――円の中心にいた人物と、運悪く、マヌケにもパチっと視線が合ってしまった。


 その中心部。女子のみで作られた人だかりの真ん中にいたのは――

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