第36節

 わけもわからずモモちゃんに連れられて、あたしたちはまず、洋服屋に入った。


「エリカちゃん、ここはね、私のママの妹さんがやってるお洋服屋さんだよー! プチプラなのにすっごい可愛いのが多くて、ついたくさん買っちゃうんだ~」


 そう言ってずんずん店の中に入っていくモモちゃん。こういう場所に入ったこともなかったあたしは、落ち着かない心もちでキョロキョロと周りを見渡した。


「ああ、いらっしゃいモモ。あら、お友達かい?」


 レジカウンターの向こう側に座っていた、スラリとして背の高い迫力あるマダムがモモちゃんに声をかける。鮮やかな赤いミニのタイトワンピースがよく似合っていた。


「そうなのー! この子が前に話したエリカちゃんよ、ユウカママ。すっごく素敵な原石でしょー!?」


「この子がそうかい。どうもこんにちは。これは確かに、特大の原石だね。へぇ……」


 グレーの髪をアップにして、きれいな丸いガラス玉のかんざしを挿しているユウカママは、まるで絵本に出てくる魔女のように妖しく、美しい人だった。


 モモちゃんの一家って、もしかしたらもしかしなくても、超絶美女一家なのでは……


 そんなユウカママが、あたしの顔を、体を、全身をくまなく観察していく。美魔女があたしをじっくり見ている。どういう顔をすればいいかもわからず、直立不動、無表情でじっとユウカママの観察が終わるのを待っていた。


「――よし、モモ! 決めたよ。今日は半額セールだ! 好きなのじゃんじゃん買いな! 足りないぶんは姉さんに払ってもらうから心配しなさんな!」


 パン! と手を打って、とんでもないことを口走るママさん。


「え、半額!? 大丈夫なんですか!?」


「あっはっは! 実店舗の方はほとんど趣味みたいなもんでさぁ。本業はネットで洋服売ってるんだけどね。ここにあるのは、ほとんどサンプル品だったり、撮影で使ったり、ショーウィンドウ用の服だったりするのさぁ。だから、半額なんてどってことない、ない!」


 カラカラと豪快に笑うユウカママ。言われて値札を見てみれば、確かにどれも千円くらいの破格の値段で、あたしでも買えそうな価格のものがゴロゴロあった。


 すごい! このお店、ひょっとして宝の山なのでは!?


「それにあんたのことは、前からモモに聞いてたんだよぉ。あんた、いろいろ苦労してきたんだって?」


 カウンターに片手をついて、もう片方を腰にあてたユウカママは、モデルのようで、それだけで絵になってしまう美しさだった。


 そんな人が、あたしを知っていた? しかも、慰めの言葉までかけてくれるなんて……


 嬉しさに思わず涙ぐみそうになる。きゅ、と下唇を噛んで、なんとか涙腺が崩壊するのだけは避けた。最近どうにも涙もろくってだめだー。


「モモはね、昔はそりゃぁ内気な子だったんだよ。見た目があれだから、目立つだろ? つまんない女どもの嫉妬の対象でねぇ。友達なんて一人もいやしなかった」


 ユウカママはカウンターに飾られている生花を指先でいじりながら、ぽつり、ぽつりと話し始めた。


 確かに、かつてモモちゃんは自分のことを引っ込み思案だったと話していた。今のはつらつとした様子からは想像もつかなくて、だからこそ小学校時代のモモちゃんと符合しなくて、すっかり忘れていたわけだけども……


「ほら、モモの目ってちょっと変わってるだろ? ピンクかかってるっていうか。アタシはきれいで好きなんだけど、特に特徴的なそこをずっとイジメられて、すっかり嫌いになっちまってさ。目をとる! なんて言い出した日にゃ、姉さんと一緒に大慌てしたっけ」


 そう言ってユウカママは、思い出したようにくすくすと笑っていた。あたしは思わずモモちゃんを見やる。モモちゃんは洋服の間を踊るように歩き回り、なんとも楽しそうに品定めしていた。


 目をとる、だなんてそんな……まだ小学生の女の子がそこまで追い詰めるなんて、どれほど辛い思いをしてきたんだろう……


「でもね。ある日、エリカちゃんって女の子に言われたんだって」


 ――あなたの目、宝石みたいですごくきれいね! 目がいらないなら、あたしがもらってあげるわ。


「おっかしいだろう! とった目をもらうだなんて。でもその子の言葉は、裏表ない素直な言葉で、誰も迫害せず、誰をも受け入れ、平等に扱う素晴らしい心を持っていたって、言ってたんだよ」


 ……モモちゃん……


 あたしがそんなことを言った記憶はないけれど、小学校の間の記憶はどれも途切れ途切れの断片的な記憶しかない。その言葉も、ユウカママに言われて初めて知るものだった。


「ひとってさ。単純で、複雑なのよ。たった一言で立ち直れないほど傷つきもするし、たった一つの単語だけで、生きていく糧になる。アタシは、あんたに感謝してるんだ。子供のときモモを救ってくれて、ありがとう」


 ユウカママは笑った。ふんわりとして、優しさに満ちた笑顔だった。ウソも見栄もない、モモちゃんを思うがための感謝なのだと、あたしは胸がジンと熱くなるのを感じた。


「あたしのほうこそ、モモちゃんにたくさん救われています。彼女の明るさが救いになってます。お礼を言いたいのは、あたしのほうです」


 彼女の明るさに。彼女の友情に。あたしは、どれほど救われたかわからない。


 あたしの言葉に、ユウカママは何度も、何度もうなずいた。感極まったのだろうか、あたしの両肩をぽんぽんと嬉しそうに叩き、涙でうるんだ瞳で微笑んだ。


「やっぱり、見込んだかいがあったね。ささ、ほら、お金のことなんか気にせず、好きに選んで! 半額なんて言ったけど、あんたなら大喜びでいくらでも買って行ってほしいんだよ」


 あたしはグイグイ背中をユウカママに押されて、洋服売り場の中に進んだ。ようやくあたしたち二人に気付いたモモちゃんが、興奮した様子で駆け寄ってくる。


「エリカちゃん~! 新作のスカートとか小物、もう並んでるよぉ! ほらこっちきて一緒に見て!」

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