第25節

「今日はたしか、入学式だけだったよね。もう帰ろう? 考えても仕方ないことは、明日考えようっ」


 よろけるモモちゃんを支えながら、ぞろぞろと帰り始める生徒の波に乗って校門へと向かう。


 そう。今ここで悩んでも、どうしようもない。モモちゃんも頑張って立ち向かったけど、変わらないこともある。それを嘆くより、どう受け止めて現実にうまく溶け込ませるか。その心持ちや対処法を考えるほうがよっぽど建設的だってこと、あたしはよく分かっていた。


 不条理や不都合、理不尽なんて、隣人みたいなものだったもの。


「エリカって、けっこう柔軟な考え方するよな。それってすごい大事なことだと思うよ」


 隣を歩くカナデくんが、感嘆したような声を上げる。あたしとしては何も特別なことじゃなく、むしろ普通の思考回路だったから、なんかそんな風に褒められると照れる。


「そう、かな……まあ、信じられるのは最終的に自分だけだったからね」


 へへ、と過去のことを思い出して自虐的に笑うと、なぜかカナデくんは渋い顔をして同じように笑ってくれなかった。


 正門をくぐると、カナデくんは人の波から少し離れたところで立ち止まった。目の前の、あの喫茶店を指さす。


「あそこ、ばあちゃんのやってる喫茶店なんだけどさ。居心地よくて、入り浸ってんだ。今日も店番やる約束しててさ。送ってやれなくて悪いな」


「別に送ってくれなんて頼んでませんけど」


 ツンとそっぽを向くモモちゃんは、ようやくいつもの調子を取り戻してきたみたい。懐く人にはとことん甘いくせに、ほんと他人やどうでもいい人には冷たいんだから。その変化が、まるで猫みたいで。あたしは微笑ましくクスクス笑った。


「店番かぁ。大変そうだけど、得るものも多そう。素敵なお店だね」


「だろう!? ちょっと古臭いけど、コーヒーは格別の美味さだぜ。今度遊びに来いよ」


「気が向いたら行くかもしれないわ、エリカちゃんが行くって言ったら」


 まったく、この子はとことん猫だなぁ。かわいい。


 正門付近で、バイバイ、とカナデくんと分かれて、二人並んで帰路につく。他の生徒から見れば、きっとなんともない光景なんだろうけど……


 あたしは胸の内で、猛烈に感動していた。


 あぁぁっ! これが、これが憧れの「お友達と一緒に帰宅」なのね!


 くすぐったいような、あったかいような、不思議な感覚。今日あった出来事とか、明日のこととか、いろいろ話しながら帰る道はものすごく楽しくて、幸せだった。


「モモちゃん」


「ん? なぁに、エリカちゃん」


「本当に、いつもありがとうね。あたしと友達になってくれて。すごく幸せ」


 そう言って笑いかけると、モモちゃんは見る見る間に赤くなっていった。


「なななな! なに、急に、えへっ、えへへ別に私がしたくてしてることだからそんな全然気にしないでっ!」


 モモちゃんはパタパタパタっ! と全速力で鳥のように手をばたばた振ると、赤らめていた顔を急に青くさせ、がっくりと肩を落とした。


「はぁ……やっぱり同じクラスになりたかったな……クラス替えを許可しないと爆発物持ち込むぞって脅してみようかな……」


「モモちゃん、それはやめとこう……お願いだから……」


「冗談だよぉ」


 まったく冗談に聞こえないのは、きみの目があまりにも真剣だったからだぞ。


 しばらく歩いた先の十字路にさしかかると、モモちゃんはぴたりと足を止めた。そして右手側の方に視線を向ける。


「あのね、明日の準備のためにちょっといろいろしたいから、私こっちから帰るね」


「電車乗らないの?」


「うん。一駅ぶんだし、歩いて帰れるから。あ~明日楽しみ!」


 わざわざ明日のために準備って、何をするんだろう……一瞬ついていこうかとも迷ったけど、モモちゃんも一人でゆっくり買い物したいだろうし、「じゃあまた明日ね」と言ってお互いに手を振りあう。


 さて、どうしようかな。日もまだ高いし、電車で二駅しか離れていないから、少し歩きたいなぁ。


 この制服に身を包めた喜びを、ゆっくり味わっていたい。


 神社に戻ると、すぐに巫女服に着替えて、やれ掃除だなんだって霆門に押し付けられるもんね。あいつ、あたしが何でもやるからって雑用ばっかり頼みすぎなんだよっ。


 春のあたたかい空気に押されて、あたしは駅と反対方向に足を向ける。二駅と言っても、昔住んでた田舎町みたいに何キロも離れてるわけじゃないから、一時間もあれば着くだろう。


 それに――今のあたしは、一人じゃないし。


「ヤナギ、おさんぽして帰ろっか」


「おさんぽ!? するのなのー!」


 あたしの背後から、ヤナギがくるくると舞い踊りながら空中にふよふよ浮かんでくる。あたしの頬にぐいぐいと頭をこすりつけてきた。


「も~エリちゃん、がっこーにいるとおはなしできなくてつまんないよぅ」


「ごめんね、ヤナギ。いまだに信じられないけど、ヤナギの姿はほかの人には見えないって言うからさ」


「それはそうなの、ヤナギをみることができるふつーのニンゲンはすくないなの」


 しゅごじゅーだからなの! とフフンと胸を張るヤナギ。くっ、カワイイ……可愛いが渋滞しているぞヤナギ!


 かまってあげられなかった分、人通りの少ない場所だと普通に話せるから嬉しい。あたしはヤナギの頭をわしゃわしゃ撫でながら、明日のことを考えた。


 友達と二人、休みの日にどこかへ行くなんて初めてだなぁ。ひまわり商店街は、神社に引っ越してから一度だけ行ったことがある。


 高い屋根に守られた、タイル張りのきれいな商店街だった。シャッターなんて降りてるお店は一つもなくて、活気にあふれていたっけ。


 あああ! でも、どんな服着たらいいの!? あんな可愛い子の隣に立って許される服なんて持ってないし、そもそもファッション興味ないから全然洋服持ってないし!


「ま、いっか~制服でいけば~」


 あたしは何も深く考えずそう結論付けると、春のぽかぽかした陽気をルンルンで歩いていった。


「――あの。ひもろぎ、エリカさんですよね」

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