第16節
「エリカちゃん!」
え……誰、だろう。あたしに女の子の知り合いなんていない。いや、香苗がいたけど、もうあの二人は反対方向に帰ってしまったし。
それに何より――香苗よりも綺麗で透明感のある、一度聞いたら忘れられないような可愛い声。
「ああ、やっぱり! エリカちゃんだよね、覚えてる? 小学校で一緒だった桃瀬だよ!」
振り返ったあたしに花のような満面の笑みを向けてくれたのは、一人の美少女だった。
すらりとした手足は白く、長い。どこかの高校の制服だろうか、紺色のセーラー服がよく似合ってた。すらっと通った鼻筋に、ぱっちり二重のきらきらした瞳には長い睫毛がふさふさと生えていた。
肩口で揺れる髪はツヤツヤに輝いて、まるでシャンプーのCMを見てるみたいだった。あたしの記憶を掘り起こしても、こんな綺麗な子と知り合いだった記憶なんて無い。
「あ……ごめん、ね。小学校のことなんか覚えてないよね。私、
さすがにぼけーっと見とれてるだけのあたしを見て、自分のことを忘れられていると察した彼女は慌てて説明してくれた。
美少女――桃瀬ちゃんは、そう言ってしゅんと寂しい顔をする。
う……! 確かに、覚えてないけど……可愛い子のショックな顔って、すっごいダメージ刺さる……ものすごい悪いことしてるみたいになる。
「あ、の……ごめんなさい、小学校の思い出、あんまりなくて……」
学校と家の往復だった小学校時代。みんなよそよそしく、冷たい子ども時代。今ならなんとなく分かる、あれは闇の影響もあったのかな。
もちろん、孤独なあたしに友達なんて呼べるものは一人もいなかった……と思う。みんなあたしと距離とってたし。
あたしの言葉に、桃瀬ちゃんはものすごい勢いでぶんぶか頭を振った。
「ううん! 私のほうこそごめんなさい。嬉しくって、つい声かけちゃった。エリカちゃんってば中学校に上がる前に引っ越しちゃって、連絡先も聞きそびれちゃって……元気、だった?」
日に透ける瞳が、角度によっては桃色に光っているように見えてとても綺麗だった。あたしは桃瀬ちゃんの問いかけに答えるのも忘れて、ぼんやりとその目を見つめていた。
「……エリカちゃん?」
「あっぁああ! ごごごめん、目が、とっても綺麗だったから」
うわうわーーー! 恥ずかしい! 女の子の目に見とれてたとか、絶対知られたくない。
しどろもどろなあたしの言葉に、けれど桃瀬ちゃんは目を見開いてじっとこちらを見つめ返していた。そして、頬をちょっと赤くしてクスクス笑った。
「なんだぁ、ちゃんと覚えてくれてるじゃない! 初めて会った日も、そうやってエリカちゃんは私の目を褒めてくれたんだよ。まっすぐ、裏のない言葉で」
――あ。
ここまで言われて、あたしはようやく思い出した。
小学校五年生の頃だった。桃瀬ちゃんは他校から引っ越してきて、そのかわいさから一躍クラスの、ううん、学校中のアイドルになった。
あたしはそんな可愛い子とは住む世界が違うし、関わって目を付けられるのが嫌で、わざと距離をとってたんだった。
でも、あの日。
桜が一輪だけ、季節外れに咲いた、寒い寒い冬の日。
悪童たちからの逃走場所だったそこに、桃瀬ちゃんがいたんだ。
いっつも友達に囲まれてる桃瀬ちゃん。楽しいことばかりで、小さい頃は特に可愛いってだけで最強で、彼女は何もかも手にした幸せな子なんだろうなって、あたしは勝手にそう思ってた。
でも――あの日、桃瀬ちゃんは泣いてたの。
何もかも満たされている人だと思っていたのに。そんな彼女の目が、寂しそうに揺れているのが――何より美しいと思ったんだ。
「私、本当に嬉しかったの。あのね……」
あたしの回想の終わりを待たずして、桃瀬ちゃんはもじもじと恥ずかしそうに下を向いた。
うわあああ。こんな可憐な子が、頬を赤らめて言いにくそうに照れた顔をしてるのなんか、そこら辺の男子が見たら卒倒ものだろうな……
そんな桃瀬ちゃんが、くっと唇を引き結んで顔を上げた。
それは、凜とした一人の女性の顔だった。
「今からまた、私たちお友達になれない?」
あたしは――即答できなかった。
何かが喉に詰まったみたいに、言葉が出てこない。さらさらと流れる桃瀬ちゃんの髪が幾筋ものリボンみたいに自由にたなびいて、それに釘付けになっていたのもあるのかもしれない。
――今、なんて言ったの?
友達になりたいって言ってくれたの? この、あたしと?
「あたし、と……?」
疑問だけは、そのまま口にすることができた。言った後に、この場にはあたししかいないんだから、そりゃあたしに向けて言ったんだよな、って分かったけど。
でも、簡単には信じられなかった。
だって……あたしには、友達なんて一人もいなかったし、なりたがってくれた子なんて人生で誰もいなかったから。
「もちろんだよ! あのね、ずっとずっと私、エリカちゃんと仲良くなりたかったの」
あたしは最初、桃瀬ちゃんが優しいジョークを言ってるんだと思った。
じゃなきゃ、彼女の口にしている言葉は到底信じられるものじゃ無かったから。
でも――その真剣なまなざしは、茶化したり冗談で終わらせてはいけない、真剣みを帯びた、何かに追い詰められたかのような必死さを感じるほどの目だった。
だから、あたしはこう返答するしかなかった。
「うん……」
シンプルすぎる、単純すぎる返答。でも、桃瀬ちゃんはぱぁっと表情を輝かせてなんとも嬉しそうににっこり笑った。
「本当に!? ああ! 勇気出して言ってみてほんとよかった!」
桃瀬ちゃんは今にも嬉し泣きしそうな勢いで飛び上がった。あたしはなんでこんなに彼女がうれしがってくれるのか理由が分からなくて、ぽかんとしたマヌケ面で彼女の上下する顔を見つめていた。
「そうだ、エリカちゃんって今どこの高校に通ってるの? 近く?」
う。答えづらい質問が来た。確かにこの時間帯、早めに帰った学生がぶらついててもおかしくない時間だけど……
「今、学校行ってないんだ……親が、その、厳しくて……」
これ以上、なんと説明したらいいんだろう。事実だけど、全部でもない。
その言葉に、桃瀬ちゃんは、あ、と小さくうめいてうなだれた。あたしに親がいないこと、養子先を転々としていることを思い出したのだろう。
「ごめんなさい、あの、私……」
「ううん、大丈夫! それにね、今の保護者の人がすごくいい人で、高校に通ってもいいって言ってくれ」
「――本当に!?」
あたしの言葉が紡がれる前に、桃瀬ちゃんの興奮した声が遮ってきた。桃瀬ちゃんはその小さな手であたしの手を握りしめると、上気した顔でブンブン激しい握手をしてきた。
「行くところは決まってる? まだなら、
いきなりのマシンガントークで急に高校の推しポイントを語り始める桃瀬ちゃんに、あたしはあんぐりと口を開けたまま赤べこみたいにコクコク頷いた。
聖華って、けっこう頭のいい学校だよね。制服が可愛いって聞いたことがある。そっか、桃瀬ちゃんの着てるのが聖華の制服かぁ。いいなあ、セーラー。
確かに、高校に行くってだけでどの学校に行くかまでは決めてなかった。編入試験もそこで変わってくるだろうし、帰ったらナオさんに相談してみようかな。
それに――桃瀬ちゃんの優しさが作り物でも本物でも、あたしを知って、こんなに歓迎してくれてるなら……行ってみても、いいかもしれない。
「うん……なら、聖華の編入試験、がんばってみようかな」
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