陽の当たるほうへ

第33節

 ヤナギとあたしが襲われた、翌日。


 空は、抜けるような青空だった。


「いってきまぁーす」


 ローファのつま先をとんとんっ、と軽く玄関に当てて靴をはく。


 今日は、モモちゃんとの約束の日だ。


 昨日着たばかりの制服に改めて身を包んで、ポケットの中に緑のがま口を突っ込む。がま口の中には、ナオさんが「バイト代です」と言って手渡してくれたお小遣いが入っていた。正直、バイト代には多いそれを最初は受け取りづらかったものの、ナオさんが折れないので半分だけもらっておいた。


 あ、ちなみに眼鏡くんはナオさんがおぶって高校まで運んでくれた。どういう風に事情を話したかすっごく気になったけど、「こういうことは慣れてますんで」とやたらニコニコして言っていたから、それ以上突っ込んで聞けなかったのはある。


 でも帰ってきたナオさんが、眼鏡くんは無事ご両親に連れられて帰宅できましたよ、と教えてくれたので、それ以上の心配はしなかった。


 よかった。あの人は闇に乗っ取られただけだもん。いわば被害者だ。体に何もなくてよかったと心から思う。


「はい、いってらっしゃい。本当に待ち合わせ場所までついて行かなくて大丈夫ですか?」


 神主服に白い割烹着を羽織ったナオさんが、手をタオルでふきふきしながら心配顔で尋ねてきた。


「やだ、ナオさん。子供じゃあるまいし。近くの商店街までだから、平気ですよ」


 さすがに16歳にもなって、保護者同伴で友達とは遊べない。それに、ナオさんには神社のお仕事がある。あたしが巫女として留守を預かれない以上、神社には誰かしらいる必要があった。


 確かに昨日の今日で怖く思う気持ちもある。ヤナギが一緒にいてくれなかったら、どうなっていたか分からない。


 ヤナギはあれからずっと寝込んだまま。今も神社の本殿で、座布団を重ねたふわふわの特製ベッドで眠っている。霆門いわく、守護獣の眠りは回復の眠り。目が覚めれば主人を強く思う守護獣の特性上、必ずあたしの元に戻ってくるらしい。


 正直、ずっとそばにいて起きるまで待っていてあげたかったけど……お前にできることは何もない、と霆門にきっぱりと言われてしまっている。


 それに、あたしからモモちゃんへ連絡する手段がない。急にあたしが行かない、なんてことになったら、彼女をどれほど待たせてしまうことになるか分からなかった。


 すると、廊下で様子を見ていた霆門がとことことこちらへ歩いてきた。


「俺がついていこう」


「えっ、いいの? 霆門」


「お前、昨日の今日で警戒心なさすぎだろ。もっと用心しろ」


 そう言って袴姿の霆門はささっと雪駄を履くと、あたしの返答も待たずに玄関を出て行ってしまった。


「それなら安心です。帰りも迎えに来てもらいましょう」


 嬉しそうに言うナオさんだったが、あたしの胸には一抹の不安が去来していた。


「えっ、それはちょっと……」


 あたし絡みになると過激派になるモモちゃんが、霆門の姿を見てどう暴走するか分からなくて恐ろしい。あの紳士的で人畜無害そうなカナデくんですら、あの有様だったのだ。霆門といつもの口喧嘩し始めたら、本当にロケットランチャーくらい引っ張り出してきそうな雰囲気さえあった。


 でも確かに、道中襲われてもあたしには対抗手段がまだない。霆門の申し出をありがたく受け入れるしかなさそうだ。


 今日の商店街で、鉄バットでも買おうかな……護身術の本とかあったら絶対買おう。うん、そうしよう。


「じゃあ、いってきます」


 なんだかいろいろと考えることが増えてしまって、すでにちょっぴりお疲れ気味に再び出立の挨拶をナオさんへ向けた。


「いってらっしゃい。楽しんできてくださいね」


 やたらと割烹着の似合うナオさんは、優しく送り出してくれた。


 神社の鳥居をくぐり、霆門と二人並んで歩く。昨日よりも温かい気温はぽかぽかの春日和で、お散歩するにもちょうどいい天気だった。


「そういえば、あんたが神社を出たの初めて見たわ」


 霆門とナオさん、一緒に過ごすようになってひと月あまり。神社の裏手の部屋に住んでいるという霆門は、そのすべての時間を神社の中で暮らしていた。


 いない時間帯も多いけど、その時何をやっているかは知らない。あまりプライベートのことに立ち入られるのが好きじゃないあたしからしてみれば、不在の理由をわざわざ聞く気にはならなかったからだ。


「そういえばそうだな。聖域の外は疲れるからな」


 さらさらの髪を春風にもてあそばれながら、霆門はそう言った。


「え、疲れちゃうの? 一駅ぶん歩くくらいの距離でも?」


「まあ、事前に準備しておけばそれほどでもないが。あまり神社から離れすぎるのはな」


 はえー……まあ、肌も白いし、手首とか女の子みたいに細いし、あまり運動するタイプではないんだろうなと思ってたけど、予想以上だった。


 そんなに月石神社から離れたくないなんて……本当にあの神社が大切なのね。


 霆門は浅黄色の袴を軽快に揺らして、ぺったぺったと雪駄を鳴らしながらのんびりした足取りで歩いていた。


 霆門は気分で着物や袴を変える。袴の色は階級をあらわしていて意味があるものだって前にナオさんに教えてもらったけど、霆門は階級なんかどこ吹く風で、今日着たいものを着たいように着ていた。


 まあ、霆門は神社の神主さんってわけじゃないし、祭祀を執り行うわけじゃないから、それでいいのだろう。あたしも詳しいことはよく分からないけど。


 車のエンジン音がすると、霆門はさりげなく車道側に立ち、民家の壁側へあたしを誘導した。後ろから赤い軽自動車があたしたちを追い抜いていく。そんなささいなこともなんだか守られているように感じてしまい、くすぐったくなった。


 ああ。そうか。今は、霆門と二人きりなんだ。

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