鉄の女の襲来

 金や銀の塗料は発色が難しく、また顔料に使用する鉱石が希少で高価だ。だから、その色を多用する作品は、それなりに高い金額をつけている。場合によっては白金貨、私の屋敷と同じ金額になったりする。


 その話をしたところ、アーレストは金に糸目はつけないと言った。


 エルネスタは恋物語が大好きな、恋に恋する乙女だった。しかし、彼女がもし恋に落ちたとしても、彼女が望む恋愛結婚はひどく難しいものになるだろう。


 エルネスタには、すでに婚約者がいる。それも、昨日今日決まったような話ではなく、洗礼前に家同士で結ばれた許嫁だ。


 父であるアーレストは、いまだにそれをエルネスタ本人に告げられずにいる。溺愛している娘が恋に憧れるようになり、さらに言い出しにくくなったのであろう。

 アーレストはとにかくエルネスタの機嫌をとりたかったというわけだ。


 なんとまあ、聞きたくない話を聞いた。



 私は現在、エルネスタと街を散策中である。私が怠惰人間であることを理由に、セルモンド邸に通うのは難しいと言ったところ、なんとエルネスタが自ら我が家を訪ねてきた。

 いくら徒歩二十分ほどの距離で治安の良い富裕層区域と言っても、領主の娘が従者もつけずに遊びにくるのは如何なものか。貴族もどきの私だって、街を出歩くときには必ずナーシャがついてきたというのに。


 オホホホ!ジータのためにアタクシが参りましたわー!じゃない。


 無碍にするわけにもいかず、こうして散策にでている。お上品な富裕層区域を抜け、現在は商業地区のど真ん中だ。


「ジータの髪、どうやって結っているのかしら。不思議ね」

「あぁ……これは、筆一本で。本当は私も可愛くできたら良いのですが、いかんせん全て従者に任せきりだったもので。ひとりでどうにか髪を結うには、これが限界だったのです。こうして、まとめて、ここに挿すと、ほら。案外簡単なのですよ」

「まぁ!すごいわ!本当に器用ね!アタクシの髪でもできるかしら」


 うーん。金髪縦ロールである。


 個人的にはコテもアイロンもなく、どうやってその髪型を作っているのかが気になる。いったいどうやっているのだろう、このドリル。魔法か?魔法なのか?

 なんと言おうか、知らないこと、わからないことを“どうせ魔法だろう”で片付けてしまうクセが出来てしまって、想像力が衰退しそうだった。


 子豚ちゃんは楽しそうに商業区を歩く。意外と体力があるのだ、この体型で。ダンスも好きだと言っていたので、運動神経も悪くないはずだ。


「今日のエリィは綺麗に髪を作ってもらっていますから。そうですね、今度エリィの従者の方にお教えしましょう。私がやるよりもずっと、可愛くしてくださいますよ」

「嬉しいわ!ジータったらデルフィナちゃんのことを言えないくらい口が上手いんだから。オホホホ」


 いや、私に金髪縦ロールをどうこうできないだけだ。面倒だからヨイショしておこうというのはあるけれど、いまは特に褒めていない。どこに喜ぶポイントがあったのだろう。


 芋の入った木箱を抱える私と同じ年頃の少年が、慌てたようにエルネスタの横を駆け抜けて行く。

 追い越す際に肩でもぶつかったのか、エルネスタがよろけ、少年の持っていた木箱が宙を舞った。


 道端に散らばる芋。


「キャア!なんッ、てことなのッ!そこの貴方!アタクシを誰だと思って!?」


 エルネスタ噴火。


 まあまあ、と宥めようとしたら、エルネスタの姿が視界から消えた。あれ、どこいった……


 あ、いた。


「ちゃんと前を見て歩かないなんてどういう教育を受けているのかしら!ちょっと、聞いているの!?ぶつかったのに謝りもしないなんて!」

「ご、ごめんなさい……」

「ほら、ご自分の芋でしょう!?きちんと拾いなさいな!大切な商品なのではなくて?もう、ちゃんと他の方にもお礼を言いなさい!」


 おう、めっちゃ芋拾っている……

 ぶつくさ説教しながら。


 まあるい子豚ちゃんが、俊敏に動きながら芋を拾う光景。


「大切なトスカ・サリエラでしょう?もう、信じられないわ!」

「ごめんなさい、あ、ありがとうございます。すみません、ありがとうございます」


「ほら、坊主!ここまで転がってきてるぞ!元気な芋だな!ワハハハハハ!」


 大きな声のおじさん。


 赤ん坊を抱っこした若い母親。同じ年頃の女の子。通りすがりのお兄さん。街の人々が、彼の木箱に芋を拾っては入れていく。


「これで全部かしら?」

「すみません。ありがとうございました!」

「ふん!お礼と謝罪はタルクウィニアの子として当たり前のことよ!皆さんにも感謝することね!」


 良い子だ。良い光景だなぁ。

 私の足元に鎮座していたふたつを拾いあげる。どこかで見た顔だと思ったら、パン屋の彼だ。旗を五十本集めてプロポーズするのだと息巻いていた彼。


「はい。ここにもありましたよ、どうぞ」

「ああ!すみません!ありがとうございます!」


「いいえ。こちらこそ、いつも美味しいパンをありがとうございます」


 驚いていた彼に、プロポーズの結果を聞いてみたくなった。そんな無神経なことはしないけれど。

 満足げに頷いたエルネスタとともに彼を見送って、賑わう街をふたたび歩き出す。


「ジータったら本当に人タラシだわ。彼、きっと貴女のことを好きになったわね」


 なぜそうなる。とは突っ込めないので、軽く笑って流す。


「ふふ。それはないと思いますよ。彼にはたしか、恋人がいたと思いますから」

「そうなの!?なんでジータが知っているの!?」


 成人の儀であれだけ大騒ぎしていたのだ。この辺りを生活区にしている街の人は、みんな知っているのではないだろうか。


「でもすごいわ。そんな他人のことなんて、ふつうは覚えていないものよ」

「そうですねぇ……他の方のことは存じませんが、私はこの街の景色を描くのが好きなので、そのせいでしょうね。つい、見てしまう。先ほどの光景も、とても素敵でした」


「……ねぇ!アタクシ、ジータの絵が見たいわ!もっと!たくさん!」


 構いませんよと頷くと、エルネスタは上機嫌に笑った。



 エルネスタの感想はそのほとんどが、すごいわ!と素敵ね!で構成されている。たまに、綺麗だわ!なんて変化球が飛び出してくるくらいで、それを含めてもシンプルで真っすぐなもの。

 ここがどうで、このあたりの色使いがどうで、構図がどうで、なんて感想はひとつも出てこない。

 それでも、否、だからこそ、下手な芸術かぶれに品評されるより、ずっと嬉しいものだった。


「まあ!アタクシ、これが一番好きだわ」

「あぁ、それは昨年の成人儀礼ですね。タイトルは『未来』」

「素敵だわ……みんな笑ってる……今年はジータも走ったのでしょう?描かないの?」


 みんな笑っている。その通りだ。だって成人の儀は、みんながみんなの、それぞれが誰かの幸福を祈り、愛を伝える儀式だもの。


 私にそう見えているから、そういう絵になる。


「描こうと思ってはいるのですが、その後にいろいろとあったもので……」


 爵位の返上と使用人総引き揚げとか、屋敷の引継ぎと半引きこもり生活とか。先日セルモンド邸に訪れたのも、実に久しぶりの外出だった。


 子豚ちゃんの瞳に、『未来』の色がうつる。


「アタクシ、この絵が欲しいわ。パパに見せたいの。だって……うーんと、その、なんていうのかしら」


 ゆっくりでいいよ、というつもりで、エルネスタの横に並んで絵を眺める。我ながら良い絵だと思う。

 ダルドに依頼した額縁も、たいへん良い仕事をしている。いくつかの作品でダルドの弟子に作ってもらったのだが、やはりダルドの腕は格が違う。


「これ、ジータが見た景色なのでしょう?みんなが笑ってる……その」

「はい。私が見た、セルモンドの光景です。貴女の、エリィのお父様がおさめるセルモンドの絵です。私はセルモンドがとても好きですよ。大好きです。この街の一員として、この街を愛している。エリィのお父様は、素晴らしい方ですね」


「うぐ、っ、ぐす……じーた」


 エルネスタは我がままで、自己愛が強くて、押し付けがましい。積極的に仲良くしたいか、と問われたら、否。

 私は怠惰だから、きっといずれ怒られる。言われたくないな、「感謝と謝罪は当たり前」なんて。胸がキリキリしそうだ。


 でも、私はエルネスタの情緒を愛おしいものだと思う。


「この絵こそ、アタクシが思うセルモンドなの。アタクシもセルモンドが大好きだわ。綺麗で、明るくて……アタクシは将来、パパの後を継がなきゃいけない。今のままではいけないって、わかってるの」


 ごしごしと目元を擦るので、ぷにぷにの手首を掴んでやめさせた。擦ると腫れる。私もエルネスタに負けず劣らず泣き虫だから、そのあたりの事情については詳しい。

 とめた手にハンカチを握らせると、思い切りチーン!と鼻をかんだ。


 うそだろ、おい。まあ……まあ、いいけど。


「たしかに、エリィの背負うものはとても重たいのでしょうね。最初から貴族失格だった私には、到底わかり得ないことです。この街の人々が、生活が、エリィの肩にかかっている」


 私はハルクレッドのようにはなれない。敬愛する師のように、ただ作麼生と問いかけて、答えを促すような術は知らない。簡単に真似できるようなものでもないだろう。

でもいいのだ。だって私は、エルネスタの先生ではないのだから。


 ひとりの友人として、無責任な優しさを贈ろう。同年代には嫌われているであろう、この友人に。


 ひとりくらい彼女の心を認める者がいたって良い。

 だって優しさは、私の唯一の美徳で、最大の保身だから。


「大丈夫ですよ、エリィ。貴女がそのままである限り、大丈夫です」

「アタクシ、我がままで嫌われ者よ」


「ふふ、そこではありませんよ。私が言っているのは、ここです」


 二次性徴で膨らんでいるのか、脂肪で膨らんでいるのか。判断が難しい胸を指で示す。

 私はもう、この子がただの我がままな子豚ちゃんじゃないことを知っている。


 どうか君も、それを大事にしてほしい。


「この街の笑顔を見て、幸福を見て、それを素敵だと思えるエリィの心が。この絵を、セルモンドの家に持って帰りたいと思ったエリィの心が。街の人々に幸福でいてほしいと思える、エルネスタ・ガラ・セルモンドの心が変わらないかぎり」


 大丈夫です。と言った瞬間に、エルネスタが胸に飛び込んできた。

 うぐぅ!鳩尾!おもたッ!


 何とか踏ん張って、もちもちの肩を撫でる。


「エリィ、この絵は私からエリィにプレゼントしましょう。友人として、貴方に願いと期待を込めて贈ります。どうかセルモンドを、もっと素敵な街にしてくださいませ」


 ありがとう、ジータ。いいえ、こちらこそ。



 エリィの絵を描こう。私の、初めての友人の絵を描こう。

 やりたいことを、やりたいように、あるがままに。ね、ナーシャ。



 構図は決まったので、私は現在引きこもりの真っ最中である。


「ジークレット様」

「はーい」

「お食事の用意ができましたが、如何いたしますか?」


 頂きます、と返事をして筆を筆洗器に突っ込んだ。そろそろ乾燥させようと思っていたので丁度良かった。

 油絵具と違って、白石塗料は乾燥が早い。薄く塗ったものや、白石粉濃度の高いものであれば、二、三時間もあれば乾く。

 今日中にもう少し描ける。やる気のあるうちに描き上げてしまいたい。

 それで、乾かしている時間にもうひとつのものを描いて、あぁ、でも成人儀礼の下書きも描きたいな。


「ありがとうございます、ラウラ様」

「いいえ、とんでもございません」


 くすんだ金髪をひっつめたこの女は、ラウラ・ガラ・セルモンドという。名前からわかる通り、セルモンド伯の一族である。


 エルネスタが『未来』を持って帰ったその日の晩、なんとセルモンド邸から派遣された。

 ラウラ本人曰く自分から行きたいと志願したというが、使用人のひとりもいないくせに広い屋敷でひとりぼっちの私を見かねて、エルネスタが送り込んできたのだろう。


 使用人さんを貸してくれるだけで充分だったのだが、まさか親族とは。エルネスタから見れば伯母にあたる。正真正銘、アーレストの妹さんだ。


 自分より身分の高い女を顎でこき使えるわけもなく、微妙な距離感が保たれている。


 このくすんだ金髪というのは、セルモンド一族の証なのだろうか。遺伝子というのは侮れない強さを持つものだし、あり得ない話でもないと思う。


 食前の祈りを口にして食べ始める。食事はもともと、ひとりで食べることがほとんどであった。ナーシャやレーナがともに食事の席についてくれたのは本当に幼い頃までで、食堂で食べるようになってからは、彼女たちは後ろで控えるばかり。

 授業があるときは、ハルクレッドが一緒だったっけ。


 それでも、ふたりはいつもすぐそばにいてくれた。レーナは水差しを持ってスタンバイしていたし、ナーシャはすぐに「パンのおかわりですか?」と聞いてきた。


 会いたいな。ひとりのご飯は寂しい。


「ラウラ様もご一緒にいかがですか?」

「いえ、ご遠慮致します」


 くそ、鉄の女め。

 ラウラという女、本当に笑わない。苦手なのだ、こういう人。苦手というか、そう、怖い。ついヘラヘラしてしまいそうになる。


 表情フィードバック仮説というやつだ。悲しいから泣くのではない。泣くから悲しくなるのだ、というもの。

 怒られているときに笑ってしまう私は、この仮説を大いに支持している。


 ネガティブな場面で、真剣な場面で、奈落のように沈んでいきそうな心を守るために笑おうとする。

 ここは笑うところじゃない、なんて私だってわかっている。でも、仕方ないじゃないか。身体が勝手に笑うんだから。


 ヘラヘラした笑顔が人を苛つかせる。人の不機嫌が怖いくせに。

 今世の私は、だから意識的に笑う。勝手に出る笑顔ではなく、意識して相手に笑顔を向ける。


「ラウラ様。ありがとうございます。美味しかったです」


 ナーシャのように、笑って許してくれなくてもいい。だからどうか、怒らないでいて!

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