それはある意味運命の出会い1
「ジータさ……まッ!起きてる!」
「起きていますよ。おはようございます、レーナ」
なんのことはない。ただ目が覚めただけだ。そして、そこに画板と炭ペンがあったから、目の前の花をデッサンしていただけ。自力で起床しただけなのに、そこまで驚くことはないだろう。
ただまぁ、寝坊しても怒られないから、どんどん自堕落になっている自信がある。
炭ペンの使い方は、もうなんの問題もない。三年間握り続けているのだから。練り消しの代用はパン。大好きなパンを炭で真っ黒にしてしまうことに抵抗はあるが、これが一番具合が良いのだ。
「ジータ様、ソルマト木工房のお弟子さんがいらしてますよー」
はやくね?
毎度毎度、あの人たちは早朝にやってくる。世間一般は知らないが、私基準で見れば早朝だ。私が寝ていればまだ朝。たとえ日が高く昇っても、私が起きた時間が朝。
お絵かきとお散歩と授業という毎日のなかに、ソルマト木工房の仕事が追加された。とはいえ毎日ではない。
締め切りもなく、断ってもいい。このスタンスは非常に良く作用してくれた、いまのところ提出が大幅に遅れたことも、仕事を断ったこともない。
レーナの手伝いでとろとろと着替え、髪を整えてもらう。画板と炭ペンは応接室にも置いてあるから持って行かなくてもいい。
ダルドの弟子たちと仕事をするようになってから、応接室にも画材を置くことにしている。とにかく画板が重たいのだ。家の中まで持ち歩きたくない。
今の目標は、色のついた絵画を応接室に飾ること。ゴミみたいな塗料しか生み出せない現在、ゴールはまだまだ遠い。
しかし、うーん……気分じゃない。花の続きを描きたい。とりあえず着替えも終わったのだ、会うだけ会って、仕事は明日やろうと決めた。
「おう!おはようさん!」
「ダルド様……おはようございます」
弟子だと聞いていたのに、とんでもないインパクトが降ってきた。ダルドの話ではない。朝からダルドと言うのも胃もたれするが、それ以上が隣に座っている。ま、眩しい……
太陽のような赤みが強い金髪が強くうねり、太めの眉の下で濃いブルーの目がギラギラと輝いている。角度の強い鷲鼻に、薄い唇。目力だけで殺されそう。
女版ダルドだ!
なのに美人だ!!
「初めまして、ハルクレッド・ソルマトの妻、デルフィナ・ソルマトと申します。職人地区で白石の工房を構えております。事前のご連絡もなく、突然お邪魔してしまい申し訳ありません」
礼儀正しい!!!
驚きすぎて五秒ほど止まってしまったが、とりあえず身体を動かす。
……おい、レーナ。弟子はどうした弟子は。これのどこがダルドの弟子だ。どう見てもダルド盗賊団の女親分じゃないか!
それはひとまず置いておくとして。
スカートの裾をつまんで膝を折り曲げる。
「ご挨拶が遅れました。コルシーニ・デ・ヴァイオが娘、ジークレットと申します。ハルクレッド先生とダルド様には、大変お世話になっております」
どうぞおかけください、と声をかけると、デルフィナは一礼して革張りのソファに腰かけた。背が高くガタイが良さそうに見えるが、おそらく胸にぶら下げた脂肪の塊が原因だろう。天然物の巨乳を支えるためには、それなりの肩が必要なのだ。とはいえ腰も細いし足も長い。なにより、指が長くて驚くほど手が綺麗だった。
優れた彫刻師は手が綺麗なのだと、ダルドの弟子が語っていた。ならば、このデルフィナという職人も優れた彫刻師なのだろう。
ぜんぜんゴリラじゃなかった。勝手にゴリラをイメージしていたの、あまりにも申し訳ない。
とにかく顔も体も派手な美人だった。彫りが深すぎて水がたまりそう。
ダルドの母でハルクレッドの奥さん。なのだが、それにしては若いように見える。まだ三十代くらいか。ナーシャと同じくらいだと言われても驚かない。美魔女というやつだろうか。
よくよく考えてみたら、私はダルドの年齢も知らないのだ。幾つだ、この人たち。年齢不詳ファミリーにもほどがあるだろうよ。
「お袋と俺、似てるだろ?」
「はい、以前お聞きしたとおり、良く似ていらっしゃいます。デルフィナ様は手が……とても綺麗でいらっしゃいますね」
「あっはははは!身体のわりに意外でしょう?手は彫刻師の命ですからね!ジークレット様は逆に手が真っ黒でいらっしゃる。爪のなかまで」
褒めるつもりで話題に挙げたのに、まさか先を越されてしまった。膝の上に置いた手は、先ほどまで炭ペンを握っていたせいで真っ黒だった。いつもはもうちょっと綺麗ですよ。
快活で、あっけらかんとしていて、そして真面目そうな人。私のようなヘラヘラ女は、こういう人にあまり好かれない。
デルフィナの白い手と比べると、本当に驚くほど汚い。手のシワや爪に入り込んだ黒は、どんなに洗ってもなかなか綺麗になってくれない。少し、恥ずかしかった。
「アタシはそういう手の人間が大好きですよ。同じ職人として、とても好感が持てます。ああ、良い手だね、ほんと」
「ありがとう……ございます」
職人か。自分に言われるとは思っていなかった。
私の絵は所詮、趣味のお絵かきから脱しない。ダルドたちが作るような、あんな美しいものは作れない。
「まずは俺の用事から。弟子のデザイン……なんつったか、エスキース?あれをお願いしてからひと月。とても良い仕事をしてもらってる。ありがとう。これが、ほい、お嬢さんの仕事の対価だ」
革の袋から出されたのは
「ダルド様、これでは多すぎます!」
どう考えても多い、銅貨二枚だってお釣りがくるのに。
「受け取れ。少ねぇが、ちょっと色つけさせてもらった。想像以上に出来が良かったんでな」
「シケてんねぇ……男らしく銀貨一枚くらいポンとだせないのか、アンタは」
「うるせぇ!あいつらの作品はまだ売りに出せねぇんだよ!デザインが良くたって彫りが駄目じゃ、恥ずかしくて外に出せねぇだろ」
ダルドから受け取った三枚の銅貨は、とても軽くてひどく重たかった。コインに描かれたタルクウィニアの横顔が滲んでいく。前世の初任給だって、こんな気持ちにはならなかったのに。
「おいおい!なにも泣くこたねぇだろ……」
「あー、よしよし。嬉しかったんだねぇ」
向かいのソファから隣に移ってきたデルフィナに優しく抱きしめられる。見た目にそぐわず、ナーシャばりの優しい抱擁だった。
「いやぁ、可愛いねぇ。タルクウィニアの落とし子だの、子どもに見えないだの、アンタらが騒ぐから一体どんな生意気な小娘かと思いきや……かぁわいいじゃないか」
いいえ、中身ミソジのクソ生意気な小娘ですよ……貴女の息子さんから、子どもだから許されると思ってとんでもない条件の仕事をむしり取った小娘ですよ。
あぁ、しかし、そうか。嬉しかったのか、私は。
「ヴァイオ子爵の娘ってんだから、
うるっときただけのものが、優しくされたせいで本気泣きになってしまった。デルフィナの胸からしばらく顔をあげられなかったのは、けしておっぱいの魔力に負けたわけではない。おっぱい大きい……
おっぱいの幸福度、無限大。ジータちゃんはまたひとつ賢くなった。
間近で見たデルフィナの顔はやっぱり派手で、まさに悪役美人といった風貌であった、海賊のコスプレとかさせたら似合うのではなかろうか。
しかし、ダルドと並べると、息子の子分感がすごい。脳内のダルドを盗賊団から海賊団の子分にジョブチェンジさせた。
初任給大号泣事件を乗り越えて、今度こそデルフィナの話を聴く体制になる。真剣な顔に心臓の座りが悪くなった。こういう真面目な雰囲気が苦手なのだ。ゆるく楽しく、緊張感とは無縁でいたいのに。
デルフィナはきっと優しい人なのだと思う。でも、ナーシャのような甘さはない。優しさと甘さは別物だ。
「まずはジークレット様の描いた絵画ってのを見せてほしい。良いですか?」
「構いませんが……あの、まだ完成した作品というものがないのです。塗料の使い方に悩んでおりまして……炭ペンで描いたものばかりでもよろしいですか?」
頷いたデルフィナを見て、考える。絵を見て仕事を依頼するかを決めようというのだろう。
デルフィナは主に石を扱う彫刻師だ、ならば人物や人体を描いたものが良いのだろうか。幸いなことに、炭ペンの練習をするために身体のパーツをデッサンしたものや、屋敷の使用人をモデルにしたクロッキーなどが大量にある。
しかし、外壁に施すような細かい装飾のエスキースを求めているのだとしたら?うーん……宗教画と言えるものはタルクウィニア像しかない。この国の芸術と言えば、そのほとんどにタルクウィニア教が出張ってくる。神様が描かれないものといえば刺繍くらいしかないのだ。
「どれをお持ちしたら良いのか私では判断がつきませんので、申し訳ありませんが私室までお越しいただけますか?」
「お?あー、うん、有難いんですが、ご令嬢が平民を部屋にあげるなんて……ジークレット様はよろしいので?」
「それは、まったく。貴族令嬢と呼ばれるのもおこがましい生まれですし、それ相応の生活をしておりますし。あまり気負わずに。どうぞ、ご案内いたします」
だって、画板すごく重たいし。自力で運ぶのも嫌だし、使用人をこき使うのも気が引ける。私も風魔法が使えるのなら簡単に運べたのだろうが、残念ながら魔力も筋力もない貧相な十歳児だ。どれを見せるか選ぶ必要もないし、実際に来てもらったほうがいい。最高の案だと思う。
そっくり親子はそっくりな悪人面で驚いていた。
改めて私室を眺めた感想と言えば、酷いの一言に尽きる。
自分が生活するぶんにはまったく気にならなかったが、こうやって人を招き入れると急に客観的になる。乱雑だなぁとは思っていたが、部屋が汚い、なんて今日この時まで自覚すらしていなかった。
壁にずらっと立てかけられた乾かしかけの画板、床に平積みされたデッサンたち、小さい樽で大量に作られた画板用の下地剤、机の上で試行錯誤中の塗料、筆や刷毛を無造作に突っ込んだバケツと汚い水、ぶら下げて干された筆……
絨毯やベッドなどの布にも炭ペンの汚れが飛んでいる。ナーシャとレーナが毎日洗ったり交換してくれるが、私がベッドの上でお絵かきすることをやめないため、いつも汚れている。
ナーシャ、レーナ……苦労をかけます……
「これは……あは、あっはっはっはっ!そりゃ手も真っ黒になるわけだよ!あー、気に入った。これがジークレット様の絵ですか?見ても?」
「あ、はい。えっと、こっちに重なってるのがお花の絵で……これが人体……これは、あれ、なんだろ……あ、これは野菜や果物ですね。で、えーと、これはセルモンド教会の外観で、タルクウィニア像は別のところに、あ、こっちです。あれ?なんで違うのが混ざってるんだろう……これは、あっ、これはダルド様のお仕事のために練習で描いたものですね」
「あっはっはっ!ひー、あはははは!本当にかぁわいいねぇ!ダルドなんかよりよっぽどウチにほしいよ!あー、可愛いなぁ」
気軽に案内したのが間違いだった。自分が怠惰で片付けをしない人間だということをすっかり忘れていた。ナーシャやレーナは気を使って画板には触らないし、これらを整理整頓できるのは私しかいないのだ。部屋が汚いという自覚を、私はまずすべきだった。やってしまった。
すっごい笑われている。死ぬほど恥ずかしい。帰りたい。あ、ここが家だった……無理、なーしゃ……
「アァ!おい!お袋!泣かすな!!」
「あー、ごめんごめん、ごめんね、バカにしたわけじゃないんだよ。褒めてるんだ。でも、大笑いすんのは感じ悪かったね。ごめんね」
ふたたび抱きしめられて、背中を撫でられる。赤ん坊の頃からのくせで、それをやられると寝てしまうので駄目です。
南国に咲く花のように笑いながら、デルフィナは私の描いたデッサンを眺める。ひとつひとつじっくりと眺められるのは、品定めされているようで少し怖い。
重たい画板を軽々と持ち上げる。堪え性のない涙腺のせいで、瞼が腫れぼったかった。
「ジークレット様。これはどうやって描いてるんですか?」
「どうやって……?手で、描いてます」
「手だけで?」
逆に手を使わないで何を使うのだ。足か?
「あ、炭ペンですね。炭ペンで描いてます」
「いや、そうじゃなく……えーと、魔法とかじゃないのかい?」
「魔法が使える人間だったら、私はいまここにおりませんよ」
比喩ではなく。私が魔力を持った子どもであれば、ヴァイオ家の跡継ぎ候補として首都ランで育てられていただろう、そうして、クズを隠して前世と同じように破滅していた。
私は正真正銘の魔力なしだ。
「あー、申し訳ない……もしよければ、描いてるところを見せてもらっても?」
「構いませんよ」
画板の対角に結んだ紐を首にかけ、底辺を腹にあてる。いつものようにベッドに座り、突っ立ったままのふたりを見る。椅子でもお出ししたほうが良かったかもしれない。
ダルド、デルフィナ……うーん、デルフィナだな。
真剣な顔は違う気がする。
ざっと楕円でアタリをとって、首、肩のバランスをとりながら線を引く。手を動かしながら、ふたりに話しかけた。
「私の従者は愛すべきおバカさんなのです」
「はい?」
ポカンとした顔を見つつ、手はとめない。
美人だなぁ、この人。こうして改めてみると、雰囲気は似ているが、ダルドの造形はハルクレッドに近いような気もした。目じりの笑いジワなんか、良く似ている。
「レーナと言うのですけどね。毛さ、私を呼びに来たときに、なんと言ったと思いますか?『ジータ様!ソルマト木工房のお弟子さんがいらしてますよ!』って。あの子にはデルフィナ様がダルド様のお弟子さんに見えたようですね。」
「あっはっはっはっ!ダルドは老け顔だからね!あはは!たしかに、ダルドと並んで歩いてると夫婦に見られることがしょっちゅうですよ。こんな犯罪者みたいな顔して、まだ十八なんですがね!あははは!」
じゅうはちぃ!?十八歳!?
わお、マジか!若いのかもしれないとは思ったが意外過ぎる。いやいやいや、どの角度から見ても十八歳の青年には見えないのですが……
ダルド以外の木工職人と言えば弟子くらいしか見たことがないため、ダルドがどれほど優れた職人なのかしらなかった。だが、十八という若さで工房を構えるのだから、ダルドはこの国でもかなり実力のある職人なのだろう。才能ある人間、こわい。
ハルクレッドが四十五歳、ひとり息子のダルドが十八歳。では、デルフィナは?見た目だけ見て若そうだなぁ、なんて考えていたが、分からなくなってきた。年齢不詳が過ぎる。
あの手この手でデルフィナを笑わせたが、出不精の引きこもり令嬢であることが悔やまれる。滑らない話の引き出しが少なすぎた。レーナの話、ハルクレッドの話、小さな匙が大量の花になった話。
「こんな感じ、でしょうか」
「ウオッ!すげぇ、お袋だ!」
「……もしかしてとは思ったが、こりゃすごいね。本当に一切魔法も魔力も使ってないんだ……」
何度も言うように、私は正真正銘の魔力なしだ、私にあるのは、前世で嗜んできた趣味の記憶と、三年間握り続けた炭ペンだけ。
白色の画板に描かれたのは、豪快に笑うデルフィナ。私の初めての人物デッサンは、ナーシャでもレーナでも、自画像でもなく、今日会ったばかりのデルフィナ・ソルマトになった。
デフォルメは加えていない、簡単なデッサン。スケッチと言ったほうが良いかもしれない。
そこまで時間をかけるわけにもいかないので簡単に描いたが、この人の顔は描き込もうと思えば何時間でも描いていられそうだった。美人はいい。
「アタシはね、最初にジークレット様が描いた匙の絵に惚れたんだ。コイツの弟子に描いたやつじゃなく、がーふぁーにゆとジークレットのアレさね。なんて素敵な匙だろうって」
そう言ってポケットから取り出したのは、私がナーシャに贈ったものと同じ匙だった。花の位置やツタの巻き具合が変わっているのは、彫刻した者が違うからか。こちらのほうがバランス良く、すっきりまとまっている気がする。
「思わず自分でも彫ってしまうくらいにね。二十五年も彫刻やってんのにね、ずっと違和感があった。胸にあるこの違和感の正体を、アタシはずっと知らなかったんだ」
小さな匙を、綺麗な手で握りしめる。まるで、少女が宝物を抱きしめるように。
「ダルドが木彫の道に進んだとき、アタシは白石彫刻に道をかえた。家具や食器を作ることを、辞めたんだ。その理由を自分でもわかってなかった。でもね!ジークレット様の匙を見て、ようやく知れたんだ。この違和感の正体を」
息子であるダルドも真面目な顔をしてデルフィナの話を聴いている。ダルドも知らない話なのかもしれない。
しかし、真面目な話をしているのに考えてしまう。二人が真剣な顔をしていると、どうにも悪だくみをしているようにしか見えない。
真面目な場面で真剣になれないのは、私の悪い癖だ。
「この国の食器はさ……どれもこれも……」
眉根をきゅっと寄せ、唇を軽く噛む。ひとつ息を吸って、人を殺せそうな目力が私を射抜いた。
「可愛くないんだよ!!!」
わ、わ、わ……わかるぅ~~~~~~!!!
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