それはある意味運命の出会い2
デルフィナという彫刻師は、ようは食器のデザインが可愛くなさ過ぎてテンションが上がらなかったのである。
まとめるとそういう話だ、彫刻は好きだけれど、デザインが可愛くないからやる気がでない。好きなことをしているはずなのに、やりたいことではないから違和感を覚えていた。
そりゃそうだ。だって本当に可愛くないもの。どれもこれもオッサンばっかり!ボサボサ頭の!髭の生えたオッサン!手に持っているのはツタと芋!有名な逸話は息子を食べたという狂気の神話!
楽しいわけがない。
「この匙さ、すごいよ!まず目につくのが花さね、ガファーニユもジークレットも、どっちも華やかな花なのに、見事に調和してる。寄り添って咲いてるんだ」
おぅ……恥ずかしい……
絶賛されるのは嬉しいが、視線に熱がこもりすぎて居たたまれなくなってきた。
前世ではありふれたようなものでも、この国では絶賛されてしまう。私のデザインが凄いのではなく、この国のトスカ・サリエラデザインが酷いのだ。
何度でも言う。この国のセンスが悪い。
「なによりも……トスカ・サリエラのツタが主張しすぎない。だけど、トスカ・サリエラだと分かる。ガファーニユとジークレットと、農耕神トスカ・サリエラ。重たくもなく仰々しくもなく、軽すぎもしない、これはジークレット様のお母上に贈ったものだろう?込められた意味も、言葉も含めて、正しく贈答品だ」
ガファーニユとジークレットの匙を贈ったのは乳母ですけどね。無粋なことには口をつぐむ。
こういう匙を作って良いんだって思ったよ、デルフィナはそう言った。
「私はこれでもそれなりに名の通った白石彫刻師だ。金や工房のために、貴族の坊ちゃんの道楽に付き合ったこともある。でも、これは一端の職人として、ひとりの職人へのお願いだ」
ガタイの良い女が、ベッドに腰かけた子どもの前に膝をつく。騎士が姫に忠誠を誓うような姿勢だった。
でも、その手に握られているのは、鋭く輝く剣じゃない。可愛らしい、小さな小さな木の匙だ。
「アタシと一緒に仕事をしてくれませんか。絵画職人、ジークレット・デ・ヴァイオ様」
〇●〇●〇●〇
応接室に戻ったデルフィナは、一枚の皿を見せてくれた。
楕円の形をした大きな平皿はパン皿とも呼ばれるもので、食卓の真ん中にパンを積み上げるために使用される。上流階級の食卓は個別にパンを用意されるのであまり出番はないが、それでも一家に一枚は必ずあるだろう。
なんと言っても、贈り物代表のお皿だ。
細かな装飾を入れた銀製のパン皿は、上流階級たちに贈答品として選ばれるし、財力を他者に示すための飾り物にもなる。物によっては銀貨どころか金貨が何枚も吹っ飛ぶような高級品である。
贈り物や飾り物として用いられるパン皿は、大抵ド真ん中にトスカ・サリエラの顔面が鎮座し、常用して汚れることを想定していない。そもそも、芋を持ったオッサンの顔にパンを置きたくない。
デルフィナに見せられたそれは冬季のように白く滑らかで、まだひとつの装飾もされていなかった。
「これは……」
「白石で作った皿だね。重たいから普段使いすることは考えてない」
「贈り物、ということですね」
珍しいものだった。
土魔法の石材、白石と呼ばれるものは、建造物の壁や彫像などに利用される。土魔法で生み出したときは白い粉末状であり、混ぜ物をして固めた後に加工を行う。
私が画板に使用する下地剤や塗料に使っているのも、この白石の粉である。
硬く風化しにくく、そして重たい。割れにくい、欠けにくい、という長所があるが、それ故に魔法以外での加工ができず、また食器には向かないのだ。
白石で作られる家具代表と言えばトイレだろう。そう、便器である。水分によって腐食しない白石は、台所や手洗い場、トイレとの相性が抜群に良い。
私の恋するタルクウィニア像も、この白石で作られている。無機物であるのに、まるで血の通うような質感は、あのタルクウィニア像以外に見たことがない。
「綺麗ですね」
まだなんの装飾も施されていないのに、その真っ白な平皿は美しかった。
自然のものであるが故に、木彫は難しい。木の状態や質、木材によって出来が変化する。木目なども合わせれば、同じ職人が手掛けたとしても
ひとつとして同じ作品は作れない。木材の目利きもまた、木工職人たちの技だ。
ならば、素材の目利きを介さない白石彫刻は簡単であるか、答えは否。
白石彫刻は素材、白石粉を生み出すところから始まる。土魔法が達者な職人が生み出す白石粉はキメが細かく、その粒子が統一と言われている。キメが荒く粒子の大きさがバラけている白石粉は、どんなに上手に風魔法を施したところで滑らかな質は生み出せない。
そして、鉄よりも硬いその素材は、風魔法をもってしても加工が難しい。
木彫五年、彫金十年、白石彫刻十五年。というらしい。すべてを修め職人と名乗るのに、三十年の歳月を要するのだそうだ。
デルフィナの作った白石のパン皿は、表面にざらつく箇所がひとつもない、淵のカーブも滑らかで、歪みもガタつきもない。
疑うわけではなかったが、なるほど、名の通った職人と自称するのも伊達ではない。ここまで滑らかな質感を生み出せるのだから、デルフィナの白石粉もさぞ美しかろう。
「娘の洗礼に贈り物を、って話でね。もともとは金額にあった大きさの彫像にするつもりだった。でも、ジークレット様の匙を見ちゃったからねぇ……アタシも食器を作りたくなっちまった」
白石の皿など見たこともなかったが、良いと思う。そういうの大好きだ。
素晴らしい技術を持つ職人に影響を与えたのだとしたら、それほど誇らしいものはない。まぁ、私というよりも、前世で発展していた美術やデザインの多様性が与えたものだけど。私が影響を与えたと言い張るには、車輪の再発明のようで気まずさがある。
「それで、私にデザインの相談を……?」
「そう言われればそうなんだけどね……」
ふぅ、と息をついて、紅茶を口に含む。レーナに淹れなおしてもらったばかりなので、まだ熱いだろう。
カップを置いたデルフィナが、平皿の面に指を置いた。
「ここに、絵を描いてもらいたい」
「えッ……」
絵ッ、ではない。驚いて声が漏れただけである。
そういえば、いつの間にかデルフィナの口調が崩れていることに気が付いた。元々そこまで堅苦しい言葉遣いではなかったが、二度も胸で泣かれたらそりゃ崩れるだろう。
そんなことは、今はどうでもいい。
「ジークレット様の真価はデザインじゃない。その絵だと思う、なんていうのかな、まるで板のなかに本物があるかのような、ソレだ」
写実的と言いたいのだろう。絵画を見た感想に「写真みたい」というのはよくあることだし、絵という文化が発達していないこの世界で、私が描くような写実的な描写は珍しい。
それはわかる。わかるのだが……
「で、でも、私は塗料の使い方すらまだ試行錯誤している身です!それを、こんな……私の絵なんて、ただの道楽で……」
そりゃあ嬉しい。とても嬉しい。胸が熱くなるほど嬉しい。
けれど、問題は私の技術力と、いまだにワケの分からない謎塗料だ。贈答品にされる皿に炭ペンで描くわけにもいくまい。
絶対に高価だし……洗礼の贈り物というくらいだから、思い出の品になる大事なものだろうし……
前世では私よりも絵が上手い人なんてごまんといた。色彩のセンスも構図の巧妙さも、私が描くものの何倍も良いものが転がっていた。
身体も出来上がっていない十歳の身体で、お粗末とも呼べる画材で描くそれは、前世の趣味で描いていたものよりずっと酷いものだ。
「私はまだ十歳の子どもですし……ただの道楽にこんな……」
「アタシは貴族のガキンチョを相手にしてるんじゃないよ!ジークレット・デ・ヴァイオという職人に仕事を持ちかけてるんだ!二十五年の歳月を物作りに費やしたひとりの職人がッ!」
鼓膜がビリビリするほどの大声だった。ただでさえ身体が大きくて威圧感があるのに、顔を真っ赤にして怒鳴られたら怖い。
だけど、ちょっと嬉しい。
「アンタのその技術と!手が真っ黒になるほどの努力を買うと言ってるんだッ!」
努力……
違う、これは努力なんかじゃない。ただの道楽だ。やらなければならないことすら使用人に押し付けて、ただ好きに描き殴っていただけだ。
血が滲むようなことも、真面目さも、誠実さもない。私の人生に努力なんてものは存在していない。
家族泣かせの、女泣かせのクズに、そんな高尚な言葉は使っちゃダメだ。
なのに、なのにどうして……
「っ……ぅぇ……」
「んだァ!何回泣かせれば気が済むんだよ、バカお袋!お袋の怒鳴り声は怖ぇんだよ!」
「うっせぇバカ息子!怖くて泣いてんじゃないよ、この子はッ!」
怖くて泣いているのもありますぅ……!怒鳴らないでくださいぃぃ……!
私の隣にどかっと座ったデルフィナが、炭ペンの汚れが落ちない手を強く握った。
デルフィナの大きな手と、私のまだ小さな手。彼女の生み出す芸術のように滑らかで美しい手と、誰かの心を震わすこともできない私の汚い手。どこまでも対照的だ。
「いいかい。ジークレット様はその絵を、ただの趣味だなんだと言うかもしれない。でもね、この手や、あの部屋にあるものは間違いなく努力だよ。良い絵が描きたいって、誰かを感動させたいって、そう思ってる証拠だよ。それを、私の絵なんか、なんて言っちゃいけない。ジークレット様の努力は、たしかにこの手の中に、あの部屋の中にあるんだ。じゃなきゃ、ヴァイオ様も使用人もあの部屋の惨状を許すわけがないだろう。自信を持てないなら、アタシが代わりに自信を持ってやる。アタシが認めてやる」
ジークレット様の努力が、ただの道楽であって良いわけがないんだ。
この人の言葉を聞いていると、どうしてこんなにも胸が痛い。
「アタシと仕事しよう、ジークレット様。良い仕事を、ね」
〇●〇●〇●〇
平皿の縁にデルフィナが装飾をいれ、平面部に私が絵を描く。それがデルフィナから聞いた話。
なんと、この仕事で貰えるのは
成人を迎えたばかりの、いわゆる新卒は平均月収
平民たちが使用するのはほとんどが大銅貨までで、銀貨以上の支払いなど、大きな家具を買うときくらいではなかろうか。
私に銀貨一枚を支払うというくらいだから、あの皿に支払われる金額はもっと高額ということだ。下手したら平民の年収くらいいくのではないかと踏んでいる。いや、それ以上かもしれない。
今年の洗礼式はすでに来月に控えており、嬉しい言葉はたくさんもらったが、流石に断らざるを得ないかと思っていた。なんと言っても、いまだに塗料の調合段階で躓いているのだ。ひと月でどうにかできるレベルではない。
と、思いきや、納品は来年の洗礼式まで。締め切りが遠のいたことを喜べばいいのか、一年前から注文するほどの愛情をプレッシャーに思えばいいのか。
なにを描くか、どのような構図にするか、それも悩ましいが、それ以上の問題が転がっている。
三年だ、満足いくものを作れずに三年。
安価で絵具を購入できた前世がいかに恵まれていたのかをこんなところで知った。パン以外のものが美味しくないのも、トイレが汲み上げ式なのも、そこまで問題に思わなかったのに。不満はあれど、慣れてしまえばどうということもない。
問題は絵具だ、絵具。
「ジータ様ぁー、カルロッタ様からのお手紙が届いてますよ。お花と一緒に」
「ありがとう、あとで読みます」
手紙と花束、どちらがメインなのか分からなくなりつつある今日この頃。そんなことより、この地獄のように扱いにくい塗料のほうが重要だった。
私の後ろで何故か作業を見学するレーナを無視して、塗料の調合を続ける。
ヤギの乳。ようは水分が少なすぎるとダマになる、しかも乾くのが早すぎて満足に描けない。
水分が多すぎるとムラになりやすく、しかも垂れるし乾かない。
画板に使っている下地剤も、そもそも納得いっていない。水分多めで作ったそれを何度も重ねて塗ることで、何とか白い下地を作っているに過ぎないのだ。
塗り重ねたことによる影響か、街で買ってくる白石粉の質か、表面がざらつくことについてはもう諦めた。
ならば塗料も下地剤と同じ調合で重ね塗りすれば良いのでは?と思ってやってみたのだが、色を馴染ませるための油をいれないと、どうにも色が浮き出してしまう。乾くとマーブルカラーになる塗料なんてピーキーにもほどがある。
だから結局、油を混ぜた上で、具合の良い調合を探さないといけない。
試しに作った青色を、濃度別に五種類。
「んあーーーー!ダメだぁ……」
一番濃いものは論外。混ぜている段階で、すでにダマになっている。二番目はそれに比べるとマシだが、どうにも伸びが悪い。あと、乾くの早すぎて掠れるし、乾いたときにひび割れるだろう。筆もすぐにダメになりそうだ。
一番薄いのもダメ。色を出すために使っている顔料が混ざりきらない、色がどこか浮いて見える。二番目は垂れることは別としても、筆に乗せた感覚は悪くない。ガッシュのような使い心地だ。このままの色が出て、このまま順調に乾いてくれるなら問題ない。が、何度も挑戦しているから分かる。これは乾いたら色が変わるし、顔料が浮き出てマーブルカラーになるやつだ。
マシなのは真ん中の三番目。正直、ものになるならこの濃度のものを使いたい、硬さも伸びも発色も、何度作ってもこの濃度が一番良い。
「なにがダメなんですか?」
あ、レーナがいるのを忘れていた。
五本の青い線を、それぞれ指で指し示す。
「このふたつはダマになってまともに描けないし、これは薄すぎで色が浮いてます。これは乾くとムラになるし、色が変わります。で、これは……」
乾いたあとの状態が読めないのだ。ひび割れることもあれば、色ムラがでることもある。しかも、ザラつきが強くて、重ねて描くと筆が引っかかる。
白石粉の特性上、ほんの少し凹凸が出て、油絵以上の立体感が出る。私はこれを気に入っていた。色で出す陰影だけでなく、この凹凸のほんのりした陰影を使いたい。
いっそのこと油絵具を自分で調合することも考えたが、私はどうにも白石絵具の雰囲気が好きだった。艶がなく、冷たさすら感じる硬質な感じが。まだ完成してもいないけれど、上手に作れたら絶対に良い絵の具になる。
そもそもが石なのだから、乾くとマットな質感になるのも当たり前だ。
ザラつく画板の表面をなぞる。私は、この白石絵具でタルクウィニア像を描きたい。
「デルフィナ様に相談してみては?」
「……たしかに、それもありですね」
私と言う人間は、前世の幼い頃から誰かに相談するということが大いに苦手であった。クズのくせにプライドが高いのだ、いや、わけのわからないプライドが高すぎて、結果クズになったとも言える。
塗料を勝手にぐるぐるとかき混ぜながら、レーナが首を傾げる。
「屋根塗り屋さんを紹介してもらうとか……」
あぁ、と思わず首肯した。
そもそもがこの塗料、もとは屋根の塗装に使われるものだ。私が作る画板自体、屋根塗装のやり方を応用したものである。
もう一度頷く。
これは二度目の人生。苦手な相談というものをしてみるのもいいかもしれない。私も少しは変われているだろうか。
レーナの手によってグルグルと回る青い塗料を見つめていると、こんこんと小気味良いノックの音が聞こえた。
「ジークレット様、お時間よろしいですか?」
「ナーシャ、どうぞ」
シーツの交換だろうか。そう思って入室を促したが、ナーシャの手にはなにもない。
「デルフィナ様がお見えですが、お会いになりますか?」
「なるッ!」
ナイスタイミング!神の思し召し!ありがとうタルクウィニア様!
相談しようかな?とは思っても、自分から行こうと思えば、絶対に明日でいいや、来週でいいや、となるに決まっている。それを分かってのタイミングとしか思えない。
変われているかな?ではない。変われているわけがない。クズはどんなに成長してもクズだ。
最近入手した黒いヤッケのまま飛び出した。貴族令嬢にあるまじき格好だが、仕方ない。
余談であるが、この黒いヤッケ。これに黒いスカートと黒いローブを合わせた真っ黒スタイルは、のちに私の代名詞となった。
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