子豚ちゃんと恋物語1


 がらんどう。


 伽藍堂とは伽藍神を祀る御堂のこと。誰もいない、からっぽである様を表す『がらんどう』の由来になっているかどうかは諸説ある。


 がらんどう。


 がらんとしている状態。なにもなくて広々としている状態。


 布団を頭からかぶると、部屋の中に燦燦と差し込んでいた日が消えた。なにも聞こえない。当たり前だ。だって誰もいないのだから。


 屋敷もがらんどう。私の心もがらんどう。

 絵を描く気も起きない。あー、煙草吸いたい。日本のみならず世界中が嫌煙ムードで、日に日に喫煙所が消えていたから、十四年も経った今ごろは、煙草産業すら消えているかもしれない。あー、パチンコしたいな、新台どうなっているかな。あー……



 ナーシャはちょっとだけ泣いた。最初にジークレット様からお話を聞いたときから、覚悟をしていましたから。そう言って。両親が訪ねてきてからナーシャの態度がおかしかった理由が、このときようやくわかった。

 私が使用人雇用について考えていなかったこと、気づいていただろうに。どうして言ってくれなかった。考えたのに。ナーシャやレーナと居られる方法も、言ってくれたらちゃんと考えたのに。

 私にはナーシャがいないとダメだって、知っているくせに。


 レーナはすごく泣いた。ジータ様、ジータ様って、子どもみたいに泣いた。四年前の成人を機にレーナも正式なヴァイオ家の雇用になっていたから、もちろんナーシャと共に首都ランへと行ってしまった。

 ねぇ、レーナがいないと、私なにもできないよ。お湯の出し方は分からないし、部屋の灯りだってつけられない。レーナがいないと、なにもできないのに。


 ナーシャとレーナはヴァイオ家のものだ、私のものじゃない。でも、私はふたりを取り戻したい。

 ならば、ヴァイオ家を出たことは間違いだった?


 否、それはない。


 断言できる。だったら、どうすれば良い。

 答えは簡単だ。ナーシャとレーナ、他の皆がいないなか、職人としてきちんとやっていくしかない。

 今まで通り、自由な、描きたいものしか描かない絵画職人として。そうやって名をあげることが、皆の恩に報いるただひとつの答えだ。


 こうやって、日がな一日なにもせずに布団に包まれていることが、良いことなわけがない。

 わかっている。これじゃあ前世のクズと同じだって、分かっている。たとえヴァイオ家から出たって、これではなんの意味もない。


 ふたりのこと、使用人たちのことを考えていなかった私が悪い。私の責任だ。


 カランカラン


 あぁ、ほら、今日も玄関の呼び鈴が鳴っている。毎日無視しているけど。

 きっと今日も、暫くしたら諦めて帰るだろう。どうせどこかの貴族家から来たお使いだ。それか商会のお使い。あぁ、面倒くさい。


 カランカランカランカラン


 うるさい。早く帰らないかな。


 ランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカラン


 「うるさッ!えッ!うるさッ!」


 カランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカラン


 うるさい!すっごくうるさい!誰だ、はた迷惑なやつ!どういう精神状態だったら、こんなベルをカラカランできるのだ!

 布団を跳ねのけて部屋を飛び出し、玄関に走る。さすがに我慢できない。


「いま出ます!どなたですか!」

「ジークレット様!」


「でッ!」


 鬼のように呼び鈴を鳴らしている犯人は、世界一悪役が似合う美女だった。

 え、デルフィナ……あ、え、あ……


「ちょ!なんで閉めッ、ジークレット様!?」

「あ、あ、あ、会えません!」

「なんでよ!?」


 会えるわけがない!

 ナーシャたちがいなくなって何日経ったか覚えていないが、台所に残っていたパンを食べるくらいで何もしていないのだ。


 そう、なにもしていない!歯も磨いていないし、水浴びもしていない!


 さっきまで布団のなかにいたせいで寝起きだし、髪もボサボサ。涎のあととかついているかもしれない。


「デルフィナ様だけはダメです!」

「え……」


 乙女の矜持だ!

 デルフィナに汚いなんて思われたら生きていけない!デルフィナの前では可愛いジータちゃんでいたいのだ。四年間ひたすら可愛い子ぶってきたのに、「うわ、ジークレット様フケツさね……」とか言われたら死ぬ!


「私いま、その、とてもデルフィナ様に会える姿ではないので……だから、その」

「んなこたぁ気にしないよ?」


「私が気にするんです!」


 別にデルフィナとの仲を進展させようなどとは考えていないが、それはそれ、これはこれ。

 私は!デルフィナの!今日もジークレット様はかぁわいいねぇ、がほしいから!


「あの、一刻だけ!ください!」


 扉の向こう側に必死の声を投げかけた。


「お、おう?」

「あ、帰らないで!下さいね!」


 向こう側からデルフィナの笑い声が聞こえて、随分久しぶりに私も笑った。

 そうとなれば、まずは風呂。


「レーナ!水あ……び……」


 いないんだった……

 うぅ、悲しくなってきた。レーナ、レーナ、レーナに会いたいよぅ……


 滲む視界を手で拭って、仕方ないから動き出す。今まで手伝ってもらっていたので勝手が分からないながら、なんとか水浴びを済ませ、下着姿のまま歯を磨き、ワンピースを選ぶ。

 ナーシャの屋敷内メモがあったので、大助かりでした、ありがとうナーシャ!


 でも、水浴びはお湯の出し方が分からなかったので、文字通りの水浴びとなった。寒かった。


 髪を整えてくれるレーナはいないし、髪留めがどこに仕舞ってあるのかもわからない。幸運なことにブラシと櫛は見つけたので、必死こいてタオルドライして梳かしてやった。髪を乾かすための魔道具なんて使えるわけがない!くそう!

 悩んだ挙句、細い筆を簪の代わりにして結い上げた。ボサボサよりマシ!くそう!


 質の悪い鏡で全身を確認する。まぁ、うん、なんとか……さっきより良い、はず。たぶん。きっと。おそらく。メイビー……


「お待たせしました!」

「おう、早かったね」


 ほんのり心配そうな色を浮かべたデルフィナに笑顔を返し、いつもの応接室に連れて行く。ここに入るのも久しい気がした。


 あ、埃がたまっている。あ、お茶。あぁ、無理、ひとりじゃなにもできない。


「ジークレット様、ちゃんと食べてんのかい?」

「ぁ、ぇと……」


 ゔんッ……!頬に手ッ……!


 ソファに座るよう促したのに、座ることなくデルフィナが手を伸ばし、ためらいなく手のひらで頬に触れた。


 あの、ちょ、心配されているのはわかるけれど、ちょっと、恋する乙女には辛い体勢です!主に心臓と下腹部に負担が!

 思春期だから!ジータちゃん絶賛思春期だから!ぐぅ、近い……!


 ぐぅ……ちゅーしたい……!


「あはは、ちょっとドキドキしちゃうね?」


 無理ィ!


 こういうときは!?素数!

 三,一四一五九二六五三五八九七九三二三八四六二六四三三八……


 違うコレ円周率!


「そすう……」

「ん?ソ?」

「な、なんでもありません。その、お出しできるお茶もないのですが、どうぞお掛けください」


 お願い、早く座ってくれないとマズいことになっちゃうから。下着が。

 あと夜な夜な貴女の裸婦画を描くことになっちゃうから。


 座ったデルフィナを見て、私もようやく一息つく。思春期すごい……


「で、ちゃんと食べてんのかい?」

「パンなら……」

「パンだけ!?」


 違うの。作れないの。

 面倒でやる気が起きなかったというのもあるが、そもそも料理をしたことがないのだ。前世の台所と違って、発達の方向性が違う調理場は未知の世界であった。まず、火を着けられない。運よく着火できても、加力の調節ができない。包丁の切れ味がゴミ、なにこれ叩き切るの?食材が意味不明、なにこれ食べ物なの?その他諸々。


 前世でヒモ女をやっていたときは、料理はそれなりに出来た。けして料理上手とは言えないまでも、せめて食べられるものくらいは作れたのに。

 そもそも食べてくれる女が何を食べても「美味しい!」しか言わない女だったので、正しい評価を受けたことがない。


「あー、なるほどねぇ、ジークレット様はお嬢様だもんねぇ……おっしゃ、じゃあアタシが作ってやる!」

「本当ですか!?」

「おーぅ、あんま期待するなよ?」



 ……結論、美味しかったです。


 いや、料理自体は食べなれた塩味のそっけないものだが、ほら、私は思春期なので。好きな人の作ってくれたものならなんでも美味しく感じるから。


 好きな子がくれた溶かして固めただけのバレンタインチョコレートも美味しかった。あれと同じだ。

 あ、うわ、チョコレート食べたい。思い出すんじゃなかった。


「で、エルネスタの高笑いお嬢様がうるさいわけよ」

「あー、はい。あぁー……」


 デルフィナの用件は、表向きはセルモンド領主の娘、エルネスタ・ガラ・セルモンドに会ってくれないかというものだった。

 ただ、本音は心配してきてくれたのだと分かっている。ナーシャから手紙をもらっていたそうなので。


 本当に、方々に手を回すくらいなら、一緒にいられる方法を考えて欲しかったよ、ナーシャ。


「ふふ、ありがとうございます、デルフィナ様」

「アタシはなんもしてないよ?」


 そんなことはない。がらんどうだった屋敷に来てくれた。布団オバケになっていた私を、鬼のような呼び鈴で叩き起こしてくれた。


 がらんどうの心に触れてくれた。


 目が合って、とても自然に優しく微笑まれた。

 あー、好き。そろそろ抱いてくれないかな、成人したし……はッ!思春期思考!危ない危ない、気を付けないとまた素数を数える羽目になる。


「私、エルネスタ様にお会いしてみますね」

「え、いいのかい?」


「うーん……描くかどうかは別としても、このままではいけないことは、自分が一番わかっていますので。これは私が選んだ選択の結果ですから」


 そう、選択の結果。その責任は私にある。自業自得というやつだ。私が選んだことの結果であるなら、私が責任をとらねばならない。受け止めるのは、私でなければならない。

 選択の結果、夢から逃げ出した。選択の結果、家族から逃げ出した。選択の結果、社会から逃げ出した。選択の結果、その責任に私はストレスと抱え、自律神経を失調させた。


 そして、選択の結果、前世の私は死んだのだから。


 性格は変えられない。過去に起こったことも変えられない。でも、同じ道を歩まないことは、きっとできる。ナーシャやレーナが、その道を整えてくれたのだから。

 できることなら、一緒に歩いてほしかったけれど。


「あと、デルフィナ様に良い格好をしたいので」

「あはは!そうかい!」


 やりたいことを、やりたいように、あるがままに。

 そうあるために。そうあり続けるために。



 私は選択をする。

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