美しき景色生む山賊3
工房の中へ案内されている最中、私はひとつ大きな勘違いに気が付いた。
この世界に存在する魔法というものは、貴族の専売特許ではないらしい。貴族は魔法が使えなければいけない、といった情報から、平民は魔法が使えないものだと思い込んでいた。
身近で魔法を扱う者が、屋敷の使用人しかいないことも、勘違いの大きな要因だろう。そもそも、あの屋敷にいる使用人はヴァイオ家に属する者たちで、全員貴族の血を引いているのだから。魔法が使えて当然だ、と。
職人たちのほとんどは家名を持たない平民である。しかし、ここにいる者たちはみんな、巧みに魔法を扱っている。魔法を扱えない平民は珍しいものではないが、魔法を扱える平民もまた、珍しいものではない。
ソルマト木工房はその名の通り木工専門で、取り扱う主な商品はベッドや机、椅子などの装飾なのだという。木製家具の製作でなく、別の家具工房で作られた物の彫刻を行う。
工房内に運び込まれるたくさんの家具たち。商業地区で木材を運ぶ者たちは、みな揃って荷車を引いていた。
ここではそれらが浮いている。
そう、浮いているのだ。ダルド曰く風魔法で運んでいるのだというが、いかにも不思議な光景である、物理法則を無視するにもほどがある。既視感があると思ったら、大道芸で見るような人間を宙に浮かすイリュージョンだった。まさにアレ。
「ダルド様、ダルド様!あれは人間でも宙に浮くのでしょうか!?」
「おう、浮くぜ。ほら、よっ」
「わッ、わぁ!わぁぁあ!」
足元に風を感じたと思った瞬間、身体のバランスを失って、そのまま
状況把握が出来ないままに地面に転がっていると、ケラケラ笑っているダルドに引き起こされた。すごい……すっごい……
「楽しかった!」
「そか、そいつぁ良かった!わははは!またやってやるよ」
魔法、すごい。
ここで分かったことと言えば、魔法は平民たちも気軽に扱うもので、ダルドが上半身ハダカであるのは力仕事で汗をかくからではない、ということ。大型家具を運ぶための力仕事は、魔法があれば必要ない。尚更ダルドの謎が深まった。
「匙のサンプルはこのへんだな」
「ありがとうございます。拝見させていただきます」
ダルドが持ってきた箱の中には、無造作に匙が収納されていた。どれも、概ね予想通りのデザインである。
料理に使用する大匙、食事にしようする匙、どちらも宗教色の強いものばかり。食事に関連するものなので、ほとんどがトスカ・サリエラと、彼を象徴するツタや芋。
可愛くない。
ずっと思っていたのだ。皿も匙もナイフもカップも、全部トスカ・サリエラ。なぜ狂気のオッサンを眺めながら食事をせねばならないのだ!可愛くない!ぜんっぜん可愛くない!
手に持った匙を丁重に箱の中にお返しして、ショルダーポーチの中から炭ペンを取り出す。あ、折れてる……
気を取り直して、新しい炭ペンで、画板に簡単なスケッチを描く。もちろん匙のデザインである。気に入ったデザインがなければ自分で考えても良いかと相談したところ、ダルドは快く許可してくれた。
「おぉー……こりゃ……おぉ……なるほどな……」
「な?驚いただろう?これが我らがジークレット様の才よ!ふははは!」
「なーんで親父が自慢げなんだよ」
画板の上で形になっていく匙を、ダルドがじっと眺める。前世から趣味でお絵かきをしてきたが、デザインの分野はからっきし。そこまで自信がない。
オッサンの顔面がメインのデザインに比べたらマシだと思いたいが。
「いかがでしょうか……?」
「あ;あ、できるぜ!しかし、こうやって絵に描いたやつを彫るってのも新鮮だな!」
……はい?
絵に描いたやつを、彫る。
いや、まって、じゃあ普段どうやってデザインしてるの……
「そりゃあ、あれよ。ぐぐぐっとしっかり思い浮かべて、魔力をその通りに練り動かすんだ。頭の中に出来たソレで、手のなかに魔力像をつくって……」
は???
ダルドが何を言っているのかまったくわからないので、当初の予定通り作業を見学することになった。
ダルドの大きな体には小さすぎるだろう作業台。木材を固定するための装置と、その周囲に散らばる木くず。
「オイッ!台のクズは逐一片せって言ってんだろうがッ!誰だ作業した奴!今すぐ片付けろッッ!」
「はい、俺ですッ!スミマセン!」
ダルドの怒鳴り声に驚いていたら、十四、五歳の少年が走ってきた。この工房の中でも一際若いのだろう。先ほどから、使いっ走りにされているのを何度か目撃している。
「いいか、彫りってのはな、集中力がモノを言うんだ。あっちこっち気が向く奴の魔力像は絶対ぇにぼやける。そういうやつは大したもんは作れねぇ」
「はい、親方」
「作業台に座るときは、彫刻師がもっとも集中する瞬間だ。その大事な作業台がゴチャゴチャ汚ねぇんじゃ、集中するどころじゃねぇだろ。環境は自分で作るんだ。彫刻はそこから始まる。わかったな」
怒鳴りはするが、良い親方なのだろう。ただ片付けろとがなり立てるだけでなく、なぜそれが必要なのかをきちんと教えてくれる。弟子が成長する場を作ってくれる。
ま、私なら二日で逃げ出しているだろうけど。
「うし、やるか!デカい声だして驚かせちまったな」
「いえ、お邪魔している身ですし、かまいません」
歯をむき出してニシシと笑った顔は、なかなかに凶悪だった。三人くらい殺してそう。
画板に描かれたそれを、目に焼き付けるように眺める。そのまま数分、ダルドは時が止まったかのように微動だにしなかった。
画板、固定された素のまま匙、小さな作業台、大きなダルド。工房の喧騒が遠くに聞こえるほど、目に見える集中。
「……うし」
おもむろに手を匙にかざして、ダルドが深く息をついた。
「いま俺の手の中に魔力像がある。これを型に、風魔法で削っていくんだ」
なるほど、わからん。
手の中に魔力像があるってなに?なにもないけど。そもそも魔力像ってなに?魔力がないと見えないの?それとも、比喩で手の中にあるって言ってる?
彫刻刀は?ノミは?トンカン、トンカンすんじゃないの?
と疑問が脳内をぐるぐる回るうちに、またしても不思議現象が発生した。刃物で削るよりも滑らかに、そして素早く。木製の匙が豆腐のように削られていく。
ダルドはただ、固定具と匙に手をかざしているだけだ。
「すごい……」
まっさらだった匙の絵が、みるみるうちに形を変える。魔法のようだ、と考えてすぐに首を振った。
魔法だ。これが魔法。
家具を浮かして運ぶイリュージョンよりもずっと摩訶不思議で、見る者を魅了する光景に思えた。この力があの教会を、あのタルクウィニア像を、この街に建ち並ぶ建造物を創り出したのだ。
木の塊のなかに、もともとこの形が隠れていたのではないか。そんなふうに思ってしまう。
最後に刷毛で木くずを取り除くと、私が画板に描いた匙の完成だった。数分のようで、数時間のようで、どれだけの時間を作業に費やしたのか、私にはもはやわからない。
「どうだ、我ながら良い出来じゃねぇか?」
「すごい……すごいです、ダルド様!とても繊細で美しい光景でした。まるで木の中に最初からこの形が隠されていたようで……それを特別な道具も使わずに、こんなに素早く……」
おうおう、嬉しいねぇ、と笑う顔は何度見ても凶悪で、どうにもあの美しい光景と違和感がある。なによりも、あの繊細な技術にこの筋肉は必要ないだろう。
それでも、手掛けたのはこの山賊のような大男だ、これがこの国の、この世界の芸術なのだ。
タマーラとボニートが生みだし、後世に伝えた芸術。
「彫刻の技術で大事なのは、細部までキチっと魔力像を練り上げること。そんで、それを崩さねぇように優しく風魔法をかけてやることだ。簡単なようにみえるが、結構難しいんだ、コレが」
いや、どこからどう見ても簡単なようには見えませんけれど。
正直、ここまで見学しても、風魔法を用いた彫刻の技術がどういったものなのか、職人たちの手や頭の中でどういったことが行われているのか、魔法を使えない私には到底分かり得ないことだった。
ただ、その技術はとても特別で、一兆一郵でどうにかなるものでないのは分かる。見て学び、手を動かして学び、何度も繰り返して習得したのだろう。
匙の納品は後日、木が腐らないための加工を施してから、屋敷に届けてくれるらしい。代金の支払いもその時だ。魔法の光景が頭から離れない私は、帰り道の記憶がなかった。
「して、ジークレット様。最初の疑問の答えは出ましたかな?」
すっかり忘れていた。ダルドという男も、彫刻の作業も、インパクトが強すぎる。
最初の疑問。彫刻の技術は発達しているのに、なぜ絵画はお粗末なのか。
「私が想像していた技術とは、まったくの別物だから。ですね」
「ふははは!その心は?」
「彫刻は道具を使い、手先の技術で削り出しているのだと思っていました。でも、違う。彫刻は手先の技術ではなく、魔法の技術だったのですね」
私の行うお絵かきは、魔法など一切使わない。その道具に魔法を介しているとはいえ、魔法を使わない画材があるのなら、それでもまったく構わないのだから。
そして、私の知る彫刻は、魔法などどこにも使わない芸術のはずだった。彫刻刀やノミで、隠された像を彫り出していく。
発祥がまず違うのだ。
根本が違う。この世界の芸術を含む“技術”は、魔法の巧みさ。私の知る芸術を含む“技術”は、手先の器用さ。魔法があるこの世界は、魔法を使うことを前提にして文明が発達してきた。
魔法で大体のことが出来てしまうから、魔法を使わない技術の発達が遅い。文明の発達とはいわば、人間の怠惰の歴史だ。これは大変だからもっと楽をしたい、こうしたら楽ができる、面倒くさい工程を省ける……そうやって、技術を育むのだ。
たとえば、この国にはマッチが存在しない。多くの者が、魔法で火をつけられるから。魔法を使えない人間は、火打石で着火をする。
兵器が魔法で代用されているって、随分前に気づいたじゃないか。大規模な魔法で生命を奪える、それ故に、剣も弓も、破城槌も大砲も、銃も戦車もない。
どうして絵画の技術は発達しないのか。それは、魔法で絵を描く方法を、この世界の人間が知らないから、だ。
ここが私の生前とは似て非なる世界だということを、十年も経ってすっかり忘れていた。
私が思う以上に、魔法を使える人間は多い。魔法があるこの世界は、だから、科学が発展しない。
必要だから自然界から探す。必要だから技術を生み出す。
魔法の有無だけで、ふたつの世界はまったく別の道を歩んでいる。
「魔法の使えないジークレット様。して、貴女はどうなさいますかな」
私は笑った。ナーシャから教わった、お上品な笑顔ではなく、ただなんとなく楽しくて。思い切り口角をあげて笑顔を作った。
「ジークレット・デ・ヴァイオは絵を描きます!」
そう、この手で。
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