ジークレット・デ・ヴァイオは落とし子たりえるか2


 ジークレット・デ・ヴァイオはタルクウィニアの落とし子だ。


 比喩でもなんでもなく、アタシはそれを確信している。ジークレット・デ・ヴァイオの絵画はこの国の芸術を根本から変える。魔法を介さずに生み出すその技術は、彫刻だけではない、全ての芸術に影響を及ぼすだろう。

 いずれタマーラとボニートは“芸術”の神とは呼ばれなくなるだろう。“彫刻”の双子神、タマーラとボニート。そして“絵画”の神、ジークレット・デ・ヴァイオだ。あの子は生きながらにして神になる。

 アタシにはその未来が見える。想像できるんじゃない、見えるんだ。この国の、この世界の宝。そんな人間がセルモンドから生まれたこと、そんな人間の芸術に深く関われたこと、アタシはそれを誇りに思う。


 その才能に嫉妬しないかと問われれば、嫉妬する、と答えるほかあるまい。土俵が違くとも、同じ芸術家の端くれとして、あの子の才能は目を焼きそうなほど眩しい。でも、アタシはそれ以上にあの子を愛しく思う。吹けば飛ぶような、少し人生に迷えばすぐに筆をとれなくなりそうな、そんな繊細さを。


 アタシは何度か、貴族の坊ちゃんに彫刻を教えたことがある。ダルドに継がせた親父の木工房から独立したばかりの、白石彫刻師としてまだ駆け出しだった頃。工房に資金を援助してもらうため、やりたくもないおべっかを使ったものだ。ヘッタクソな風魔法を自慢げに披露してくる顔をブン殴るかわりに、「お上手ですね」の言葉を投げつけた。

 ジークレット・デ・ヴァイオという子爵令嬢は、いままで出会ったどんな貴族のガキとも違う。いや、どんな貴族共とも違う。


 あの子は間違いなく職人であり、絵を描くために生まれてきた人間だ。

 いつ会っても真っ黒な手が、それを物語っている。あの子の努力は、そんじょそこらの見習い彫刻師では逆立ちして茶を淹れても追いつけないだろう。


 湯水のように金を使えるヴァイオ家に生まれたことも、貴族にして魔法を使えないことも、彫刻師の妻と息子を持つハルクレッドが教師になったことも、なによりも捨てられるようにして芸術の街セルモンドに移されたことも。彼女を取り巻く現状のその全てが、まるでタルクウィニアが「絵を描け」と舞台を用意したように思えてならない。


 ジークレット様はもっとずっと幼いときから、年不相応の知性が備わっていたらしい。なによりもバカみたいに計算がはやい。

 そのくせ勉強嫌いで、あの手この手で勉学の時間から逃れようとするのだと、旦那が大笑いしながら語っていた。商売神マリピエーロと同じように、おそらくジークレット様には生まれたときから知性と自我があるのだ、と。

 だけどそれは、マリピエーロのように学術や政に使うためのものではない。ましてや、貴族教育なんかに費やされてはいけない。

 

 タルクウィニアはそれを狙って、彼女から魔力を奪ったのではないか。


 これはアタシとハルクレッドの共通意見だ。ジークレット様の知性は、余計な勉強なんかをさせないために副次的に与えられたものだと、アタシは思う。だって、すでに理解しているのなら算学も文語学も、新たに学ぶ必要なんかないだろう。教育を短縮するための知性なのだから、本人が求めていないならわざわざ勉学を押し付ける必要なんかない。

 ジークレット様の技術や知性には目を見張るものがある。けれど、あの子の魅力はなによりも、その感性にある。誰よりも豊かな感受性だ。美しいものを、より美しく映すその視点だ。同じ技術を以てしても、誰もあの子と同じものは描けない。


 ともすればあの子は、少し面倒くさくなってしまうくらいに繊細なのだ。


 子どもには見えないなんてダルドはほざいていたが、すぐに泣いちゃう可愛い娘だ。

 アタシはいま、この世界の誰よりもジークレット様が可愛い。


「親方ぁー」

「あぁ!?なんだい、仕上がりの確認なら後にしてくれ!」


 アタシはジークレット様に以前作ってもらった花輪を再現するのに忙しいのだ。萎れてしまう前に彫像にしたが、やっぱり本物の可愛さには叶わない。どうにもレフロランの実物を使ったものを、アタシの手では美しく編むことが出来ない。


 どうなってんだコレ。あまり弄りまわすと花がぽろっと落っこちるし、茎からなんか緑の汁が出てくる。クソ、どうなってんだコレ!


「なんか、お上品な嬢ちゃんが来てますけどー。外で待たせてんですけど、どうします?」

「バカ野郎!なんでそれを先に言わないんだ!このバカ弟子ッ!」

「えー、理不尽ー……」


 うるせぇ、バカ弟子!


 そう言い残して、工房の外に走り出る。緑の汁だらけになった手はシャツで適当に拭いた。甘えん坊のジークレット様がハグを求めてきたときに、手が緑色じゃ格好つかない。

 扉を乱暴に開けて飛び出すと、案の定そこにいたのはジークレット様だった。なにやら楽しそうに柵から身を乗り出して、川面を眺めている。聞こえてくるのは柔らかい鼻歌。ことあるごとに口ずさんでいる、どこかの民謡っぽいあの歌だ。

 真上に昇った太陽光が、ソン・ザーニャの川面とジークレット様の髪をきらきらと彩る。灰かぶりなんて言われることもある髪色だが、太陽の光にあたると銀細工のようで殊更美しい。


 ふむ。今日も可愛いな!


「ジークレット様、うちのバカが悪かったね」

「デルフィナ様!見てください!ソン・プリツアーノがいます!初めて見ました!すっごく凶悪な顔!わッ、歯がある!」


 クッ……可愛いッ!

 この一年で背も伸び、身体も丸みを帯びてきた。大人になりつつあるジークレット様がこうして子どもらしくはしゃぐと、なんだかそのちぐはぐさに喉の奥が苦しくなる。早く大人になれ、否、ずっと子どものままでいて。そんな手前勝手な恥ずかしい葛藤。


 前回顔を合わせたのは、セルモンド伯爵の娘、エルネスタ・ガラ・セルモンドに直接の礼を述べられたときだった。特注の品ではあったが、納品がアホほど遅れたので作品披露パーティーが行われなかった。その代わりの顔合わせだ。

 あのアーレスト・ガラ・セルモンドの娘だけあって、偉そうで上から目線のいけ好かない小娘だった。アタクシが礼を言うのですよ、光栄に思いなさい!だとさ。高笑いしやがって。なにをどう育てたらあんなガキになるんだ。

 うちのジークレット様を見習ってほしいね。ジークレット様なんか実親に育てられてないんだぞ!


 ジークレット様を怖がらせる奴や泣かせる奴は、みんなアタシの敵だ。ビビりなのだ、この子は。そばにいてあげないと、って、そんな気持ちにさせる。

 お寝坊さんであることや勉強嫌いであることを恥じて、そんなちょっぴり怠惰な側面を隠そうとする。隠そうとすることにもまた恥じて、必死に素直になろうと、曝け出そうとする。それでアタシに嫌われるかもしれないなんて思ってるんだよ。可愛いったらありゃしない。


 そんなことでアタシがジークレット様を嫌いになれるわけがないだろうに。


「ぁ、お忙しいのに突然お邪魔してしまい申し訳ありません……はしゃいだりして、はしたないところをお見せしてしまいました」

「いやいや、ジークレット様ならいつ来てくれたってかまわないよ。鼻歌も可愛かったしね」

「デルフィナ様ったら、相変わらずお言葉がお上手です」


 ほら、褒めると嬉しそうな顔をする。


 件の洗礼式も終わった真夏、少し熱いが外でのんびりするのも良いだろうと、川沿いのベンチに腰掛けた。向こう岸から渡ってくる客のいない舟が見える。

 ジークレット様が脇に抱えたものは、いつもの薄い画板でも、顔料にしてしまう高価な石でもない。炭ペンと財布が入っているらしいポシェットはいつも通り。


 まだ子どもらしさの抜けない骨ばった手は、今日も炭で真っ黒だった。


「今日はデルフィナ様にお礼を、と思いまして」

「なんかしたかい?白石粉なら、キチンとお代ももらってるよ?」


 自分で言うのもなんだが、アタシは一工房を預かる一流の職人なわけで、そこらの見習いが練習でひり出した白石粉なんかとは質が違う。

 たったの一年で随分と距離を縮めたもんだと思うが、ジークレット様がアタシに懐いてくれたのは、この白石粉を融通しているのが大きな理由だろう。セルモンド伯爵に納品を済ませて以来、ジークレット様は律義に白石粉の代金をおさめてくれるようになった。見習いでもないくせに白石粉を売って小遣い稼ぎなんてまあまあ恥ずかしいが、この子の大事な気持ちだと思って受け取っている。


 下手に受け取りを拒否して、他の奴の白石粉を使われたらたまったもんじゃない。まだまだアタシは、ジークレット・デ・ヴァイオの芸術に貢献していたいんだ。


「いえ、それではなく。以前、ジークレットを贈っていただいたので、そのお礼を」


 とても嬉しかったので、と頬を染めたジークレット様は、大金を動かす高級娼婦なんかよりよっぽど魅力的だった。ハルクレッドが通い詰めている娼館の娘たちよりずっと稼げるだろうよ。

 まぁ、これからバンバン売れるジークレット様の絵画は、高級娼婦以上の値段がつくことに違いないが。


 ジークレットを贈ったとはなんぞや、と思ったが、そうだ。そう言われてみれば、だいぶ前にジークレットの花を彫像にして贈ったことがあった。ちょっとばかしキザかな、とは思ったが、神サマ的な意味を込めないアタシの気持ちだけで作った、ただ可愛いだけの花。アタシに楽しい仕事ってのを思い出させてくれたお礼につくったちんけなもの。

 女は花を贈られたらイチコロ、なんて男どもは言うが、なるほどその通りなのかもしれない。あんなちっぽけな花ひとつで、この子の心を掴めるのなら僥倖だ。


 あれで喜んでもらえるなら、いくらだって作ってやる。一輪どころか何輪だって。デカい屋敷のいたるところに飾られた花を全て差し替えて、真っ白に埋め尽くすくらい。魔力が尽きるくらい作ってやろう。


「お返しに、これを」

「なんだい、これ。布、とっても?」

「はい」


 ジークレット様が普段抱えている画板よりもいくらか小さい。けれど、それよりもずっと分厚く、周囲がゴツゴツしている。そして重たい。


 少しばかりドキドキしながら、包みをとっていく。


「わッ!」

「ふふ、デルフィナ様のためだけに、描きました。私の初めての人物画ですよ」


 包みの中にいたのは、アタシだった。


 レフロランの花冠を頭にのせて、輝くように笑っている。アタシだ。

 絵をおさめた木枠は、おそらくダルドの仕業だろう。どこか荒々しく、それでいて繊細な木彫。ここ最近妙にソワソワしてると思ったが、なるほどね、こんな隠し事をされていたわけだ。


「アタシ、こんなキレイじゃないよ……」

「私から見たデルフィナ様はとてもお綺麗な方ですよ。デルフィナ様がおっしゃったのです。芸術にはそれを作る人間の気持ちや世界がそのまま表れるのだと」


 私の世界のデルフィナ様は、私の世界で誰よりも美しい女性ひとですから。

 そういうジークレット様こそ、世界で一番綺麗な女の子じゃないか。


 あぁ、嬉しいな。嬉しくないわけがない。まるで恋する乙女だ。

 いい歳して、年端もいかない少女になに言ってんだって話だけど。こんなのときめかずにはいられない。


「ちょっと恥ずかしいけど……ありがと、嬉しいよ。アタシとは思えないくらいキレイだね」


 ねぇ、ジークレット様の目にアタシは、こんなふうに映ってるんだね。


 思ってしまう。アタシが未婚の男だったら、きっと今ごろ叶わない恋慕を抱いている。アタシがこの子と同じくらいの娘だったら、きっと今ごろ身分差の恋に泣いている。


 ハルクレッドが繋いだ縁だと、ダルドが運んできてくれた出会いだと分かっているのに、アタシはちょっぴり残念に思ってしまった。本当に、ごめん、ハルクレッド。


 まるで秘密の話をするように、ジークレット様がピンク色の唇に人差し指を押し当てる。



「私の初恋が込められていますから」



 ジークレット・デ・ヴァイオはタルクウィニアの落とし子だ。

 比喩でもなんでもなく、アタシはそれを確信している。そしてアタシは思う。


 この子は、ジークレット・デ・ヴァイオという女は……たぶん、天性の女タラシだ。



 年甲斐もない感情に思い切り背中を蹴り飛ばされて、真っ逆さまに落っこちていく音が聞こえた。ような気がした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る