友に託すもの2

舞台の近くで人に囲まれている領主親子に近づくと、モーセのようにザザザッっと人の波が割れた。


 貴族令嬢として生きた十四年間、ついぞパーティーなんぞ参加しなかった。これからもそんなものとは無縁だと思っていたくらいだ。ゆえに、この状況がまともな光景なのか、私には判断がつかない。


 まあ、アーレストもエルネスタも別段おかしな顔はしていないので、このモーセ現象はふつうのことなのだろう。人と人の間を歩いている私が気まずいだけだ。通り道にレッドカーペットでも敷かれていたら完璧だったのに。


「エルネスタお嬢様、お連れ致しました」

「ありがとう、ラウラおねぇ……ありがとう存じます、ら、ラウラ様」


 慌てて言い直したエルネスタに、アーレストとラウラがよろしいとでも言うかのように頷いた。歳が離れた兄妹だと聞いていたが、こうして改めて並べてみるとよく似ている。くすんだ金髪や、少し吊り上がった目。それ以外にも姿勢や表情など、同じ両親の血を引いていることを伺わせる。

 エルネスタの教育に、爵位継承者としての礼儀作法とやらが追加されたそうだ。慌ててなにかを探すように目がきょろきょろ泳いでいるので、この会場のどこかで先生が見ているのかもしれない。

 ラウラは普段、ラウラおねぇちゃんと呼ばれている。爵位を返上しなければ、ラウラお姉様か、ラウラ伯母様へと改められていたはずだ。爵位を返上する、それすなわち家との離縁。ラウラは書類上、すでに彼らとは他人になってしまった。


 お姉ちゃんか……うっ、レーナに会いたい……元気かな……私のこと、忘れてないよね……?


「エルネスタ様、作品はお気に召して頂けましたか?」

「えぇ!もっちろんですわ!アタクシこんなに丸かったかしら?とは思ったけれど、でもステキだわ!本当に、とってもステキ!ありがとう、ジータ!」


 丸いですよ、とは言えないので、ふくよかであることは裕福であり、愛情を受けて育った証でございます、と適当に誤魔化した。これでも実物よりいくらか肉を減らしたのだ。こら、弟子、笑わない。

 ラウラの表情筋は乏しいけれど、仲良くなるにつれて鉄仮面のときにもいくらかその感情が読めるようになってきた。いまピクリと動いた眉は、笑う前兆である。


「ジータの想い、いっぱい伝わったわ。『未来』もこの絵も……お勉強が嫌いなんて言ってられないって、ジータのおかげで思えたのよ。アタクシがパ……お父様の後を継いだときにも、ジータにこういうキラキラを描いてもらえるように、かならずセルモンドを良い街にするわ、約束する!」


 涙のあとが残るまあるい頬に、大輪のような笑みがのる。私は、エルネスタのこういう清いところが大好きなのだ。

 胸に片手を当て、スカートの裾を持ち上げる。片足を後ろに引いて、そのまま床に膝をつけた。そっと、エルネスタのドレスの裾に口づける。


「じ、じーた!?」


 ただの挨拶ではない、これは最敬礼だ。忠誠を誓うためのものといっても過言ではない。


 お礼を言うのは私のほうだ。ナーシャとレーナを失ってダメになっていたあのとき、エルネスタの絵を描こうと決意しなければ、もっとダメになっていたかもしれない。前世と同じような人生を繰り返していたかもしれない。もっともっと、酷くなっていたかもしれない。


 救い出すきっかけをつくってくれたのは、エルネスタという新たな友だ。


「私の愛するこの街の景色を、どうかお守りくださいませ、未来の領主様。お誕生日、誠におめでとうございました」


 モチモチの手を胸の前でむぎゅむぎゅと握って、エルネスタは潤んだ目で何度も頷いた。泣き虫だなぁ、本当。泣き虫の自覚がある私よりも、泣き虫かもしれない。あまり泣かれると、つられて泣いてしまいそうだから、どうか笑っていてほしい。

 エルネスタに微笑んで立ち上がると、そのまま大樽が突っ込んできた。


「ジータ!大好きよっ!」


 うぐぉ!鳩尾ッ!それはどうもありがとうッ!


 でもね、違うから!良い感じに場をおさめるための微笑みだから!自分でやっといて恥ずかしくなったがゆえの、場の主導権を明け渡す微笑みだから!おいで、ハグしてあげる、の微笑みじゃないから!そもそもハグをするときは、相手に突進してはいけません!

 ラウラがさりげなく肩を支えてくれなければ、無様にひっくり返っていたかもしれない。自慢じゃないが、ジータちゃんは十五年も引きこもりだったのだ。運動不足だし、非力なのだ!

 持つべきものは弟子、と思いながら、なんとかエルネスタを引き離した。


 私の腕のなかで泣きながら笑う年下の友は、とても可愛かったけれど。



 突然放り込まれた作品のお披露目パーティーとやらは、結局日暮れ近くまで続いた。この金持ちの遊びは、いつもであれば夜通し行われるという。作品によっては数日かけることもあるそうだ。とはいえ、今回の主役はまだ成人したての職人に、未成年の依頼主。随分と健全な時間に終わったといえよう。

 立食形式といえど食べる暇などほとんどなく、セルモンド邸を出たときには腹の虫が大号泣だった。皆さんのおべっかをきいて、特注のお断りをする。この繰り返し。特注は基本的に断る。このスタンスは変えていない。

 ではなぜ、エルネスタの肖像画は受けたのか。


 そんなの、“タイミング”と“ご縁”と“気分”に決まっている。


 特注はたしかに金になる。その一作品のみならず、新たなコネクションによって次の仕事に繋がっていく。わかりやすく名声だって得られる。そのかわり、予算内におさまるように色数を調整して、客の注文通りに描いて、期限までに納品する、という地獄のプロセスを踏まねばならない。

 明日やろうはバカ野郎に、そんな仕事がぽこすかと受けられるわけがなかろう。何枚白金貨を積まれたところで、私はどうせ逃げ出すだろうから。

 特注芸術品を集める貴族や富豪のなかには、その作品に価値を見出すことよりも、著名な職人と交友があることや、財力の誇示をしたがる者も少なくない。自分の魂を込めた作品を見栄だけのために使われたくない、なんて理由で特注を受け付けない職人もいるという。


 特注をお断りし続けるのは面倒で、心苦しいものだった。でも、胸は痛いほどに高鳴っていた。お金を稼ぐとか、仕事がどうとか、見栄がどうとか、そんなことじゃない。そんなことはどうでもいい。

 ああ、私の絵は求められるものなんだ、って。ただ作品を買ってもらうだけじゃない。実際にこうして、金を出すから是非書いてほしいと頼まれるたびに、そう思えた。


 それが、苦しいほどに嬉しかった。


「嬉しそうですね」

「はい。嬉しいです」


 夜道。手に持った油式ランプでぼんやりと行く先を照らしながら、慣れ親しんだ屋敷への道を歩く。ヴァイオ別邸と呼ばれていたそこは、いまやヴァイオ絵画工房であり、私の所有する財産だ。赤ん坊の頃に連れてこられ、十五年を過ごしてきた家。


「帰ったら軽く食べられるものをおつくりします」

「お手数をおかけします」

「お腹いっぱいに食べられるパーティーなど存在しませんからね」


 道は暗く、ラウラの顔は見えない。“街灯”というインフラが存在しないこの国は、日が暮れると真っ暗になる。魔導ランプの開発で夜が長くなったとはいえ、外に出れば家々の僅かな灯りしか頼りにできるものはない。


 そんな暗さも、いつのまにか当たり前になっていた。


 いまが昼であれば、ここで顔を上げたらもう屋敷が見える頃だろう。けれど視界の向こう側はどこまでも暗く、ひとつの灯りも拾えやしない。屋敷には誰もいないのだから、暗くて当然だ。それを自覚するたびに、沈み込んでしまいそうな寂しさに襲われる。

 あの広い屋敷にはもう、待ってくれる人はいない。私とラウラ、ふたりで帰るのだ。


「私のところにきてくれてありがとう、ラウラ」

「…………こちらこそ」


 ラウラはいま、微笑んだだろうか。それとも、薄い表情筋を僅かに動かしただけだろうか。声だけではいまだ、ラウラの機微を読み取るのは難しい。二十数年、ラウラの心を守り続けた鉄仮面だもの。出会って数か月しか経たない私には、それを故意に剥がせる術などもたない。


 ラウラに嫌われてはいないとわかった今、剥がすつもりも、とくにはないのだけど。


「パン粥が食べたいですねぇ。ミルクで煮込んだ、ラッティーニャみたいな」

「つくりましょう」

「野菜とお肉の入っていない、パンだけのやつ」


 野菜と肉もきちんと食べてください、だって。いまのは笑ったかな。しん、と静かな暗闇のなか、今夜はやけにラウラの声が鮮明に聞こえた。

 

「パンしか美味しくないのが問題なんです」

「思っていましたけど、まあまあ偏食ですよね……」

「呆れました?」


 はい、も、いいえ、もなく、返ってきたのは小さな笑い声。ああ、良い夜だ。


 あの屋敷に帰っても、もう彼らが出迎えてくれることはない。それを選択したのは自分だと言い聞かせてきたけれど、やはり簡単に受け入れられることでもなかった。ナーシャも、レーナも、貴族令嬢が共にするには少なかった使用人たちも、私にとっては同じ屋敷ですごしてきた家族なのだから。


「ラウラも一緒に食べましょうね」

「…………はい」


 ふたりで帰るのだ。


 私とラウラは家族ではないし、きっとナーシャやレーナと同じような関係を築くことはできない。する必要も、ないのだろう。ひとりでなくて良かった、と思うばかりのこの帰り道がいつか、ラウラがいて当たり前の帰り道に変わればいい。



 ハルクレッドがダルドとの縁を繋いでくれた。ダルドがデルフィナとの縁を繋いでくれた。デルフィナがアーレストやエルネスタとの縁を繋いでくれた。そして、エルネスタがラウラとの出会いをくれた。


 ふたりで帰るのだ。

 ああ、良い夜だ、本当に。

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