子豚ちゃんと恋物語2
いつでもいい、と言われたので翌日にした。私にしては珍しい行動の早さである。寂しいので屋敷にいられなかったというのは内緒だ。
だって、屋敷のなかで一切の物音がしないのだ。掃除をする者も、顔料を作ってくれる者も、生け花を整えてくれる者も、食事の準備をする者も、誰もいない。寂しいに決まっている。
ご立派な門扉の脇に立って待つと、広大な庭を越えて使用人が歩いてくる。
「ようこそいらっしゃいました。ジークレット・デ・ヴァイオ様」
「あぁ、子爵号は返上しましたので、今はジークレット・ヴァイオです」
「失礼いたしました。ジークレット・ヴァイオ様」
私の屋敷ではありえないほど物腰丁寧なセルモンド邸の使用人に、思わず私も丁寧に膝を落とす。
もはや身に着いた癖だ。挨拶をしようと思うと、手が勝手に胸に伸び、スカートの裾をつまんでいる。十四年もやっているのだから、癖にもなる。
使用人に案内されながら、そろそろ十五歳になるなぁ、なんて考えていた。
正面の玄関にたどり着く。本当に、バカみたいにデカい屋敷だ。私の屋敷も無駄に広いが、セルモンド邸とは比べ物にならない。まぁ、官吏子爵の別荘と領地持ち伯爵の本邸を比較することが間違えているのだけど。
「やぁ、よく来てくれたね。ジークレット嬢」
当主自らのお出迎えである。
「セルモンド伯爵、ご無沙汰しております。無事、お力を借りずに事を運ぶことができました。ご協力を申し出て下さったこと、心より感謝申し上げます」
「いやいや、こちらこそ。私が動いた報酬にエルネスタの絵を、という話だったのに、我がままを言って済まなかったな」
「まだ描くとは決めておりませんよ?お会いするだけです」
もちろん、わかっているよ。と、朗らかに笑う。くすんだ金髪は今日もきっちり固められていた。
相変わらずの子煩悩であるが、初めて会ったときに比べて、その物腰はだいぶ落ち着いた。以前は常にピリピリして、ビビッて吠えまくる犬みたいだったのに。ただ怖いだけの男ではなくなった。
父コルシーニと比べると目も濁っておらず、今ではアーレストのほうが付き合いやすい。
応接室へ案内されるのかと思いきや、随分と屋敷の奥に通されている。廊下の壁にちらほらと私の絵が飾られていて、ほんの少し気恥ずかしい。でも、それ以上に誇らしい。承認欲求がぎゅんぎゅん満たされる感じがする。
可愛らしい天使が彫られた扉の前で立ち止まると、アーレストが軽くノックした。
「エルネスタ、入るぞ」
「パパ!……あら、あなたは」
「お久しぶりです、エルネスタ様。ヴァイオ絵画工房のジークレット・ヴァイオにございます」
アーレストに連れてこられたのはエルネスタの私室だった。
今の私は平民と身分が変わらないのだが、そのあたりの外聞とやらは良いのだろうか。私がダルドやデルフィナを私室に案内したときとは、状況も身分もまったく違うのだけど。
毛足の長いふかふかの絨毯に、趣味の悪いギラギラした戸棚。窓辺に猫足のテーブルと二脚の椅子、いかにもお姫様チックな薄ピンクの天蓋と、ドデカいキングサイズベッド。
窓辺で本を読む、ぽっちゃり金髪縦ロール!出たな、高笑い令嬢!
「まぁ、パパったら!すごい誕生日プレゼントね!ようやく描いてくれる気になったのかしら!」
「いや、エルネスタ」
「嬉しいわ!アタクシったらもう十一歳でしょう?一番可愛い時に描いてもらわなきゃと思っていたの!このままじゃすぐオバサンになっちゃうわ!オホホホホホ!」
うわ、描きたくねぇ……
こちらが黙っている限り、この金色薄ピンクの子豚ちゃんは永遠に喋り続ける。そして身分が下の私は、彼女の話を遮ることが出来ない。この場で唯一子豚ちゃんを止められる者は、隣に立つ父親のアーレストしかいない。
「エリィ!ジークレット嬢は君に面会しにきてくれただけだ。肖像画については、今日の面会で決まる。今朝ちゃんと話しただろう?どうして彼女に描いてほしいのか、どんなものを描いてほしいのか、きちんとエリィがお伝えするんだ。君はお願いする立場で、決めるのはジークレット嬢だよ。わかるね?」
本当に、初対面で唾を飛ばしながら怒鳴ってきた男と同じ男とは思えない。あの時は完全にこちら側に非があるので、怒られて然るべき状況ではあったが。
子豚ちゃんは震えている。わなわな、という表現が見事に当てはまる。ぷにぷにした身体を小刻みに震わせ、半開きになった唇は開いたり閉じたりを繰り返している。
高笑い令嬢はどうやら頭の出来はそこまでよろしくないらしく、なにか言い返そうにも言葉が出てこないのだろう。
頭に血がのぼりやすいのか、語彙が足りないのか。それとも、そのどちらもか。
「エルネスタ様。ずっとお伝えしているとおり、私は筆が乗らねば絵を描くことができません。注文通りに品を仕上げることのできない、中途半端な、半人前の職人です、どうか、私のやる気を引き出してくださいませ」
「……どうすればいいのよ」
「そうですね。楽しく、お話をしましょうか」
短気な子豚ちゃんが怒り出さないように、つとめて優しく微笑んだ。
〇●〇●〇●〇
白石のカップに口をつけて、紅茶で唇を濡らす。たぶんこれ、デルフィナの作品だ。なるべく重さを感じさせず、それでいて白石ならではの重厚感を出す。焼き物にはない手触りと、どこまでも澄んだ白。
食器に向かない白石で食器を作るのは、デルフィナだけだ。
うふふ、私の好きな人はすごい。
「まぁ、なんだか楽しそうね?」
「ええ、このカップがとても見事だと思いまして」
エルネスタの部屋、窓辺の椅子に腰かけてのお茶会である。テーブルの上に並ぶのは茶器だけではない。見事というほかないほどの甘味、甘味、甘味。
テーブルとエルネスタを交互に見て、瞬時に理解した。なるほど、その身体にも随分とお金がかかっているらしい。
「そうなの?うちの屋敷にあるカップは、いまではぜーんぶ白石なのよ!オホホホ!」
「それは素晴らしいですね。白石は割れにくく、腐り落ちることもありませんから。少し金額はかさみますが、とても良いご選択かと」
にくにくした手でカップをさするエルネスタ。ちょっと痩せたほうがいい。
砂糖と宝石が同じ値段で取引されるというのに、この身体。見れば見るほど感心してしまう。甘味だけではないのだろうな。
しかし、カップがすべて白石製とは……稼いでいるな、デルフィナ。絶対に私より稼いでいる。
「あなたはこれが誰の作品かわかる?」
「デルフィナ・ソルマト様でしょうね」
「まぁ!正解だわ!職人たちは名匠の品が誰の作品かわかるって聞いたけれど、やっぱりその通りなのね」
いいえ、わかりません。白石で食器を作るのがデルフィナしかいない、というだけだ。これは目利きではなく、ただの知識。
あと、カップの裏にデルフィナの名前が彫ってあります。可愛いのだ、デルフィナのサイン。
「私は彫刻師ではありませんので、残念ならソルマト様のものしか分からないかと」
「あら!じゃあなんでデルフィナちゃんのものはわかるの?」
で、デルフィナちゃん!?なにをどうしたらその呼び方にたどり着くの!?そんなフランクな呼び方、親戚のお姉さんか幼馴染のお姉さんくらいにしか許されないよ!?
私は……いいや、デルフィナ様で。なんかこう、そっちのほうが、ほら、ね。
「私がデルフィナ様をお慕いしているからですね」
「まあぁぁ!」
この国において、同性婚というのはさほど珍しいものではない。
タルクウィニアを信ずる者がもっとも重んじるものは人間の生命。種の繁栄という面で見れば、生産性がないなんてクソ食らえな理論で忌避されそうなものだが、教会で預かる孤児を養子に迎える場合に限り、同性同士の婚姻が認められる。
異性同性を問わず、婚姻関係のない単身者は孤児の引き取りが出来ない。
孤児との養子縁組は、ひとりにつき多額の寄付が出る。そのため、恋愛関係になくとも同性婚を選ぶ平民も一定数いる。
男を好きになる男も、女を好きになる女も、ランドウルフでは珍しくない。少年同士のカップルが手を繋いでいることも、少女同士のカップルが川のほとりで口づけを交わしているところも、幸せそうにしやがって!とやっかみをうけるだけだ。
だから、私が同性を慕っていると口にしても、差別的な扱いをされることはない。良い文化だと思う。
「恋なの!?恋なのかしら!まあぁぁ!」
「ええ、恋ですね。ふふふ」
「まぁぁぁぁぁ!どうして好きになったの?どこが好きなの?いつから?」
すっごい食いつくじゃん……ビックリした。いつの時代も、どこの世界も、女の子は恋のお話が好きなのね。
口元に指をあてて、うーん、と唸る。いつからだろう。自覚したのはジークレットの白石彫像をもらったときだ。
だけどきっと、好きになったのは、そのもっと前。
「私は絵を描くしか能のない人間なのです。それ以外はなにも出来ないし、したくない。絵を描かないのなら、一日中寝ていたい」
「わかるわ!アタクシもお勉強は嫌いだもの。楽しいのはダンスの練習だけね。それで、それで?」
「デルフィナ様は、私の怠惰の証だと思っていた真っ黒な手……ほら、絵ばかり描いているので炭で汚れているのです。これをぎゅっと握って、それはジークレット様の努力の証だと言ってくれたのです」
まぁぁぁぁぁ!とエルネスタが叫んだ。ふむ、恋バナ、というのはなかなかに恥ずかしい。
だけど、恋の話を聞いて楽しそうに笑うエルネスタは、年相応に可愛い女の子だ。痩せればもっと可愛いだろうに。
「自信が持てないジークレット様の代わりに、あたしが自信をもってやる!って。きっとその時ですね、私が恋に落ちたのは」
「すっっってきだわ!とても素敵ね!デルフィナちゃんたら罪なひと!ほかには!?ほかにも、もっとないの?」
食い気味に求めてくるエルネスタに苦笑して、少し記憶を探る。私とデルフィナの関係は、仕事仲間であり、友人である。慕う年下の子どもと、からかう年上の人妻。早々可愛いエピソードなど思いつかない。
「そうですねぇ……エルネスタ様に贈るパン皿の仕事をしていた時に、とても素敵なプレゼントをして頂きました」
どんな?と聞かれて、少しだけ内緒にしようかと思ってしまった。だって、大事な思い出だもの。
だけど、ジータちゃんも女の子。たまには自慢もしたくなる。
「お花です」
「お花?けっこう普通ね。アタクシもパパからよく貰うわ。でも、あれかしら。好きなひとからもらうと特別ってやつ」
「普通のお花ではありませんよ。私の花です。白石で出来たけして枯れないジークレット。それを、一輪」
あの花は部屋に大事に飾ってある。枯れることも、朽ちることもない、真っ白な大事な想い。私の初恋。
「ひゃあああああ!なによそれ、なによそれ、なによそれー!なんでアタクシは花の名前じゃないのかしら!アタクシもアタクシの名前のお花をプレゼントしてもらいたいわ!……あ、あれ、待って、でも……デルフィナちゃん、結婚していなかった?」
「ええ。私の好きな人は、出会った時からひとのものです。ですから、私の初恋は叶いません」
「まぁ……まぁ……!ぐすっ」
えっ……!?えぇぇ……
急に泣き始めたエルネスタに駆けよって、その背をさする。うわ、肉がすっごい。
「エルネスタ様?いかがしました?」
「そんなの……そんなのってないわ……だってあなた、デルフィナちゃんの話をしているとき、とっても可愛い顔をしているもの……なのに、なのにそんな……!うぅ、ぐす」
ぼろぼろと涙を流す子豚ちゃん。良い子だなぁ。純粋で、無神経で、無垢で、良い子だ。
嘘泣きなんかではない。彼女は悲恋の映画を観て泣くように、本当に切ないと思ってくれているのだろう。
高笑い令嬢だけど、優しい子だ。自己愛がやたらと強いけれど。
「ふふ、ありがとうございます。私のために泣いてくれたのですね。でも、私は私の恋に満足しているのですよ?」
「どうじでっ?だっで、結ばれるごどはないのよ?」
「恋に恋を返してもらえるだけが、幸せな結末ではないのですよ。絵を描き続けていれば、同じ職人として、私はデルフィナ様の横に立つことが出来ます。それは、職人ではない彼女の旦那様にはできません。あの人に努力だと認めてもらったのです。恋は叶いませんが、それを成就させることが、私の恋の結末なのです」
それに、私はこの想いをデルフィナ本人に拒絶されたことはない。ときおり気があるようなそぶりでからかってくるけれど、そこには嫌悪も拒絶もない。
ハグをして、頬にキスをして、心配して、心配されて、笑い合って、それで充分だ。
だからこれは、切なさで枕を濡らすような悲恋ではないのだ。
人には人の恋がある、それを学んだのは前世での三十年間。
たとえ一般的な男女の恋でさえ、それにもいろいろな形があった。年の離れた恋があった。距離の離れた恋があった。同性同士の恋があった。性別に迷っている人の恋があった。性的関心がないひとの恋があった。
恋はしたくてするものじゃない。好きですと告白して、恋人になってハイ終わり。好きですと告白して、ごめんなさいと言われてハイ終わり。
それはけして、恋物語の結末じゃない。
物語を、どんな恋にするのかを、どんな恋だったのかを決められるのは、恋に落ちてしまったその人だけだ。
「ジークレット様は大人ね。アタクシと四つしか変わらないなんて思えないわ。アタクシの周りにいる男の子なんて、みんな子どもっぽいもの」
「ふふ、私も内面はそんなに変わりませんよ。女の子は男の子よりも成熟が早い、なんて言われますから、エルネスタ様にはまだ幼く見るのかもしれませんね」
「……アタクシも素敵な恋ができるかしら」
涙の線を作った子豚ちゃんのつぶらな瞳が、じいっと私の目を見つめる。
うむ、痩せればいいのに。少しつり目気味だが、きっと可愛くなる。
「はい。恋はいつ転がっているかわかりませんからね、エルネスタ様はお優しい方ですから、きっと甘く優しい恋物語がうまれますよ」
「うふ、素敵だわ。エリィでいいわ。アタクシもジータって呼ぶから」
「はい。ではエリィ様と」
のんのん!と言うようにぷくぷくの人差し指が振られる。ぜったいに痩せたほうがいい。
「エリィよ。様なんていらないわ、ジータ」
「ふふ、私が叱られてしまいますから、お父様には内緒にしてくださいね?」
「ねぇ、ジータ。アタクシの絵、描いてくださるかしら」
そういえばそんな話だった。
ダンスが好きと言ったっけ。恋物語が好きなんだよね。うん、そうだな。どんな構図がいいだろう。ベースの色はどうしよう。背景はなにがいいかな。
「はい。もちろん。一緒に素敵な作品をつくりましょう、エリィ」
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