この世界はいかに3


 ナーシャ、いまは西暦何年ですか。


 と、聞けたらどれほど良かったか。


 いまは西暦何年ですか。ここは何という国ですか。そして、私は誰ですか。

 初めて絵本を読み聞かせてもらってから、だいぶ長い時間を過ごしたような気がする。


 歯も生えそろってきたし、ナーシャと手を繋がなくても歩けるようになった。いまだオムツは卒業できていないが、私の手はまだまだモミジだ。気にすることはない。


 謎の神話読み聞かせのおかげで語彙も増えた。舌足らずではあるが、お喋りも上手になったと思う。なにをしても褒められるのは最高である。


 しかし、だからと言って簡単に「西暦何年?」だとか、「この国の名前はなに?」だとか、「私の身分ってなに?」だなんて訊けるわけがない。

 ナーシャの手によって少しずつ数字の概念を教え込まれてきたが、まだオムツも外れないベビーが唐突に「いま西暦何年?」とか聞き始めたら気味が悪すぎる。数字の勉強といっても、ナーシャと一緒に積み木をしたり、手遊びをしたり、その程度。三桁を超える数字は、今世ではまだ習っていない。

 神話教育のおかげで国や身分という概念を知っていてもおかしくないと思うが、それでも賢すぎる子どもは気味が悪かろう。ナーシャにだけは嫌われてはならない。


 実の親と面識すらない私には、ナーシャの庇護が必要なのだから。


 赤ん坊の感覚だとやたらと時間の進みが遅く、一日がとても長い。半日も爆睡していたと思いきやまだほんの数時間しか経っておらず、意味の分からない癇癪オギャアでナーシャを叩き起こしたこともしょっちゅうであった。

 そんなこんなで生まれ落ちてから五年……経ったような気分だが、実際にはまだ二年ほどだろうか。自身の身体の大きさや成長を見るに、おそらくそんなところだ。


 仮定二歳児として、それらしい行動と、二歳児では違和感のある行動を考えてみる。

 まずは言葉だ。二歳児は流暢に喋ったりはしないだろう。とはいえ、私もこの国の言葉に触れてまだ二年。語彙も少なければ、この国の知識も知らない。成長途中で舌足らずなのも二歳児らしいのではなかろうか。

 数字の概念。数を数えることについて、ナーシャが教えこもうとしているのは分かっている。困ったことにというべきか、幸いにというべきか、数字はアラビア数字に近い形をしていた。理解が容易すぎて困った。通常の二歳児がどのあたりまで数を数えられるのかわからない。お風呂で百を数えるのは何歳からだろう。

 遊び。これはもうまったく分からない。私は子どもが嫌いなのだ。二歳児の好むお遊戯など分かろうはずもない。


 記憶を参照したところで二歳児の参考例などあるはずもなく、結果、私は思考を放り投げた。まぁ、ちょっと賢いと思われるくらいでなんとかなるでしょう。そのときになったら考えればいい。


「なぁしゃ、なぁしゃ」

「はい、ジークレット様。ナーシャですよ」

「れーなは?」


 あらあら、うふふ。と、穏やかに笑って、私に視線を合わせた。

 私が成長するということは、魔王レーナも成長するということ。そして、ここ数日の間、私はレーナを見かけていないような気がしていた。否、事実、見かけていない。


 レーナは魔王である。ファンタジーな意味合いではなく、その行動の様が。

 母に甘えた盛りで、部屋に突撃してきたレーナ。私の前で大泣きした事件から、母に甘えるだけでなく、私と遊ぼうとして突撃してくることが増えた。ぬいぐるみで遊んだり、木の人形でおままごとをしたり、ナーシャに読み聞かせてもらったり。言葉も喋れない赤ん坊をおままごとの一員に加えるのは勘弁してほしい。

 昼寝中だろうと食事中だろうとお構いなしに突撃、ナーシャに叱られると大泣き。すぐ大声で喚くし、よく笑うし、よく泣く。これを魔王と言わずしてなんという。

 毎日のように襲来していたあの魔王レーナが、ここ数日姿を現さない。熱でも出したのだろうか。


「もうレーナ六歳になりましたからね。ふふ、レーナを気にかけて頂き、ありがとうございます」

「んー……?」

「まだ小さいレーナをひとりにはできませんでしたから、特別にお願いしてレーナをこちらにお邪魔させて頂いていたのです。ですが、もう一人で留守番できる歳ですから」


 なるほど、勤め先に子どもを連れてきていた、ということか。その子どもがひとりで放置しても大丈夫な歳になったから、もう連れてはこないのだ、と。なるほど。


 ますます気になる、私の身分。というより、私の親の身分。

 生まれてこの方、両親と顔を合わせたことがない。赤ん坊だったから覚えていない、なんてことはあり得ない。なんと言っても私は、母親の胎内にいた記憶があるのだから。


 ナーシャと屋敷や庭を散歩していても遭遇することはなかった。同じ家で暮らしていないのか、はたまた会わないように操作されているのか。


 両親が会いに来ない仮定その一。ある一定の歳になるまで、子どもは乳母に任せる文化。そういった文化をもっていた国もあったはず。どこぞの王族や皇族ともなれば、実母より乳母のほうが関りも深いだろう。

 その二。私が疎くて会いに来ない。しかし、完全に放置するわけにはいかないため、金だけ出して乳母に養育を任せきり。ナーシャ以外の使用人もいるようだから、あり得ない話ではないだろう。

 その三。世間には公表できない子どもであるが、政治的利用できる可能性も考慮して、隠して養育している。

 その四。すでに死去している。文化レベルの低そうな時代であるし、となれば出産が命懸けだろうことは想像に難くない。指に切り傷を作っただけでナーシャは大騒ぎだったのだ。小さな切り傷が命を奪うくらいには、この時代の医療は遅れている。


 両親の身分が一般よりも高いことは間違いない。ナーシャは赤ん坊だった私に敬称をつけたし、無駄に広い屋敷ですれ違う使用人は、みな当たり前のように頭を下げる。

 第二の生を受けたこの国は、生前過ごした近代国家ではないのだ。時間を逆行して輪廻転生を果たしたのだとすれば、貴族制度の残る国であってもおかしくはないだろう。


 貴族身分か、はたまた金持ちの家か。


「ジークレット様?」

「んーん、なんでもないです」


 心配そうにこちらを覗き込むナーシャに、首を振って答える。随分と長考してしまった。

 うむ、私の知りたいことを調べるためにも、レーナには近くにいてもらったほうがいい。大人にいろいろと突っ込んで訊くと、ボロが出かねない。

 レーナはまだ子ども。遊んでいるときにサラッと情報を引き出すくらいはできるかもしれない。ひとつ問題があるとすれば、あの子はあまり賢くなさそうなのだ。いや、六歳はあんなものか?


「れーなとあそびたいです」

「あらあら、まあまあ!」


 二歳児の正解が分からないため違和感があるかもしれないが、ナーシャは今のところ変わらずに可愛がってくれる。年上のお姉さんに可愛がってもらうのは得意なのだ。まかせろ。


「実を言うと、レーナも駄々をこねていたのですよ、六歳にもなって。うふふ、ジータ様と遊びたいー!って」


 六歳なんて我がまま盛りだろうに。六歳にもなって、なんて言わないであげてほしい。


 ナーシャがこの屋敷に住み込みであることは知っている。離乳食になるまではこの部屋で寝泊まりをしていた。それ以降も、レーナと共にとなりの部屋にいたはずだ。レーナはいま、実家にでもいるのだろうか。それとも、母親のいない家にひとり?


 気になることが多すぎる。明日やろう病を患っているが、そもそもが好奇心は旺盛なのだ。それでなきゃ、旅なんてしていられない。

 やらなければいけないことではないのなら、やる気もでる。


 けど、まあ、明日でいいや。今日はナーシャと遊ぼう。

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