ただあるがままに
カルロッタは七年を取り戻そうとするかのように、私にいろいろなことを訊いた。
―――スープは
回答。
―――パンとポリッジ、どちらが好きですか。
回答。パンが大好きです。
―――好きな絵本はなんですか
回答。トスカ・サリエラの神話です。
美味しいパンをありがとう、髭のオッサン。
―――使用人たちとはどうですか。
回答。みな良くしてくださいます。
ナーシャとレーナの話は無粋なので黙っておいた。
―――授業で分からないところはありませんか。
回答。今のところはありません。楽しく学んでいます。
宿題がなくて嬉しいとは言わないでおく。
―――好きな教科はなんですか。
回答。大陸史です。いまは、旧ハラナの滅亡あたりを学んでいます。
―――教師とはうまくやっていますか。
回答。優しくして頂いています。昨日は神官のハルクレッド・ソルマト先生が、洗礼のお祝いにと早咲きのシェールを贈ってくださいました。とても可愛くていい香りなのです。
無駄に花の話をして、ナーシャの話はしない。無粋。
―――お花が好きなのですか。
回答。はい、お部屋にもいくつか花瓶を置いています。
「一番好きなお花はなんですか?」
あぁ、訊かれると思った。
カルロッタに媚を売るようであまり答えたくなかったのだが、まぁ、隠すようなことでもあるまい。
「ネームのお花が……好きです」
「まぁ!うふふ」
カルロッタが嬉しそうに笑う。
ネームの花、別名カルロッタ。
花屋に並ぶようなものではなく、道端や庭に気づくと咲いている。形はタンポポに似ているけれど、淡いピンクの可愛い花。花が枯れると綿を出し、種子を風に乗せて運ぶ。
花言葉は『幸運』と『風の吹くまま』。
「ジークレットの花は好きではないの?」
「ジークレットは、私には少し華やかすぎます。綺麗だとは思いますけど、自分の名前だと思うと、気恥ずかしくなってしまいます」
ジークレットもまた、花の名前である。形はアネモネに似ているだろう。春の花で、赤や白、黄色、紫など、色合いがとても鮮やかだ。
好きか嫌いかで言えば、好きではない。
花言葉は『誠実』と『真摯』。私にはないもの。
「あら、私はジークレット、大好きよ」
「カルロッタ。そろそろ本題に入る。控えなさい」
楽しそうに、可愛らしく笑っていたカルロッタの表情に影がさす。はい、と頷き、静かに表情を消した。貴族の伴侶は、当主の半歩後ろで付き従うべし。
夫婦仲はよろしくないのか。政略結婚だろうし、愛も恋もなかったのだろう。それでも、歯に衣着せぬ言い方をしてしまえば、子どもを四人も生むほどやることはやっているのだ。セックスなんて愛が無くても出来るけれど、この女(ひと)はこれで良いのだろうか。
父親、コルシーニに視線をうつすと、こちらは相変わらず表情だった。怒りや呆れと言った負の表情は嫌いだけれど、正直いまはコルシーニの表情のほうが安心できた。カルロッタの愛情を一身に受け止めるより、罪悪感がない。
「まずは改めて、お前の父、コルシーニ・デ・ヴァイオだ。息災なようでなにより」
「はい、お父様」
「単刀直入に言えば、お前の進路について話をしにきた」
首肯して続きを待つ。コルシーニ続いて改めて自己紹介するのも、おかしな話。だから、とりあえず黙る。
こうして正面から見ると、なかなかの美男美女カップルではなかろうか。将来的にどちらに似ても、そこまで悪い造形にはならないだろう。色彩だけは母親に似たかったけれど。
神経質な美男と、ぽやぽやした美女。やはり、四人も子どもがいるようには見えない。
「乳母から賢い子だと聞いているから、すでにお前もある程度の状況は分かっていると思う。まず、魔力のないお前がヴァイオ家の当主になることはない」
「はい、承知しております」
「第二に、お前は他家に出す嫁としての価値もない」
価値がない。わお、そこまでスパっと言われちゃうと、流石にショックだ。
ただ、どう転んでも異性を愛せそうにもないこの心を思えば、良かったと言えなくもない。
「お前と同年代の子どもが多く、なかでも魔力のない者はほとんどいない。ここまで言えば分かるか?」
「縁組はどこの家も魔力を持つ者同士で行い、私は余る、ということでしょうか」
「そうだ。いくつか縁談を探してもみたが、思わしくない。お前より年が上の魔力なしが、いまだに未婚でいるくらいだから」
コルシーニがワインで口元を濡らし、一息つく。どんな顔をしているのか容易に想像がつくので、カルロッタはなるべく視界に入れないようにした。
悲しい顔をされても困る。嫁の貰い手がないことについてはなんとも思わないから、哀れに思わないでほしい。顔も知らない男に嫁ぐほうが悲しいよ。
「魔法が使えないから、騎士爵、魔法爵、講爵の道もない」
「宮廷官吏も、公務局員の道もない。残るは……他家への使用人、でしょうか。ですが、同年代の子どもが多く、さらに魔法が使えないとなれば、その需要もない、と」
「あぁ。賢いな、お前は」
七歳なんてこんなものですよ。あいつらは意外と賢いし、知恵が回るのだ。私は特別じゃない。
たとえ私が他の七歳より賢かったとしても、けして誠実ではない。真面目さをもたないこれは、賢いのではなく姑息というのだ。卑劣で姑息でずる賢い。なにもかも期待外れで悪いな、パパ。
「ジークレット、お前はどうしたい?」
わぉ……そうきたか。
てっきり、一般的な道はないから、適当に決めてきてやったぞ、とでも言われるのかと思っていた。大きな商会を持っているのだし、そこの職員として潜り込ませることくらい容易いだろう。
決めていいなら、ヴァイオ家のヒモである。働きたくない。
「……どうしたい、とは?」
言えない。ヒモになりたい、ニートでいたい、自宅警備員、家事手伝い……言えないッ……
「成人後は面倒を見切れないから、自分でどうにかしろと言うつもりだった。賢いと聞いてもいたから、気に入ったら商会に入れてやるのもいい、と。しかし、うん、気に入った。お前の目を見たら、あまりにももったいない」
うわ、出たよ、知性の輝きってやつですか……
十歳で神童、十五歳で才子、二十歳すぎればただのひと!はい、復唱!
ジータちゃんは七歳にしては三十歳みたいな目をするかもしれないけど、それも大人になるまでの話。年齢が追い付いてしまえば、なんてことない人間になるのだ。頭のなかに享年三十歳が住み着いているだけで、なんの才能もなければ知恵もありません。
「成人まで、好きなことを学ばせてやる。今までは最低限の教師しかつけていなかったが、もったいなかったな。なにがいい。いってみろ」
コルシーニの瞳が熱を帯びる。良い返答が思いつかず、なんとなく半身を後ろに引いてしまった。
放置していたし捨てるつもりだったけれど、育ってみれば優秀っぽいから興味が湧いたってか。
なんだかなぁ。
「なんでもいい。場合によっては成人後すぐに商会の経営に携わらせる。うん、そうだな、音楽でも良いぞ。彫刻は……魔力がないから無理か」
「やりたいこと……」
「あぁ」
やりたいこと。やりたいこと、か。
どうせできない、どうせやらない。そうやって逃げて、私は結局言葉通り、何もやらないままに死んだ。
私を養うために男に抱かれたバカな女の腕のなかで、本当になにもせずに死んだ。
あのときの私を知る者は、この世界にはいない。そうだ、失敗したら逃げればいい。逃げるのは、私が唯一持っている才能じゃないか。
どうせできない。
やりたいことを。
どうせやらない。
やりたいように。
『ジークレット様の、あるがままに』
ナーシャ、いいのかな。私のあるがままに、やりたいことを、やりたいように。やってもいいのかな。できなくてもいいのかな。やらなきゃいけないことすら、やらないかもしれないけれど。
できなくても、ナーシャは笑わないでくれる?やらなきゃいけないことを放り出しても、ナーシャは怒らないでくれる?
逃げ出しても、レーナは笑わないでくれる?途中であきらめることになっても、レーナは呆れないでいてくれる?
やりたいと言ってもいいのだろうか。
「……あるがままに……」
「うん?」
「お父様。私……私は……芸術の道に、絵が……ジークレットは、絵が描きたいです!」
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