我が街誇るタルクウィニア像


 身体の線があまり出ない白い洗礼服は、タルクウィニア教徒の神官が着る服に似ている。これから正式に教徒になる子どもと、神に仕えることが生業の者、まあ、似ていて当然か。

 教会に向かう子どもたちも同じような洗礼服に身を包んでいるが、私のそれと比べると布の量も少なく、少しばかり質素に感じた。

 こうして街の子どもと比べてみると、私は間違いなく貴族の娘なのだと実感する。いや、それは言い過ぎた。金持ちの娘なのだとは思うが、ノブレス・オブリージュなど理解していなかった。


 セルモンドの街は、洗礼を迎える子どもを祝福するために多くの人々で賑わっていた。

 セルモンド。ランドウルフ王国の首都ランに次ぐ、人口の多い街である。職人都市とも呼ばれ、様々な職人や芸術家の集まる商業盛んな街だ。

 私は王都で生まれてすぐ、このセルモンドにあるヴァイオ家の別荘に移された。どうにも、両親は私の顔を一時でも目に入れたくなかったらしい。そう思ってしまうほどに迅速な移送だった。


 第二の人生における、故郷になる美しい街。


 至るところから「おめでとう!」「主の祝福あれ!」という声が降ってくる。事前にナーシャに教わったとおり、沿道の人々に手を振り、カーテシーで返礼する。それを見て、大人たちがワッと盛り上がった。

 昨日、ナーシャと練習したのが、この野次への対応だった。練習するほどのこともなかったと思う。


 洗礼を迎えるということは、それすなわち正式にタルクウィニアの信徒となること。この日には、新たな信徒の前にタルクウィニアが降り立つのだと言われている。

 沿道に集まる人々はそのお裾分けをもらおうという魂胆なのだ。洗礼を迎える子どもに声をかけ、その返礼をもらった者にもタルクウィニアの祝福がある。

 人間のアーチをくぐりながら、ちょっとばかり歌ってみたりする。晴天、歓声、白い街。良い雰囲気だ。


とーばりのー、おちるー、そーのよるにー

きっとー、ゆきがふるーでしょーうー

おおー、ハーシェル、ハーシェル


 洗礼服の裾をつまんで、目を伏せ、膝を折り曲げる。皆さんにも幸せのお裾分けをどうぞ。


 セルモンドの一等地に建つ我が家は、教会までとても近い。子どもの足で二十分。今日はだいぶ時間をかけた。街の外縁部に住まう子など、半日ほどもかかりそうだ。

 鼻歌と返礼を繰り返しているうちに、白く荘厳な教会が姿をあらわす。いつ見ても美しい建造物である。壁面から尖った屋根まで白一色。古いものだというが、ひび割れひとつない。


「ジークレット様、お待ちしておりましたぞ!うむ、うむ……洗礼服もよくお似合いですな。さぁさ、どうぞこちらへ」

「ハルクレッド先生、ごきげんよう。本日はよろしくお願いいたします」


 付き添いであるナーシャとレーナを引き連れて、無駄に大きな教会の扉をくぐる。どう見ても五メートルはありそうで、開閉するだけで無駄な体力を削られそうな見た目をしていた。

 いつもは閉じられている大扉も、今日は大きく口を広げている。通常はこの大扉の横にある、一般的な大きさの扉から出入りするそうだ。大扉と比べると飾り気もないが、それ故、調和を乱さない。

 木製の扉に描かれるのは、数多の神や天使に囲まれるタルクウィニアの姿。すべて彫刻である。神話絵本の挿絵は酷いものだが、こういった彫刻芸術には目を見張るものがあった。材質不明の白い石を、まるで人の肌のように削り出してみせる。職人都市と言われるだけのことはある。


 目を伏せたタルクウィニアのかんばせは何かを憂うようで、それでいて慈悲に満ちていた。本当に、この国の彫刻は美しい。


 もっとじっくり鑑賞したいが、人混みの中で立ち止まるわけにもいかない。それに、教会の中に足を踏み入れるのは今日が初めてなのだ。美しい外観の建物、内部が気にならないわけがない。

 聖堂と呼ばれる大きな空間の奥に礼拝堂があるという。洗礼式を迎える以前の子どもは信徒として認められておらず、聖堂より奥は入れない。「きっと驚きますぞ!」とハルクレッドが言っていたので、否が応でも期待が膨らむ。


 まるでおとぎ話の城のように、白く壮大な外観。扉だけでなく、壁や屋根、細かいところまで美しい装飾が施されている。外観だけでこれだ。聖堂の見学があまりにも楽しみすぎて、あえて事前のリサーチをしなかった。楽しみは後にとっておく派だ。

 外見だけでも圧倒される壮麗さなのだから、中はきっともっとすごい。フレスコ画なんかがあったりするのかもしれない。


 短い廊下を歩いて、ふたたびあらわれた豪勢な扉をくぐる。


「っ……!ぉぉ……」

「ふはは、いかがですかな。我がセルモンドの大聖堂は」


 息をのんだ。


 これは、この教会は、この聖堂は、タルクウィニアの腕の中なのだ。

 ぐるりと首を回して、壁を、天井を見上げる。すごい……


 聖堂の奥で横座りをしたタルクウィニアが、まるで聖堂を包み込むように大きく両腕を広げている。なんだか、タルクウィニアの腕の中へ知らずに飛び込んでしまったように思えた。天井から見下ろすタルクウィニアの表情は慈悲に満ち、高く遠くにあるはずなのに、その表情の影までよく見える。


 彫像だ。


 石膏のような白い石でつくられた、見上げ、包み込まれるほど大きなタルクウィニアの彫像。フレスコ画もステンドグラスもない、それでも、そんなものは目じゃない、なんて思ってしまうほどに。


 こんな美しいもの、見たことない。


「じ、ジータ様!?」

「ぁ、ぁれ……」


 驚いたようなレーナの声で我に返った。ぽたぽたと零れ落ちる涙は、神の表情に感化されたものか。私の小さな胸におさまりきらないほど、暖かく美しく、そして神聖なもの。


「あらあら、うふふ。レーナとは真逆の反応ですね、ジークレット様」

「あまりにも美しくて……とても、とても綺麗です」


 七歳の語彙では、言葉にしきれなかった。神を見上げて呆然と立ちすくむ私を、同い年の子どもたちが気にしたふうもなく追い抜いていく。


「ふははは、そうでしょう、そうでしょう。セルモンドの教会は大陸イチの美しさだと言われておりますからなぁ。涙が出るほどに美しい。とくに大扉から入ると、まるで主に抱き留められたかのような気持ちになる」


 泣いた私を案じてか、レーナに手をとられたまま聖堂の席につく。身分の高い者ほど前の席。私の席は前から六列目という、なんとも中途半端な位置だった。


「ジークレット様。私たちは式の終わりまで外で待機しております」

「はい。ナーシャ、レーナ、付き添いありがとうございます」


 ナーシャとレーナは外へ、ハルクレッドは他の子どもたちを迎えに。ひとりになってから、もう一度天井を見上げる。精巧に、繊細に彫られた表情。先ほどとは雰囲気が違うようにも見える。憂い、迷いの色が濃い。


 まさかとは思うが、見上げる角度によって表情が変わるように設計されているのだろうか……うわぁ、全部見たい。すべての席に座って確認したい。


 あ、うわ、うわぁ、すごい、これまたすごい!

 よくよく観察すると、表情だけではない。右腕に巻き付くツタは農耕神トスカ・サリエラ、左手の聖典は魔人ポッシメル。肩は、足は、その髪は、服は……タルクウィニア像の身体を構成するものは、歴史をつくってきた神や天使たち。

 聖堂に置かれたたくさんの長椅子にも細かな彫刻がされていた。どこをとっても芸術。椅子もすべて違う彫刻。それぞれに神話のワンシーンが描かれている。


 夢中になって椅子の彫刻を眺めているあいだに、徐々に席が埋まっていく。私を含め、前方の席は長椅子にひとりずつ。中央より後ろはそれぞれ三人から四人が詰めて座っていた。

 首都に次ぐ大きな街だというだけあって、子どもの数がとても多い。今年で七歳を迎える、私と同い年の子どもたちだ。振り返ってじろじろと眺めるのも失礼かと思い、ぐるっと見渡すだけに留めた。


 しかし、いったい街のどこに隠されていたのかと思ってしまう。こんなにも子どもたちが隠されているなどと思ってもみなかった。

 引きこもりなのだ、私は。生活のほとんどが家の中で完結するため、外に出ると言っても庭を散歩するか、屋敷の外周を散歩するくらいしかない。それと、年に数回の祭事だけ。


 同じ年齢の貴族も多いのだなと思いながら、色とりどりな頭の数を数える。

 前の一列を数え終わらないうちに、ハルクレッドのそれより豪華な神官服をまとった男が壇に上がった。手に持つのは、それだけで鈍器になりそうな聖典。神官長である。

 聖堂で神官長の話を拝聴し、その後ひとりずつ礼拝堂で儀式を行う、というのが洗礼式の流れだ。だからあの男は、おそらく神官長。


 長と名がつくだけあって偉そうな顔をしていた。顎の上げ方に、そんな雰囲気を感じる。俺は偉いぞ、という雰囲気。


「タルクウィニアの愛しき子らよ」


 壇上の男が滔々と語り始めたのは、タルクウィニアの創世神話だった。二歳の頃からナーシャに読み聞かせられ、五歳から本格的に授業で学習した、あの創世神話。洗礼式を始めます、なんて言葉から始まるわけではないのか。

 私は、神社の前を通るときになんとなく手を合わせるような、いたって自然に八百万の神を受け入れてきた日本人であった。だからこそ、洗礼式と言われてもあまりピンとこないのだ。


 食い、食われ、ただ生を細く繋ぐばかりだった小さな生命たちに、タルクウィニアは住まう地と言葉を与えた、というような出だしから始まる。タルクウィニアが人間を創り出したわけでも、世界を創り出したわけでもない。タルクウィニアは数多存在する神々得体の知れないモノのひとりであり、ただ単に、人間という生き物を気に入っただけのこと。

 タルクウィニアは、そのお気に入りの人間たちに力や知恵を与え、我らは文明を広げていきましたよ、と続く。タルクウィニアの寵愛を受けた者は新たな神として名を残し、人間たちを導く。

 中にはピカソのフルネームか?と思うほど名前の長い神や、よくその行いで神になれたな、と思うほど爛れた生を送った神もいる。堅苦しい言葉が読みにくいだけで、聖典は読み物としてとても面白い。


 が、それはあくまで読み物しての話だ。

 こうも抑揚なくつらつらと語られると、どうあっても眠気を誘う。事実、私の目の前に座る少年は頭がカックンカックンと揺れまくっていた。


 栗色、赤茶、ベージュ、ダークブロンド、グレー、プラチナブロンド……

 圧倒的に茶系色が多いが、見慣れた黒髪はあまりいない。アニメや漫画のようなピンクや緑もいないので、目に優しいとも言える。


 髪も目もグレー。私はなんというか、とても色彩に乏しい。出不精であるため肌も不健康に白い。金髪碧眼というものに憧れもあったので、そのあたりは残念である。

 白い洗礼服、白い街、色味の少ない私。地味だなぁ。


「このセルモンドで洗礼を迎えるあなたたちに、ひとつ誇りとなる話を授けましょう。聞いたことがある方も多いやもしれませぬ」


 ふと雰囲気の変わった神官長に意識を戻すと、その口元が優しく弧を描いていた。


「この大聖堂に足を踏み入れて、あまりの美しさに感動した方もおられるでしょう。この教会はランドウルフ王国が建立する以前に建てられたもので、その歴史は数百年を刻みます。教会を建て、彫刻を施したのは、たったふたりの人間」


 建築家や彫刻家、もっとも有名な者の名しか残らないなんていうのは、珍しい話ではない。まさか、こんな大きな建物を機械もなく、マンパワーにも頼らずに作り上げるなんて、まさかまさか、そんなまさか……


「もちろん、ふたりの名前しか残っていないわけではありませんよ。これを作り上げたのはたったふたりきり」


 まじか……


「タマーラとボニート。この双子こそが、セルモンドの誇る芸術家」


 まじか……!


 タマーラとボニートは神話にチラっとだけ登場する、芸術の革命を起こした“タルクウィニアの落とし子”である。芸術の落とし子、芸術の神、そんなふうに呼ばれているわりに、神話内での登場シーンはほんの十数行しかないという、地味な双子。神話に残されるほどの芸術家でありながら、彼らはたったひとつの作品しか遺さなかった。

 風の魔法しか使えなかった姉のタマーラ、土の魔法しか使えなかった弟のボニート。ふたりは、ふたりでひとりの芸術家。彫刻芸術といえばこのふたり。


 セルモンドに暮らす職人たちが、もっとも大事にする神様といっても良いだろう。


「ボニートの作り出す白い石を、タマーラが風の魔法で美しく掘り出す。有名な芸術家ですが、彼らの作品として現存するのはここ以外にありません。彼らが生涯をかけてつくりあげた至高の作品こそが、このセルモンドの教会なのです」


 落とし子と呼ばれた双子は、それでいて、ひとりではなにも出来なかった。土魔法だけでは彫刻はできず、風魔法だけでは白石を生み出せない。

 タマーラとボニートの話を、「ひとりで完璧を創り出せる人間はいない。落とし子という天才にだって、大きな欠点があったのだから。だからあなたも、家族と、友人と、恋人と、仲間と、手を取り合って生きていきなさい」という話にまとめた。

 滔々と垂れ流される聖典よりも、ずっと良い話だったように思う。聖典を読まなければいけない決まりでもあるのだろうか。


 真面目に聴く者、うとうとする者、うとうとを通り越して夢でも見ていそうな者、小さな声でお喋りを続ける者。全員の顔を見渡して、神官長がほほ笑む。

 目が合った。まぁ、起きている者のほうが少ないのだから、目が合う確率も高くなる。真面目なフリをして、ゆっくりと瞬きをした。


「大聖堂に足を踏み入れ、思わず涙を流した方もおりましたね」


 おっと、恥ずかしい。どこで見られていたのだろう。

 あぁ、でも、神官長の言う通りだ。この教会を見て、このタルクウィニア像に抱きしめられ、タマーラとボニートの話を聴いて、それを誇りにできないはずがない。


 私はこの地で育ったのだと、このセルモンドで洗礼を受けたのだと、多くの者が誇りに思うだろう。多くの者が、誇りに思ってきただろう。だから今でも、セルモンドはひどく美しい。


「道に迷ったら、ぜひここへ戻っていらっしゃい。セルモンドの誇るタマーラとボニートが、この大聖堂に座すタルクウィニアが、迷えるあなたの手を引いてくださるでしょう」


 やりたいことを、やりたいように、あるがままに。本当に、私は宗教家なんかじゃなかったはずなのにな。



 礼拝堂は聖堂に比べると、随分と質素だった。

 まるですべてを削ぎ落し、神の前に首を垂れるような、そんな真っ白な空間。白い石を切り出して作られた狭い部屋は、ひんやりと涼しく感じた。


 礼拝堂の中央に膝をつき、練習したとおりの祈りの句を述べる。それが終われば、台帳の一ページに名を記し、血判を押すだけだ。字の書けない平民は、神官が代筆を行う。

 洗礼式とは、ある意味での正式な住民登録なのだ。この国に生まれて洗礼を受けない者は、スラムに生まれた子だったり、犯罪が関わっていたりする。タルクウィニア教徒ではない、イコール、この国の民として登録されていない。

 死したときには、今日の血判部分を遺体とともに棺に入れる。洗礼を受けていない人間は、まともに葬式も上げてもらえないことになる。


 ジークレット・デ・ヴァイオ。自らの手で記し、小さな傷から滲む血を指の腹に擦りつけた。紙に指を押し付けようとして、背中がぞわぞわと粟立った。

 押してもいいのだろうか。これを押したら私は。これを押したらジークレットは。これを押したら“私”は。


 傷つけた指の痛みはたしかに、私がこの身体の持ち主であることの証だと、そっと言い聞かせて判を押した。


〇●〇●



 教会を出た先に、すでに式を終わらせた身分の高い者たちが集まっていた。それぞれの長身や従者に、品よく挨拶をしているのが見える。

 後方に座っていた子どもたちと比べると、落ち着きがあって礼儀正しい。ほら、子どもなんて案外こんなものだ。私が特別賢いわけではない。ナーシャやハルクレッドが抱く違和感も、時期に消えていくだろう。ハタチすぎればただのひと。


 見慣れた後姿に声をかける。


「ナーシャ、レーナ。お待たせしました」

「あ、ジータ様……」


「ジークレットか。久しいな」


 振り向いたナーシャとレーナの側に建つ、グレーの髪をしたお兄さんと、明るい栗色の髪をしたお姉さん。



 誰……


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