デルフィナという女
美しき景色生む山賊1
十歳、というのは貴族と平民で意味が変わってくる。
前者にとっては特別な歳だが、後者にとってはなんでもないただの平凡な子ども時代。親が貴族位の私にとっても、本来であれば十歳は特別な歳になるはずであった。
小さく歌を歌を唄いながら、私は今日も炭ペンを動かす。貴族の務め?しーらない!ノブレス・オブリージュ?しーらない!
とーばりーのー、おちるー、そーのよるにー
きっとー、ゆきがふるーでしょーうー
おおー、ハーシェル、ハーシェルー
「あ、ジータ様いたー」
「レーナ、お疲れ様です」
「お疲れ様です、じゃないですよぅ!欠席するならお返事は今日までですよ!」
大聖堂の通用口から、使用人服を揺らしたレーナがゆっくりと歩いてくる。そのままストンと私のとなりに腰かけた。
面倒くさい、明日でいいや……と引き延ばしているうちに、その明日がとうとう来てしまった。一筆、欠席する旨を記して送り返せばいいだけなのだが、季節のご挨拶だとか招待して頂いたお礼だとか、そういうものまで書かねばならないのが面倒くさい。いいじゃないか、同窓会や結婚式の招待状みたいに欠席にマルをつけるだけで。
デビュタント。そういえば、分かる人には分かるだろう。上流階級の人間が初めて社交界に参加することを言う。たしか元々はフランス語であったと記憶しているが、定かではない。十年も経てば前世のウンチクなど薄らぼやける。
ところで、この国のデビュタントは十歳と若い。働き始める年齢も、成人年齢も、平均的な結婚年齢も、出産適齢期も、なにもかもが若い。医療技術が遅れているため寿命が短いのだとしても、十四歳なんてまだまだ身長も伸びる。充分子どもだ。
将来的に貴族社会の波に揉まれなければならないとしても、十歳の子どもを親の職場に連れてくるのが常識などどうかしている。
舞踏会だとか社交界だとか、華やかな顔をしているけれど、言ってしまえば顔つなぎパーティーだ。情報を収集し、また情報を流し、コネクションを広げる。
十歳のうちから社交界で顔を広げ、有力な人材との窓口を確保するのだ。頭おかしい。意味が分からない。そんなことやりたくない。面倒くさい。
「ママも若いときに何度か行ったって言ってましたよ。いいんですか?可愛いドレスですよ?騎士様とのダンスですよ?首都ですよ?」
「面倒くさい……レーナが私のフリをして行ってください」
「え!?いいんですか!?」
良いわけないでしょう、このおバカさん。
レーナは今年で成人し、正式にヴァイオ家ジークレット付きの従者になった。貴族家の使用人というのは、その家に生涯の忠義を捧げると同時に一生の面倒を見てもらう。ある意味で、第二の家族とも言える。婚姻と同じで、法的な強制力が諸々と働いてくるため、そう簡単に辞めることはできない。
終身雇用である貴族の使用人はなかなか空きがでない。下流貴族の子どもたちの進路として人気はあるが、倍率も高いのだ。使用人の娘だからといって、その家にそのまま仕えさせてもらえるわけではない。
元男爵家の出身で、さらに講爵を持つ準貴族、ヴァイオ家別荘の筆頭使用人、と肩書が大渋滞の母を持つレーナも例外ではない。いくら母親が優秀で、身元がしっかりしていて、ヴァイオ家との繋がりが深かったとしても、それだけでは一生の面倒は見てもらえない。
「侯爵様ですよ?将軍様ですよ?騎士様がいっぱいいらっしゃるんですよ?はぁー、いいなぁ……」
夢見がちなことを言っているが、この子も努力をしたのだ。ナーシャいわく頭の出来はどうにも出来なかったため、魔法の練習に重きを置いたそう。先天的に魔法が使えない私は、貴族が住まうことを前提にした屋敷で生活するには不便が多い。明かりも、水回りも、至るところで魔法、魔法、魔力、魔力。
私の生活補助員として、レーナはコルシーニ・デ・ヴァイオに自身を売り込んだ。
「ダンスの練習などしたこともないのです。私が行ったところで恥をかくだけですよ」
「そうかなぁ……踊らなくても楽しそうだけどなぁ」
魑魅魍魎が跋扈する社交界にレーナを放り込んだら、五秒で頭から食われることだろう。悪い貴族のオジサンに上手いこと丸め込まれて、私のレーナがペロリと美味しく頂かれました、なんてことになったらたまったものではない。
なんと言ってもレーナは可愛い。素直で、ちょっとおバカで、だけど物怖じしない。しかも成長したことで、体つきも女らしくなってきた。素直で、おバカで、物怖じしなくて、タレ目で、泣きぼくろがあって、おっぱいが大きい。ジータちゃんは知っている。こういう女の子はオジサンに好かれる!
当主も継げず、準貴族にもなれず、官吏にもなれず、他家の嫁にもなれず、使用人にもなれない。貴族としての道が残されていない、そんな私が社交界に出る意味などない。
面倒だから行きたくないのが表向きの理由だが、なにより、私が行けばレーナを従者として連れて行かなければならない。それが一番嫌だった。
よって、行かない。行かなくてもいい。父、コルシーニは生まれたばかりの赤ん坊を別荘に隔離するほど、魔力至上主義の人間だ。あの人だって、私がフラフラと社交界に出てくることを好ましく思わないだろう。
「行きたくないです、舞踏会なんて」
「うふふふ、しょうがないですねぇ。お断りの返事、ママにお願いしますね」
「うん。ありがとう、レーナ」
レーナは笑うとナーシャによく似ている。
夜会の招待への返答は、本当は私のやらねばならないことだ。参加するにしても、欠席するにしても、返事をしたためるのは私の仕事。そもそも、今だってレーナは私を催促するために来たのだ。だけど、それはきっと建前。屋敷にいるナーシャは、すでに不参加の返事を書き終えているのだろう。
驚くべきことに、ナーシャは宣言したとおり、私の好きなようにさせてくれた。やりたいことを、やりたいように、あるがままに。
どのようなセンサーを持っているのか不明だが、面倒くさい、あとでやろう、と私の怠惰癖が発動する多くのことを、ナーシャが事前にこなしてくれる。
最終的に残された私のやるべきことは、母、カルロッタへの手紙くらいしか残されていない。
さすがにカルロッタへの手紙を代筆させるのは、人間性がゴミクズすぎる。私はクズであっても、悪人にはなりたくない。なので、カルロッタとの文通はきちんと自分の字でやり取りしていた。
初めて顔を合わせた日から、カルロッタは頻繁に手紙を送ってくるようになった。ジータ、ジータ、私の可愛いジータ、会いたいわ、声が聞きたい、ジータ、ジータ、大好きよ、と。見ようによっては恋文にも見える。
花が好きだと言ってしまったせいで、毎度綺麗な花も添えてくれた。相変わらずハルクレッドも花を贈ってくれるし、いいかげん我が家が花屋敷となりつつある。
レーナと話をしながら、炭ペンで線を描き入れていく。大聖堂のタルクウィニア像は、今日も変わらずここにある。
絵が描きたいと我がままを言った数日後、教会から派遣された絵の先生がついた。
が、これがまぁ酷い。
絵と言うと、あの絵本の挿絵にあったような不気味なタッチのものが主で、絵画と言えばそれにちょこっと色が乗っているだけ。テンペラもフレスコもパステルも、油彩も水彩もない。
これだけの彫刻技術を持ちながら、芸術としての絵画は恐ろしくお粗末だった。謎すぎる、なぜそうなる……
結局、諸々の道具だけ揃えてもらい、先生は教会にご返却した。
まあ、こちらは結果として良かったのだと思う。先生がつくということは、授業を行うということ。それは勉強と同義で、やらねばならないことだ。
やらなくてはならない、と脳が認識してしまえば、私は途端に怠けるだろう。前世でも絵は好きだったが、美術の授業は嫌いだった。作品の提出も適当で、成績は見事に可もなく不可もなく。
誰かに教えを乞うわけでなく、ただ描きたいときに、描きたいものを、描きたいように描くのはとても楽しい。たとえ画材を自作しなければならないとしても、お釣りがくるほど。
「綺麗ですねぇ」
「はい。何度見てもこの聖堂は美しいです」
「そうじゃなくて、ジータ様の絵が」
レーナの視線を追って手元を見る。中途半端に描かれた聖堂のタルクウィニア像。それはただの模写であって、芸術とは程遠いものだった。
この聖堂で感じるような、涙が出るほどの美しさは微塵もない。
「そう……でしょうか……」
「はい、とても綺麗です。私、ジータ様の絵が大好きですよ」
ありがとう、と返して、タルクウィニア像に視線を向ける。
まともにデッサンができるようになるまでに、実はそれなりに苦労をした。苦労というよりも面倒なことが多かった。
この国の芸術といえば彫刻が主流で、まともに絵を描くという土台がない。たとえば紙、たとえばキャンバス、たとえば筆記用具、たとえば絵具。
刺繍もあるが、染料の種類は少なく、まともに使える顔料といえば屋根に使用されているものくらいだった。糸や布の染めは、なにやら魔法を使うらしく、絵具には応用できない。
私がデッサンに用いているのは、木の板に下地剤を塗り重ねた白色の画板と、木炭に似た炭ペンと呼ばれるもの。
テンペラやパステルなども真似してみたのだが、どうにも気に食わなかったために、三年の試行錯誤が始まったのである。用意できるものといえば、目の粗い茶色い紙、三種類しかない顔料、木の板や布、炭の粉を固めた炭ペン、などなど。
炭ペンは安価で売られた一般的なものであるが、気に入った支持体を用意するのが大変だった。
画材のための工作も楽しかったので、文句はないのだけど。
私は情緒が描きたい。人の情緒や営みを、その一瞬を描きたい。一枚の中に歴史や感情を描きたい。
それこそ、このセルモンドの教会で感じたような。あのときの気持ちを描きたい。
継ぎ目ひとつない美しいタルクウィニア像を彫っていたとき、タマーラとボニートはいったいどのような気持ちでいたのだろう。何を思って、この教会を創ったのだろう。
私は、涙が出るほどの美しさを描きたいのではない。美しさのあまりに涙が零れる、その溢れ出た気持ちを描きたいのだ。
長椅子に座ったレーナが小さく笑って、私の肩に頭を乗せた。似ているなぁ。
似ている。レーナは、あの子によく似ている。ハタチを過ぎたあの子は流石にレーナほど子どもっぽくはなかったが、それでも考えることやちょっとした仕草がよく似ていた。
「そんなに憧れるものですか?」
「んー?」
「舞踏会」
もう一度、んーと唸ってタルクウィニアを見上げる。つられた私も、タルクウィニアを見上げる。手が届かない白石の像は、今日も何かを憂いている。
「うん。綺麗なドレスを着て、綺麗なお姉さんとお喋りして、格好いい王子様とダンスして……素敵じゃないですか?」
そうだろうか。わからないけれど、レーナがそういうなら素敵なのだろう。
やっぱり、彼女が社交界に出たら魑魅魍魎に食べられてしまうだろうな。王子様の皮をかぶったオオカミさんに丸呑みされて、ペロリ。それは、あぁ、うん……
「夜会用のドレスを着たジータ様、きっととっても可愛いです」
「……私は……レーナやナーシャと、お屋敷でのんびりするのが好きなのです。ドレスくらいいつでも着ますから、舞踏会は我慢してください」
「もぉーぅ!ジータ様、そういう言い方ほんとズルい!可愛い!」
可愛いなぁ。
あの子もそうだった。
海に行きたいとか、遊園地に行きたいとか言うたびに、私は二人きりで家にいたいと返した。年甲斐もなくかわい子ぶって、だめ?なんて上目遣いで。だって、私は本当に一文無しだったから。あの子に金銭で負担をかけている事実を直視したくないから、ふたりで外に遊びに行くなんて嫌だった。
あの子は私の保身的な我がままに、しょうがないなぁ、と言って笑うのだ。
画板の上に炭ペンを置いて、寄り添うレーナに体重をかける。
私の望むものが、この世界にはあった。良いのかな、こんなに幸せで。第二の生は、クズへの罰じゃなかったのかな。怖いな。幸せが怖い。
どうなんですかね、タルクウィニア様。
「ジータ様、私、よく夢を見るんです」
「怖い夢ですか?」
「ううん。怖くはないんですけど、なんていうのかなぁ……もしかしたら、私の前世なのかもって」
わぉ……前世の夢を見るというのは聞かない話ではない。でも、もしレーナの見るそれが私のように時空を飛び越えたものだとすれば、レーナだって偉人となりうる可能性を秘めた人間だ。
まったくの異世界から飛んできた例がここにあるのだ。なにが起きたって不思議ではないと思ってしまう。
「あのね、たぶん農家さんだったんです。おうちは木で出来てるのかな。それで、家の周りには畑しかなくって、夢の私はそれを退屈に思ってる」
「木で出来ている……」
「そう、それでね、家の床も草なんです。夢の私は、それもきらい。すっごく田舎」
だけど、物語を見てるみたいで結構楽しいんです。そう言って、頭をぐりぐりと押し付けてくる。私はそれを押し返さずに、とりあえず受け止めてみる。レーナの身体が柔らかくて心地いいから。
「ジータ様みたいに絵が描けたら、ママやジータ様にも見せてあげられるのに」
「では……私がもっと上手に描けるようになったら、レーナの代わりに描きますね」
「じゃあ、たくさん夢の話しなきゃですねぇ。ふふふ、楽しみ。約束ですよ」
はい、約束です。
レーナの夢か。木の家に草の床。日本家屋で畳だったりして。そんなわけないか。
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