第34話 アヤナの記憶2
その日、アヤナはパイドパイパーとSkypeで長話をした。
といっても、耳が聞こえにくいアヤナを気遣って、パイドパイパーは声を発さず文字で返事をした。ヘッドホン越しなら聞き取れるから会話をしたかったのだが、彼の気遣いがアヤナには嬉しかった。
パイドパイパーは、一時間以上話を聞いてくれた。
「つらかったね」「かわいそうに」「君は悪くないよ」
そうチャット画面に表示されるのを見て、アヤナは生まれて初めて、全肯定された気がした。
気づけばアヤナは泣いていた。「ごめんなさい」としゃくりあげるアヤナに、パイドパイパーは「泣いて、全部吐き出しちゃえばいいよ。僕に気を遣わないで」と泣き止むまで会話を続けてくれた。
精神的に、すっかりパイドパイパーに身をゆだねた状態だった。
彼の言うことはすべて正しく、その通りに行動すればいいのだ。
アヤナは自分で考えることをやめた。
『送ってもらった写真見たよ。アヤナちゃん、かわいい! けど、
陰鬱な音楽を聴く、ホラー映画を見る、深夜零時過ぎに寝て四時二十分に起きる。そういった課題の他に、体重報告と写真添付が課せられた。
『まだまだ太ってるね』
『もうちょっとペース早められない?
そういった返信が来るたび、胃のあたりがきりきり痛んだ。
野菜だけの食事に切り替えてから一気に三キロ落ちた体重も、下げ止まって痩せなくなった。ちゃんと食べなさいという母親をかわすのもストレスになり、つい普通の食事を取ってしまった。
パイドパイパーには特殊能力があるから、黙っていてもばれてしまう。アヤナは自分から告白して「ごめんなさい」とメッセージを送った。
「今度から気をつけてね」と言われるくらいだろう、という予想は裏切られた。
『何食ってんだよ! 野菜だけにしろって言っただろうが! 肉や穀物には悪い気が入ってるんだよ。おまえのその醜い性根が増幅するんだよ。ほんとに
どんなに詫びても、パイドパイパーからの罵詈雑言メッセージは止まらなかった。
『口先だけの反省なんて何の価値もないんだよ。これからは真剣にやるってのなら、足に「ブタ」って彫っとけ、豚女!』
やさしかったパイドパイパーの豹変ぶりに戸惑いながらも、やはり自分が悪いのだと考える。あんなにやさしい人を怒らせたのだから、自分はどうしようもなく悪い人間なのだろう。
鳴り止まない通知が、聞こえにくいはずの耳にはっきりと聞こえる。逃げ場をふさぐように、延々と鳴り続ける。
アヤナは泣きながら、スカートをめくり、左の太ももにカッターを当て、「ブタ」と切り傷をつけた。流れた赤い血が、スカートについた。
写真を撮り、それをパイドパイパーに送る。
『ごめんね、ひどいことを言って。でも、君の覚悟を確認しておきたかったんだ。もし本当に死にたいわけじゃないなら、君を不幸にしてしまうから。その覚悟、受け取ったよ。赤い血は、勇気の印だ』
ようやく罵詈雑言がやんだことにほっとする。
それ以来、アヤナにとってパイドパイパーは、憧れの人でありながら恐れる対象になった。
言うことを聞いていればやさしく接してくれる。パイドパイパーからの愛情を得ようと、アヤナは従順を通り越して卑屈になっていった。
『
そんなメッセージにパイドパイパーは、「神官の仕事が忙しくて、なかなか抜けられないんだよ」と返してきた。アヤナはずっと、彼は神社の神職だと思い込んでいるらしかった。
『もしかして、穂積教本院の神主さんですか? だったら、すごく近くに住んでるんですね!』
パイドパイパーからの返事は、イエスともノーとも取れる曖昧なものだった。
『んー、あんまり顔バレしたくないんだよね。他の参加者が一斉に押し寄せてきても、身動き取れないから』
どうしてもパイドパイパーの姿を見たくて、アヤナは穂積教本院を訪れた。
美しい顔の男性を想像していたが、参道をほうきで掃いていたのは女性神職だった。
袴ではなく白い作務衣姿だが、あれは神主だろう。大きなイチョウの木をうらめしそうに見上げるいつきを、アヤナがじっと観察している。
意を決したように、彼女へと近づいていく。いつきはアヤナの目を通して、過去の自分自身を見た。
「こんにちは」
女性神職が、笑顔で会釈をし、話しかけてくる。けれども、三分の一ほどはうまく聞き取れなくて、アヤナは必死で唇を読む。
「あの、この神社の方ですか」
「はい、穂積教本院の神職、つまり神主です」
「では、あなたがパイドパイパーなのですか?」
あのときの質問の意味が、いつきはようやく腑に落ちた。あのときに戻ってもう一度やり直せたら。
いつきに会ったことを無防備に言ってしまったアヤナは、またしてもパイドパイパーから罵詈雑言を浴びせられた。
『本当におまえは勝手なことばかりするな、この豚! 余計なことをしないよう見張らなくちゃな。アカウントのパスワードを教えろ』
とどまることを知らず何十分でも流れ続けてくる叱責メッセージから逃れるため、アヤナはパスワードを教えてしまう。
死にたいとツイートしたときに猫の写真を添付して励ましてくれた人を、いつの間にかブロックしていた。
日々の癒やしとしてフォローし、「いいね」を送っていたいくつかのアカウントも、同じだった。Twitterはもう、愚痴を吐ける場でも、束の間の楽しみを得る場でもなくなった。
そんなとき、散歩中にあの女性神主に声をかけられた。
すべてを話したい衝動に駆られるが、それはパイドパイパーを裏切るように感じられた。
神主は、二日後にもう一度会う約束をしてくれた。迷った挙げ句、アヤナは藁をもすがる気持ちでいつきに会いに行こうとした。
しかし、パイドパイパーがアヤナになりすまして暴言DMを送ってしまった。あの神主さんもさすがに怒っているだろう。合わせる顔がない。
アヤナにはもう、居場所がなくなってしまった。
屋上へと向かう階段を、アヤナがのぼっている。扉は鍵がかかっていたが、回して開ける錠だったので簡単に開けられた。
ゆっくりと柵に近づく。下を見ると、登校途中の生徒たちの頭が見えた。
『君の勇気を試すときが来たよ。最後の顔を、僕やみんなに見せて』
ためらったりすると、パイドパイパーはまたキレるのだろうな。
あの罵詈雑言の嵐を想像すると、身がすくんだ。
逃げ出したい。全部終わりにして楽になりたい。
柵にもたれかかり、地上が写るようなアングルで、アヤナは自分自身を撮った。
最後になるのだからと、写真写りを確認してから、Twitterに投稿する。
『バイバイ! 暗かったあたし。 #092』
パイドパイパーからの「いいね」がついたのを確認してから、アヤナはスマートフォンを屋上に置き、柵を乗り越えた。
風が頬を撫で、スカートをはためかせる。
下にいる先生や、時間を気にして走る生徒たちは、誰もアヤナに気づいていない。心臓が痛いほど脈打つ。手足から血の気が引いて、柵をつかむ指先に力が入らなくなる。
落下地点に人がいないことを確認して、アヤナは柵から手を離し、重心を前へと移した。
身体が重力から解き放たれ、全身がすくむ。アスファルトの地面が予想以上の早さで近づいてくる。
怖い――!
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