第4話 縄に託されたSOS
「お待たせしちゃって。いつきちゃん、あがって」
西園のおばさんが、人なつこい笑顔でスリッパを出してくれる。
失礼します、と一礼して、草履を脱ぎ、三和土に上がってから揃える。おばさんとは小さい頃からの顔見知りだが、仕事で来ているときはけじめが必要だ。
座敷に案内されると、紙袋に入れてきた祭祀用の
(さっきのあの声、確か鈴の同級生の
おばさんが
「それでは、十月の月参りを執り行わせていただきます」
手に持った
最後に四方祓をする。おばさんが平伏する中、東西南北の四方にそれぞれ、
左、右、左。
「これを持ちまして、西園家十月の月参りを滞りなく執り行いました」
ありがとうございます、とおばさんがお辞儀をする。
「いつきちゃん、どうぞこっちへ」
立ち上がったおばさんが、襖を開けて、隣の座敷へと案内する。いつきは「ありがとうございます」と一礼し、狩衣を脱いで紙袋にしまい、来客用机の前に座る。
しばらくすると、おばさんが謝礼を包んだ熨斗袋と、コーヒーとお菓子を持ってきてくれた。十分ほど世間話をするのが恒例になっている。ご近所の情報収集も大事な仕事なのだ。
頂戴いたします、と言って謝礼を受け取る。勧められるままにコーヒーに口をつけ、渇いた口をうるおす。
「そういえば、玄関の花瓶が変わっていましたね。新作ですか?」
淡いブルーに着色され、縁に花飾りのついた紙粘土製の花瓶は、かなり手の込んだものだろう。
「あら、気がついた? 自信作なのよ。紙粘土は乾いちゃう前に形を整えなきゃいけないから、時間勝負でね」
「いつもお上手ですよね。陶芸とかはされないんですか?」
「興味はあるんだけど、家をあけられないし」
「息子さん……康博くんは毎日大学ですか?」
話好きなおばさんが、言いよどむ。
「え、ええ。大学には在籍してるんだけどね。……鈴ちゃんはお元気?」
話をそらされた。
ということは、大学には行かずに引きこもっているのかもしれない。二階から感じる気配は、彼のものだ。
「はい。大阪の大学に通ってます。通学が大変だってぼやいてますけど、毎日楽しいみたいで」
「鈴ちゃんはえらいわねぇ。高校でも成績よくて。赤点補習受けてたうちの康博とはえらい違い」
小学生の頃は、康博と鈴はよく一緒に遊んでいた。思春期になると微妙に避け出したようだが、高校が同じこともあり、また普通に接するようになったはずだ。
「康博くんも頭よかったじゃないですか。妹がよく、数学の成績で負けたって言ってましたよ」
「あー……。あの子、理系だったのに、なぜか受験の時文系の学科を選択してね。好きな子でもいたのかしら。語学系の、なんだが難しそうな名前の学科だったけど、あんまり興味ないみたいで。一時は芸大に行きたいなんて言ってたから、それよりは就職先ありそうだけど」
語学で思い出した。玄関のあの縄は、「キープ」ではないだろうか。
文字を使わず縄の結び目で数を表すキープは、インカ帝国で使われていたものだ。沖縄でも、確か
それ以上踏み込むことができず、世間話を続ける。「あらもう十二時」というおばさんの声を合図に、いつきは西園家を辞することにした。
玄関で草履を履き、あいさつしようとしたとき、康博の声がした。
「助けて!」
反射的に、いつきは紙袋を落とし、草履を脱いで再び家にあがった。
廊下を走り、階段をかけあがる。のぼり切った手前のドアから、若い男性の気配がする。
「康博くん!」
さすがに開けることはためらわれたので、何度もドアをノックする。
「あの……いつきちゃん?」
後ろから、おばさんがおそるおそるといった感じで声をかけてくる。怪訝そうな表情が、こちらを見ている。
(しまった)
あの「助けて」という声は、実際に発せられていない。康博の心の声だ。
いつきがフィルターをはずしたままだったから、受信してしまったのだ。
ドアが細く開く。
隙間から、目が見えた。前髪に覆われた、うつろな目。
「何?」
それでも、ドアを開けて声を発してくれるということは、まったく心を閉ざしているわけではないようだ。
「あ、その、ごめんなさい。空耳だったみたい」
康博と、おばさんを交互に見る。
「助けて、って聞こえた気がして」
ドアが、大きな音をたててバタンと閉まった。
「僕じゃないよ!」
部屋の中から、物を投げる音が聞こえる。
「ご、ごめんなさい。私の聞き間違いだったの。失礼なことを言ってしまって」
おろおろするいつきに、おばさんが暗い表情で言った。
「いいのよ、気にしないで。……まだお仕事あるんでしょ。うちはもういいから」
促されて、再び玄関へと向かう。早く帰って欲しいという雰囲気が、棘のように刺さる。
深々と頭を下げてもう一度詫び、いつきは西園家を辞した。
自転車を押しながら歩いて振り返ると、家全体に黒い靄がおおい被さっていた。
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