第一章

第2話 #092

「……ということがあったんで、穂積教本院のTwitterフォロワーを探したんだけどさ」


 いつきは神社の社務所のノートパソコンを、大学から帰ってきた妹のすずに向けた。


「ホントにいたのよ。『アヤナ@この世なんて大嫌い』、ちゃん」


 アイコンは、自撮りした写真の鼻から下をスタンプで隠したもの。トップ画像は、血のついた大鎌を両手に持ったピンクのウサギのイラストで、足元には血塗れの黒ウサギが倒れている。


「この世なんて大嫌い、てアカウント名にしちゃうところが、そこはかとなく中二病だよね」


 鈴が苦笑しながら、隣の椅子に腰掛ける。


「鈴ちゃんだって中二の頃は、政治家は汚いだの教育機関は欺瞞だらけだの、自分はこの世の裏の顔に気づいているんだアピールしてたじゃない」


「ちょ、お姉ちゃん! 人の黒歴史を蒸し返さないでよ」


「誰だって黒歴史はあるし、はしかみたいなものなんだから、若い頃にちゃんとやっとかないと、後でこじらせちゃうでしょ。だから、中二病まっただ中の人のことを嘲笑するのはかわいそうだって言いたいのよ、私は」


 へいへい、とおざなりに返事をして、鈴がパソコンを操作する。


「ツイートは学校や家族の愚痴が多いね。鍵かけなくて平気なのかな。バレたくはないけど自分のことを理解してもらえる人に出会いたい、って感じかねぇ」


「たぶんね。……で、このハッシュタグが気になるんだけど。過去のツイートにもちょいちょいついてるやつ」


『今日から心を入れ替えて、本気でチャレンジします。 #092』


「何をチャレンジするんだろ?」


 鈴がハッシュタグをクリックすると、同じハッシュタグがついているツイートの一覧が表示された。

 

『今日からサラダだけ。醜い肉をそぎ落とすみそぎだ。 #092』

 

『四時二十分起きも慣れてきた #092』

 

『早朝散歩。近くの踏切まで。まだ始発電車も走ってないよー。#092』


『薦められたホラー映画を観る。食欲なくなった…… #092』


「ダイエット企画かなんかかな? 早起きして散歩して、ホラー映画観て食欲なくして、ご飯はサラダのみ。えらく偏ってるねー」


「ちょ、これヤバくない?」と言って鈴が写真を拡大する。


 女性と思われる細い左腕の内側に、「#092」と象った切り傷がある。赤い線にできた血だまりが生々しい。肌をカッターで切ったのだろう。


 写真に添えられたハッシュタグは#092。


「違反報告ものじゃん! あ、まだ時間が経ってないから消されてないのかな」


 この#092とは何なのだろう。


 みんなで何かにチャレンジしている報告のようだけれど、この写真一枚で、よくないものだということはわかる。幽世かくりよに興味を持ったり、この世が嫌いだったり。


「この企画の親玉って誰なんだろう。お姉ちゃん、アヤナちゃんに誰かと間違えられたって言ってたよね」


 そうだ。なんだか洗剤みたいな名前の横文字。確か。


「パイドパイパー」


「……ハーメルンの笛吹男か」


 それなら知っている。ドイツの伝承だ。


 ハーメルンの町にネズミが大繁殖した。

 ある日男が、報酬をくれるならネズミを退治すると持ちかけてきた。報酬の約束を取り付けた男が笛を吹くと、ネズミが集まってくる。男はそのままネズミを引き連れて歩いていき、川に飛び込ませて溺死させた。


 しかし、町の人々は約束を破って報酬を払わなかった。

 男が笛を吹きながら通りを歩くと、百三十人の町の子供たちが次々とついて行き、二度と戻ってこなかったという。


 アヤナのフォロワーを表示させ、鈴が目当てのアカウントを探す。


「あった! パイドパイパー」


 アイコンは、笛を吹く男のシルエット。

 トップ画像は、おそらく文献に残っているハーメルンの笛吹男の絵だ。赤黄白緑の縞柄の服を着た笛吹き男の、ピエロ然とした様子が禍々しい。


『パイドパイパー @Pied_Piper 

 フォロー538 フォロワー452

 とかくこの世は生きにくい。

 あなたが少しでもスッキリするなら、

 愚痴を聞きますよ。

 幽世かくりよの大神を祀る神官。

 千引石ちびきのいわを越える勇気のある方は

 DMください。』


「こんな怪しい人に、神官を名乗って欲しくないよねー」


 鈴がポインタで、パイドパイパーのアイコンをぐるぐる指さす。


「神職とか神主って書かないところを見ると、同業者じゃないね。官吏じゃないから神官なんて言い方、本業の人ならしないもん。この人も中二病かな。前世でアトランティスの神官だった、とかいう手合いの」


「お姉ちゃんこそ、中二病に厳しいね。自分だって、怪しいオカルト雑誌を毎月読んでたくせに」


 それは、と言い訳しようとして、いつきは口をつぐんだ。


 いつきは、普通の人には見えないものが見える。

 後ろを向いていても、誰がいるのか「気」を読むだけで判断できるし、いわゆる幽霊や妖怪なども視覚情報として感じ取れる。


 でもそれは、隠しておかなければならない。

 他人に知られれば「頭がおかしい人」「電波系」などと揶揄されてしまう。


 とはいえ、一人だけで見える苦労を抱えるのもつらい。愚痴だって言いたいし、同じ悩みを持つ人がいるとわかるだけでも心が安らぐだろう。


 そう思ってオカルト雑誌やインターネットの掲示板などに手を出したけれど、本当に見えているとおぼしき人は、いなかった。

 今ならわかる。本物は、そういうところには出てこないのだ。


「とにかく。勝手に幽世かくりよの大神様の神官を名乗らないで欲しいのよ。大国主大神様は、全国の神社でお祀りされている、神格の高い神様なんだから」


「それは言えてるよね。どうせ神社どころか家に神棚もなさそうだし。……ところで、『千引石ちびきのいわを越える勇気のある方は』、ってどういうことだろう」


 千引石ちびきのいわとは、イザナギイザナミ神話などに出てくる、現世あらわよ幽世かくりよ、つまりこの世とあの世を隔てる境界の大岩だ。


 妻を亡くしたイザナギ神は、あの世へ訪ねていく。しかしそこで見たのは蛆がわいて醜くなったイザナミの姿。恐れおののいて逃げるイザナギを、妻が追う。


 彼は、この世とあの世の境界を、千人の力でようやく動く大岩でふさぎ、妻に離別の言葉を告げる。


「素直に解釈すれば、あの世へ通じる境界を越える……『死ぬ勇気があれば』、ってことだろうね」

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