神無月の笛吹き男
芦原瑞祥
プロローグ
第1話 幽世の大神を祀る神社にて
もう、きりがないったら!
風が吹くたびに葉が落ちる桜の木を見上げながら、
白作務衣の袖をめくって腕時計を見る。もう一時間は掃除をしている。
神様のいらっしゃるところは、常に清浄にしなければならない。
管長――神主である父からも、神職資格を取るために通った
大学を卒業し、正階の資格を得て神職となり一年半、掃除は欠かしたことがないし、大事な役目だとわかっている。
けれども、掃くそばから降ってくる落ち葉を見ると、うらめしい気持ちでいっぱいになる。
いつきが奉職する穂積教本院は、奈良県にある単立の小さな神社だ。神道式の葬祭や法事を専門に行っている。
管長の父と新米女性神主のいつき、大学生の妹・
「ああ、そうだ、Twitterに書き込まないと」
参拝者が増えるようにと妹から神社のTwitterアカウントを任されているが、飽きられないよう毎日ネタを探すのも大変だ。
(今日は、この落ち葉の写真を撮って「参道を常に清浄に保つのも神主の大事なお仕事!」とつぶやいて……いやいや、「落ち葉で焼き芋」の方が親近感が湧くかな)
落ち葉の写真を撮っていると、背後に人の気配がした。
いつきは神経を研ぎ澄ませ、心の目で探りを入れてみる。
(高校生、女の子。髪型はミディアムボブ、目が大きく、色白で華奢な体型……ってとこかな)
振り向くと、予想通りの外見をした若い子がいた。
いつきには、普通の人には見えないものを「見る」力があるのだ。
「こんにちは」
いつきが声をかけると、パーカーのフードの下から上目遣いに会釈をされた。
「お参りですか?」
訊ねてみたが、反応がない。
しかし、波動がもじもじと揺れているので、何事か話しかけたいようだ。とりあえず、水を向けてみる。
「穂積神社では、
少女が顔をあげた。その唇がわずかに動く。
「かくりよ」
意を決したかのように、彼女が声を発する。
「あの!」
少女がパーカーのフードを取った。黒髪と、大きな黒い瞳が印象的だ。
「あなたがパイドパイパーなのですか?」
聞き取れなくて、いつきは「えっと、パイ……?」と問い返してしまう。
「はい、Twitterで」
(Twitter? 穂積教本院のアカウントのことを言っているのかしら)
「男性だと思っていたんですが、女性だったんですね」
やはり、穂積教本院のTwitterアカウントのことのようだ。
女性神職は、全体の一~二割。まだまだ珍しいし、巫女と間違われることも多い。
「はい。最近は女性神職も多いのですよ。巫女は緋袴ですが、神主は女性でも、階級に応じて
そうですか、とつぶやく少女は、少し残念そうだった。
もしかすると、若くて端整な顔立ちの男性を想像していたのかもしれない。
そんなイケメン神主がいたらこっちが会ってみたいんだけど、と大学の神道学科のむくつけき男性同期たちを思いだして、いつきは苦笑した。
顔に浮かんだ失望の色をごまかすように、少女が首を振る。
「あ、女性だってことは秘密にしておきますから。パイドパイパーだってことも」
「あの、そのパイドなんとかって……」
「わかってます、わかってます。公にはしちゃいけないんですよね。誰にも言いません」
妙に吹っ切れた表情をした少女が、神社の方を向いて言う。
「お参りさせていただいてよろしいでしょうか。
もちろんです、とほうきを塀に立てかけ、少女を案内する。
鳥居をくぐるときに立ち止まって一礼すると、少女もそれにならった。
手水舎の作法は説明しなくても知っているようで、左手右手、口をすすいで左手、と正しく手水を使っている。
社の前まで進み出ると、少女は賽銭箱に五百円玉を入れ、二礼四拍手一礼した。
通常の作法は二礼二拍手一礼。四拍手を打つのは出雲大社独特の作法だ。
出雲大社の御祭神・大国主大神は、この穂積教本院の御祭神である
指摘するのも野暮かしら、と迷っていると、少女が小声で唱え出した。
「
長い間、まぶたを閉じて手を合わせていた少女が、ようやく目を開く。
「
(まだ高校生くらいなのに、死後の世界を統べる神様の元へいけるよう、だなんて)
諦観を浮かべた笑みに、いつきは薄寒いものを感じた。
「あなたまだ高校生でしょ?
「でも、この世は予行演習で、
確かに、教義ではそのように教えている。が、それはあくまで方便だ。現世をおざなりにしていい理由にはならない。
「練習ではずっとできなかったことが本番ではうまくいく、ということは稀だし、ましてや練習してこなかったことが本番だけうまくいくことなんてあり得ません。だから、予行演習や練習のときも、全力で生きることが大事なのではないでしょうか」
いつきの言葉に、少女が怪訝な顔をする。
「じゃあ、
彼女の希望をつぶさないよう、いつきは返す言葉を選ぶ。
「それは、おそらく、……努力が無駄にならないために」
努力してだめだった場合でも、次があると思えば落胆も少ない。
「なるほど、ワンチャンってことですか」
若者言葉で表現されると奇妙な感じだ。
「でも」と少女が続ける。
「どっちかというと、シェルターであって欲しかったな。どうしても無理だってときに逃げ込める場所」
うわずって早口になるしゃべり方、上目遣いにこちらを窺う態度。彼女は人付き合いが苦手なのだろう。それ故に何か悩んでいるのかもしれない。
「もしかして、あなた、逃げ込める場所が欲し……」
「そうか! それでなんですね!」
ため込んでいるであろう悩みを聞き出そうとした言葉は、早々にさえぎられた。
「努力なくして
わかったって何を、と質問とも独り言とも取れる調子でいつきが口にすると、彼女はすっきりした笑顔で言った。
「#092の課題のことですよ」
まったく話が噛み合っていない。彼女は何と勘違いしているのだろう。
「大丈夫です。もうわかりましたから。あたし、ちゃんと課題をクリアしてみせます! やっぱりお参りしに来てよかった!」
戸惑っているいつきにはお構いなしに、少女が腰を九十度に折ってお辞儀をする。
「ホントにありがとうございました! 見ててください、あたし、ちゃんとやり遂げますから」
あがったテンションのまま走り去ろうとする少女の背中に、黒い靄がかかっているような気がして、いつきは彼女を呼び止めた。
「待って! ……名前……あ、アカウント名を訊いてもいいかな、Twitterの」
立ち止まった彼女が、声を張り上げて答える。
「アヤナです! アヤナ@この世なんて大嫌い」
手を振って軽やかに帰って行くアヤナの後ろ姿を、いつきは呆然と見送った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます