第42話 対峙

 いつきは五人の背中を軽く叩いて、「ほらほら、帰るよ」と促す。

 階段の手前まで戻ったあたりで、非常扉から海上プロムナードのスタッフらしき中年男性が現れた。


「こら! あんたら、そこは立ち入り禁止だぞ。危ないから早くあがりなさい」

 全員で顔を見合わせる。


「はあい、すみません!」

 鈴が九十度に腰を折って謝り、階段を駆け上がる。

「みんな、早く早く」


 つられて康博が後に続く。

 戸惑っているゴスロリ女子の背中をいつきが押すと、「まあ、雨も降ったし……」とパニエの裾を気にしながら階段をのぼった。他の子達もそれにならう。


 うつむいたまま通り過ぎようとするマ太郎の肩を、中嶋が両手でつかむ。

「よかった。心配したんだぞ!」


 マ太郎は「ごめんなさい」と小さく言った後、「でも先生、毎朝僕の姿を確認してたって、ストーカーじゃん」と笑った。


「こいつ、さっさとのぼれ!」

 後ろから追い上げるように、中嶋が階段をのぼる。


「じゃあ、あたしたちお詫び担当ね。謝ってくるわ」

 よし子が、「なんで俺が」とぶつぶつ言う安達を引っ張ってあがっていく。


 通路に放っていた管狐くだぎつねを、由良が呼び戻す。

 あの五人が突発的に飛び降りようとしたら、管を取り憑かせて動きを封じるため、待機させてくれていたのだ。


「で、いつき。あれはどうする」


 由良の視線の先には、半紙の面をつけた者がいた。油断した隙に、あと五メートルほどのところまで迫っている。


「あれってやっぱり、『お迎え』だよね」


 硬い表情で由良がうなずく。いつきは腹を決めた。


「私が連れて行く。由良はあの子たちのケアをお願い」


「わかった。無茶はするな。危なくなったら呼んでくれ」


 由良が道をあける。目をそらせた隙に、面の者はすぐそこまで来ていた。


 ゆっくりと階段をのぼる。面の者は由良を無視して、いつきについて来た。できるだけ他の人から離さなければ。


 いつきは残りの階段を駆け上がると、後のことは同期たちに任せて、一気に出口を目指した。展望フロアを抜けて第一遊歩道へ入り、他に誰も居ないのを確認してエレベーターに飛び乗る。


 面の者も閉まる扉をすり抜けて入ってきた。入り口の両脇に微動だにせず立っており、まだ何か仕掛けてくる様子はない。


(あれにつかまったら死ぬ)


 反対側の壁にできるだけへばりつきながら、いつきは息を殺して早く一階に着くことを祈った。


 到着を告げるチャイムが鳴り、扉が開く。

 いつきは面の者の間をすり抜け、全速力で走った。受付の女性が不思議そうな顔で、袴をひるがえしながら走るいつきを見送る。


 外に出て、雨の中へ飛び出す。そして、パイドパイパーの気を探った。あの男を何とかしなければ、また同じことが繰り返されてしまう。


 以前、パイドパイパーの気の塊を植え付けられた。

 由良に取ってもらったが、思い出すたびに気は復活する。そして、他人の気が体内にあると、その本人を求めて気の塊がうずき、引き合おうとする。


(それならば!)


 パイドパイパーに初めて遭遇したときのことを克明に思い出す。

 人を人とも思っていないような態度。重ねられた唇のやわらかな感触。穏やかなふりをしてこちらを支配しようとする狡猾さ。


(あの男が、憎い)


 ファーストキスだったのに。

 特に好きな人もいなかったが、いつきにだってそれなりに夢や希望はあった。それを無理矢理。


 自分にも、自分の描いていた未来にも、価値を認めず踏みにじった。そればかりか、アヤナちゃんを自殺に追いやった。あの男が殺したようなものだ。


 あの男のことを考えれば考えるほど、はらわたが煮えくりかえり、そのどす黒い塊がうずく。本体を求めて、自分の中の黒い塊がパイドパイパーの居場所を伝える。


(こっちか)


 胃の腑の痛みに導かれるように、いつきは階段状の岸壁を走った。雨のせいで、朝に見かけた釣り人たちもいない。

 そんな中、岸壁のいちばん端に人影が見えた。白い肌、栗色の髪。


 パイドパイパーだ。


(殺してやりたい)


 反射的にいつきはそう思った。あの男を探すためにわざと増幅させた気の塊が、どす黒く肥大して、呑み込まれそうだった。

 背後に、面の者たちがぴたりとついて来るのを感じる。


「パイドパイパー!」


 雨に打たれながら、いつきは全力で走った。傘をさし、三脚に固定したカメラをいじっていた男が、こちらを向く。

 ここからはちょうど、あの作業用通路が見える。彼らが飛び降りる瞬間を撮影しようとしていたのか。


「この!」


 パイドパイパーはにやにやしながら、まだカメラをいじっている。透明な傘をカメラにかけて彼がこちらに歩いてきたところへ、いつきは飛びかかった。

 そのまま海に突き落としてやりたかったが、鉄柵が彼の背中に引っかかる。


「おやおや、神主さん。どうやら彼らの飛び降りは阻止したようですね。せっかく一ヶ月以上かけて仕込んだのに」


「黙れ! 何が幽世かくりよの神官よ! 言ってることは継ぎ接ぎの知識を都合がいいように組み合わせただけで、嘘ばっかりじゃない」


 つかんだ胸ぐらに、体重をかける。パイドパイパーは小馬鹿にしたようにハンズアップの姿勢を取った。


「まあまあ。そんな嘘でもすがりたい人はいるんだから、いいじゃないの」

「いいもんですか! アヤナちゃんがどんな気持ちで……」


 怒りをぶつけようとした矢先、パイドパイパーに抱きすくめられた。両手を背中に回され、息苦しいほど身体が密着する。

 いつきの耳元で、パイドパイパーがささやく。


「無防備で無力な神主さんだね。ああ、僕にこうして欲しかったから、隙を見せていたのかな? ……こうなったら、せめて君くらい僕を楽しませてよ」

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