第41話 交換条件

 すうっと冷気に撫でられたような気がした。明らかに空気が変わる。


 何かが来る。


 いつきは、六人のその向こう、作業用通路の先が、真っ黒な闇に覆われているのに気づいた。


 闇の中から、人影が現れる。通路の両端に一人ずつ。


 鈍色にびいろの衣冠と袴、浅沓を履き、顔には白い半紙を面のようにつけている。

 母が亡くなったときに見た、あの者たち。


 由良が大祓詞おおはらえのことばを唱える声にいっそう力を込めた。つられて残りの三人も声量をあげて唱和する。


 しかし、白い半紙の者たちは、「だるまさんが転んだ」でもするかのように、いつきたちが気を抜いた拍子にこちらへ忍び寄ってきて、にらみつけると歩みを止めた。


 あれが来たからには、誰かが幽世かくりよへ行かなければならない。

 じっくり説得する猶予はない。一気にあの五人を生の方へ引き戻さなければ。


 いつきは、頭上を走る車の音にも、由良たちの大祓詞おおはらえのことばにも負けないくらい大声で言った。


「自分たちは平凡以下で無価値だから死んでしまいたい。じゃあ、特別な何かを持っていたら価値があるってことよね? 生きてもいいって思えるのよね」


 由良に教わったこと――気には種類がある。木火土金水もつかどこんすいのような。ここは海の上だから、水の気が濃い。子供だましのような手だが、目くらましにはなるかもしれない。


「もし、あなたたちが特別な力を持っていると証明できたら、考え直して」

 ゴスロリの子が、戸惑ったように後ろを向いて他の四人を見る。


「たとえば……あなたたちが雨を降らせることができたら、死ぬのはやめるって約束してくれる?」


 五人が、海と橋の隙間から空を見る。白い雲は浮かんでいるが、黒い雨雲は見当たらず、雨の気配はない。


「なにそれ。そんな力を持ってたら、とっくに超能力者として活躍してるし」

 ゴスロリの子が眉根を寄せる。


「あなたたちは潜在的にそういう力がある。だからパイドパイパーも目をつけたんでしょうね。訓練が必要ではあるけど、五人で協力すれば、今ここで雨を降らせることくらいはできる」


「馬鹿にしてるでしょ。雨を降らせるとか、そんな大昔の雨乞いみたいな非科学的なこと」

幽世かくりよがあると信じるのは、非科学的じゃないの?」


 いつきは、できるだけ無邪気に問いかけた。ゴスロリの子が、気まずそうに目をそらす。


 彼女たちにとっての幽世かくりよは、具体的な場所ではなく、この世界から逃れるための「概念」なのかもしれない。


「頭で考えて答えが出ないときは、とりあえずやってみるといいのよ。試してみて、もし雨が降ったら、それは神様が『今死ぬのはやめておきなさい』って仰ってる証拠なのよ、きっと」


 五人が顔を見合わせる。

 しかし、ゴスロリの子以外はかたくなに声を出さない。けれども、たぶん全員迷っているのだ。気が揺らいでいるのがわかる。


「あなたたちは十分『特別』よ。その証拠を見せるから、少しだけ私の言うとおりにしてみない?」


 全員が窺うような目で、誰かが決断してくれるのを待っている。

 口火を切ったのはマ太郎だった。


「あの……やってみようよ」


 声を出したということは、彼の気持ちはかなり生きる方に傾いている。

 が、他の子たちは、声を出したくないのか反論する気がないのか、誰も何も言わなかった。すかさず、了承の印と解釈して、いつきは声をかけた。


「じゃあ、五人で輪になって。……康博くんはこっちに」


 手を離された康博が、恐る恐る五人から離れ、小走りでこちらに来る。いつきに会釈をし、そのまま後ろへ回る。

 鈴が安堵の溜め息を漏らすのが聞こえた。とりあえず、康博の安全は確保できた。


「まず、足下、海の方に水の気があるのを感じて。みんな菜食ばかりで感覚が鋭敏になってるから、わかるはずよ。ちょっと湿った、重い空気があるのを」


 五人が目を閉じたり半眼になったりして、神経を集中させている。半信半疑ながらも真剣に取り組んでくれているのがわかる。


「そう、その空気よ。合ってるから不安にならないで。……じゃあそれを、ゆっくりと引っ張り上げるところを想像して。大丈夫、今なら具体的に観想したことが現実に反映されるから。そう、ゆっくり、ゆっくり。重いけど五人なら持ち上げられる」


 通路の向こうにいる半紙をつけた二人を気にしながら、いつきは催眠術でもかけるようにゆっくりと五人に話しかける。


「もうみんなと同じ高さまで上がったよ。あと少し。もっと上へ、上へ。……今、車道に出た。もっと。橋のてっぺんまで来たよ。ほら、下に海が見える。船が通ったところに白い泡が立っていくよ。……もっと上へ。車がミニカーみたいだね。あ、淡路島が見えてきた」


 五人は額に汗すらかいている。

 いつきの後ろで、由良たちが水の気を支えているのを感じる。彼らの集中力が切れたときに備えて、こっそり協力してくれているのだ。

 とはいえ、この分だと五人の力だけでも目的は達成できるだろう。


 雨のにおいがしてきた。もう少しだ。


「雲の高さまで届いた。さあ、水の気を天に放り投げるよ! いち、にの」


 さん、と言うと同時に、シャワーの栓をひねったかのように雨が降り出した。


「うそ」

「ほんとに降ってる」

「やった!」


 五人が振り向いて海の方を見ながら、口々に声をあげる。

 もう「声を捧げる」指示は無効化されたようだ。


 彼らを覆っていた黒い靄は、雨が降った驚きと達成感で消し飛び、雨粒によって流れていった。


 全員、満面の笑みを浮かべている。もともと持っていた生命力が、自然と体表まで引き上げられている。雨を降らせることができたのだから、大抵のことはできるんじゃないか。そんな万能感すら育ちつつある。


「浄化の雨だね」

 五人に聞こえるように、いつきはつぶやいた。


「心の中のもやもやが、きれいに消し飛んだでしょ」

 笑顔を急に崩すわけにもいかないのか、彼らが気まずそうな顔をする。左右に雨が降るのを横目で見ながら、いつきは努めて明るく言った。


「とりあえず、上にあがろうか」


 五人に遠慮なく近づいていく。「そうするのが当然」という態度で押し切られると、案外人は従ってしまうものなのだ。ためらいを見せてはいけない。


「ほらほら、約束したでしょ?」

 いつきは彼らの横をすり抜け、通路向こうにいる幽世の使者から五人を隠すように立った。


「雨降らせることができるなんて、すごいよ! 神主でもできる人は少ないんだから。きっと、他にもいろんなことができるよ。君たち」


 一人ひとりの顔を見て、いつきはほほえんだ。

 はにかんだような、しょうがないなとでも言いたげな表情が返ってくる。


「さ、帰ろうか」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る