第14話 洗脳ほどき

 助けてください、と叫んだ康博の目は真剣で、いつきのことを心の底から頼りたがっているように見えた。


「僕、本当に死にたかったわけじゃないんです。擬死再生っていうか、一回死んだつもりになれば、生まれ変わって頑張れるんじゃないかって……」


 震える声で、康博が話し始める。


「でも、思ったよりガチな企画で、指示に従わないと延々メッセージが来て通知が鳴り続けるし、脅されるし。……正直、もう抜けたかった」


 視線を落としてうなだれたまま、彼はさらに続けた。


「腕にカッターで#092って彫れって指示が来たとき、切るのをためらったら、そんなこともできないから社会に適合できずにニートになったんだ、って。切った血文字の画像を送るまで、いかに僕が価値のないダメ人間かを言葉の限り罵られて。こんなに無価値な人間なら、もう死にたい、死んで幽世かくりよでやり直したいって本気で思うようになって……」


 康博が、机の上にぱたぱたと涙をこぼす。


「死にたくないのに、死ぬしか方法が見つからないんです」


「画伯……」

 鈴が康博に近づき、遠慮がちに背中をさする。


 いつきはできるだけゆっくりと、落ち着いた声で話しかけた。


「康博くんは頭がいいから気づいてると思うけど、パイドパイパーのやってることは、マインドコントロールの一種なのね。相手の価値観を破壊して、そこに自分にとって都合のいい価値観を植え付ける。だから、奴の言うことを真に受けちゃだめ。単なるマニュアル通りの破壊工作で、康博くんが無価値な人間ってわけじゃないから」


「でも……あいつの言う通りなんです! 僕はダメ人間なんです。生きてる価値ないんです!」


 靄は取り除いたはずなのに、思考が堂々巡りして感情的になっている。

 睡眠時間を削られて、思考力が鈍っているのだろう。


「そんなことないよ。康博くん、県内でいちばんレベルの高い公立高校出て、大学も受かって、すごいじゃない。一度つまずいたくらい、すぐ取り戻せるよ」


「僕だって、頑張れば大抵のことは可能だって思ってました!」


 絞り出すような叫びだった。


「でも実際は、人間関係がうまくいかないだけで大学に行けなくなるほどの軟弱者だったんです。ちょっとした誤解で、女子からはキモいだのストーカーだの言われて、男子からは嘲笑されて、どこにも居場所がなくなった。濡れ衣なのに、そんなはずはないって誰も言ってくれなかった」


 康博が訴えるように言う。


「母が『つらいなら無理しなくていい』って言うのに甘えて、ずっと引きこもって、ゲームばっかりして、そのくせご飯は三食食べて。そんな自分が嫌なのに、やっぱり大学には行けなくてイライラして、母に当たり散らしてしまう。父は、僕なんて存在していないみたいに、完全無視です。いっそ『学校に行くまで帰ってくるな』って放り出してくれればいいのに、なんて都合のいいことも考えて」


 早口でまくしたてる声が、震えている。


「ほらね、最低の人間なんですよ、僕は。死んだ方がましなんです」


 眼鏡を取って、康博が袖で涙をぬぐう。


「そんなことないよ」


 鈴が、スクラムを組むように、康博の肩をがっしりとつかむ。


「画伯、あたしがパイドパイパーに何かされたんじゃないかと思って、飛んで来てくれたじゃない。画伯はやさしいよ。いい奴だよ。何があったか詳しく知らないけど、あたしは画伯の味方だよ!」


 鈴が肩を揺すると、康博がかたくなに顔を隠しながら「うぅ」とうめく。


「それに、画伯の絵、好きだよ。学祭のTシャツ、好評だったじゃん。こっそりpixiv見たけどさ、いっぱい『いいね』ついてたし、ファンっぽい子も何人かいるし。……作品で他人の心を動かせるって、すごいことだよ! 他人をコントロールすることで自意識を満足させてるパイドパイパーなんかより、よっぽどえらいし価値があるよ」


 腕で顔を覆ったままの康博の息づかいが、荒くなったのち、だんだんと静かになっていく。


 落ち着いた頃を見計らって、いつきは声をかけた。


「ねえ、康博くん。今日は泊まっていかない?」


 鳩が豆鉄砲を食ったような、という表現がぴったりするほど、康博はぽかんとして、それから急に慌てだした。


「いやその、僕は三十歳まで清い体でいて魔法使いになるのが夢というか、パンツに穴が、じゃなくて」


「画伯テンパりすぎだって。お姉ちゃんもいきなり何言ってるのよ」


 そういう鈴も、結構動揺しているのが見て取れる。

 いつきは二人を落ち着かせるように言った。


「いやいや、変な意味じゃないって。ほら、神殿ならパイドパイパーの霊力も影響を及ぼせないから、康博くんも安心できるかなって思っただけ」


 あ、と康博がつぶやいて、顔を赤くする。


「どうかな、康博くん。社務所の応接室に一人で寝てもらうことになるけど。おばさんには言っておくから」


 今度は鈴を見る。

「ねえ、メッセージに対して自動で返信できるシステムって、作れないかな。数時間だけでもそのシステムにつないでおけば、睡眠時間を確保できるんだけど」


「たぶん、できると思う。ちょい作ってみるわ。……画伯、大丈夫だから安心して」


 鈴がなだめるように肩を叩くと、康博は急に立ち上がった。


「ごめ、ちょっとトイレ」


 小走りで部屋を出て行く。きっと我に返って照れくさいのだろう。


 しばらくして戻ってきた康博は、顔を洗ったのか前髪が濡れていた。


「今日、こちらに泊めてもらっていいですか。母には自分で話します。……で、僕は何を協力すればいいでしょうか」

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