第44話 守り給え幸え給え

「真榊! 無事か!」


 背後からの声に驚いて、いつきは振り向いた。

 警察官の森だ。パイドパイパーを逮捕できるよう、協力してもらっていたのだ。


 森を先頭に、警察官らしき人が走ってくる。由良やよし子、中嶋と安達もいる。


 パイドパイパーは、カメラと三脚を小脇に抱え、足早に立ち去ろうとしていた。

 二人の警察官がそれを阻む。


 森が駆け寄って、いつきの顔をのぞき込む。

「大丈夫か! ……その首……指の跡が……」


 いつきは反射的に首へ手をやった。

 首を絞められて意識が途切れそうになったときのことを思いだし、今さらながら身がすくむ。


「任意ですか? じゃあ応じる義務はないですね」


 パイドパイパーの声がした。

 二人の警察官に両脇を挟まれながら、ふてぶてしい態度を取っている。


 いつきが彼の中に植え付けた気の塊は、もう取り除かれてしまったようだ。他人の痛みや恐怖を味わわせることができたのは、ほんの一瞬だったとは。

 残念だが、あとは警察に委ねよう。


 しかし、森の表情が暗い。逮捕状はまだ取れていないらしい。それならば。


「現行犯逮捕です! この人に首を絞められました」


 いつきは声を張り上げ、顎をあげて首の指跡が見えるようにした。


「現行犯逮捕ってのは、犯行直後でないといけないんですよ? 僕が絞めた証拠は? この人の自作自演かもしれない」


 パイドパイパーは、なおもはぐらかそうとする。


 いつきはつかつかと歩いていき、パイドパイパーと警察官の前で、白衣の袖からボイスレコーダーを取り出した。プロムナードに入る前から録音しておいたのだ。


 操作して、少し前の部分から再生する。

 鉄柵にぶつかる音や、いつきのうめき声に重なって、パイドパイパーの声がスピーカーからする。


「ああ、その表情が『恐怖』っていうのかな。僕にはわからない感情だけど、きれいな顔がゆがんで、目が裏返ったみたいになって、口も魚みたいにぱくぱくさせてて、最高に情けないよ! 興奮するなぁ。……死ぬ瞬間の顔を見せてよ」


 停止ボタンを押すと、いつきはパイドパイパーの右手首をつかんだ。


「暴行の現行犯です。彼が持っているカメラにも、録画されているはずです」


 つかんだ腕を、警察官へと突き出す。


「犯人を引き渡します。別件の方もよろしくお願いします」


 警察官がうなずいて、あとを引き継ぐ。

 腕をがっしりとつかまれても、パイドパイパーは反抗しなかった。

「署まで来てもらおうか」と移動をうながされると、「黙秘権がありますんで。あ、弁護士呼んでください」と言いながらも、自分の足で歩いて行った。


 後ろで待機していた由良たちの側を通り過ぎたあたりで、パイドパイパーが歩きながら振り返る。


「また遊ぼうね、真榊いつきさん」


 整った顔立ちの男が、やさしげにほほえむ。

 Skypeで話したときに感じた、芯のないからっぽの心を思い出して、いつきはぞっとした。


 パイドパイパーの姿が見えなくなると、いつきは派手にくしゃみをした。雨に濡れたまま十一月の寒空にいるのだ。


「コインロッカーに戻って、着替えを取ってこよう。とりあえず、これ」

 由良が、紙袋に入れておいた黒羽織を肩にかけてくれる。よし子がタオルハンカチを貸してくれた。


「ありがと。……もう、森くん、遅いよ」

 顔を拭きながら恨み言をつぶやく。

 今になって体が震え、涙が出てくる。が、雨に濡れたせいにして、いつきはごまかした。


「せめて、今向かってるって教えてくれよ。ヒヤヒヤしたぞ」

 安達の嫌味も、今は心底同感できる。


「すまん。公務中だし、警察官は本当はSNSをしちゃいけないから返信できなかった。……間に合ったから勘弁してくれよ。発信者情報開示請求だのなんだの大変で」


 森は言葉を切って、いつきに向き直った。

「いや、いちばん大変なのは真榊だったな。もっと早く力になれなくて、すまない」

「ううん、ギリギリ間に合わせてくれて、ありがとう」


 森が言いにくそうに、いつきたちを見る。

「その、大変だったところ申し訳ないんだが。事情聴取があるから、一緒に来てもらえないだろうか。あの子たちも、警察が保護している。これから事情を聴く予定だ」


 そういえば鈴がいない。

 きょろきょろしていると、「鈴ちゃんは康博くんに付き添って一緒に行ったよ」と由良が教えてくれた。


「私もマ太郎――正木が心配だ。行こう」

 中嶋が促し、みんながそれに従って歩き出す。


 ふと呼ばれた気がして、いつきは振り向いた。

 巨大な明石海峡大橋が、海の向こうへと続いている。海――常世とこよ――幽世かくりよ


 あちら側へ行ってしまったアヤナのことを思う。

 せめて後の世の平安を祈りたい。いつきは海の彼方に向かって、幽冥神語ゆうめいしんごを唱えた。


幽世かくりよの大神、憐れみ給い恵み給え」


 すめらぎ學院大学神道科の同期たちも立ち止まって一列に並び、背筋をただす。そして厳かに、幽冥神語ゆうめいしんごの続きを唱えた。


幸魂奇魂さきみたまくしみたま、守り給えさきわえ給え」

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