第17話 アヤナとの再会

 翌朝、大和川沿いの遊歩道で、いつきはアヤナを待った。鈴と康博も一緒だ。


 警戒されずに話しかけられるよう、いくつか小芝居も考えていたが、結局正面から話しかけることに決めた。向こうはいつきの顔を知っているし、メッセージも読んでいるのだから、小細工はしない方がいいだろう。


 午前四時半の空は暗く、懐中電灯が必要だ。

 三人でおのおのライトを照らして待機していたが、橋の上を移動してくる小さな光を持った人影を見つけると、一斉にライトを消して息をひそめた。


 橋を渡り終えた人影が、T字路を曲がってこちらに来る。

 身長は百六十センチくらいで、体つきは華奢な方。


 いつきは、第三の目のフィルターをはずした。このところ、由良から教わった訓練を続けているので、感度はあがっている。


 以前、穂積教本院に来た女子高生と、波長が一致した。アヤナだ。


 指先が冷たくなったのは、寒さのせいだけではない。緊張で口の中が渇く。


 彼女を驚かせないよう、小声で鈴に話しかけて自分たちがここにいることをアピールする。


 人影は、一瞬歩くペースを遅くしたが、そのまま歩き続けた。警戒はしているが、あからさまに立ち去るのも意識しているみたいで気まずい、といったところか。


 仏教伝来の石碑の前で言葉をかわすいつきたち三人の前に、人影がさしかかる。パーカーのフードを深くかぶっているので、薄明かりでも顔は見えにくい。


「アヤナちゃん」


 いつきが声をかけると、彼女は弾かれたようにこちらを向いた。

 フードがわずかに後ろに揺れ、見開いた大きな目が見える。


「驚かせてごめん。この前会った、穂積教本院の神主です。DMを送った、真榊いつき」


 あ、と小さな声を出し、アヤナが会釈する。


「心配だから、あなたのこと探してたの。……まだ#092の企画に参加しているんだよね」


 アヤナからの反応はない。しかし、立ち去ることもなく、じっとしている。


「毎日四時間ちょっとしか寝てなくて、つらいでしょ。陰鬱な音楽を聴いたり、ホラー映画を観たり、野菜しか食べられなかったり」


 アヤナに動揺の色が見られた。が、この程度の情報はツイッターを見ていれば推測できる。いつきはさらに続けた。


「腕にカッターで傷をつけたり、始発電車が近づいてくる音を線路に耳をつけて聞いたり。……そんなこと、する必要ないんだよ。自分がしたくないことは、嫌って言っていいの」


 アヤナが後ずさる。なぜ知っているのだ、という疑念が滲み出ている。


「あ、あの、僕、昨日レスつけた者なんですけど」


 そう言って康博が、袖をめくって懐中電灯で左腕を照らす。

 そこには、#092とカッターで切った痕が残っていた。

 瘡蓋のまわりはまだ赤く盛り上がっていて、線が平行に入っている部分は特に治りが遅い。


「あ……それ……」

 アヤナが康博に近づき、まじまじと傷を見る。


「僕、なかなか切る勇気がなくて、パイドパイパーさんにこれでもかってくらい叱責されて。そんなだからダメなんだ、生きてる価値ないって。でも、それは相手を心理的に支配する常套句だから、聞く必要ないってこちらの神主さんに言ってもらえて、それで……」


「あたしは、ためらわなかったけど」

 康博の言葉をさえぎって、アヤナがパーカーの袖をめくる。


 白く細い左腕に、大きな#092の傷があった。

 まだ瘡蓋になりきっておらず、ミミズ腫れのようになっているのが痛々しい。


「全然、怖くなんかないし。むしろ、痛みとか、赤い血が流れるのを見たときとか、生きてるって感じる」


 そういうアヤナは少し得意げだった。

 同じ課題をためらった康博に対する優越感だろうか。


 もともとパイドパイパーがTwitterへの書き込みを推奨しているのは、参加者の競争意識をあおって、よりハイリスクな課題に向かわせるためだろう。


「すごいね。アヤナちゃんは勇気があるんだね」


 いきなりパイドパイパーを否定しては、心の扉を閉められてしまう。

 いつきは慎重に言葉を選んだ。


「アヤナちゃん、もし違ったらごめん。……本当は、#092のゲームから抜けたいんじゃないの?」


 彼女の気が揺らいだ。動揺しているのだ。


「死にたいんじゃなくて、死にたいほどつらいから逃げたい、ってことだよね。どこかに一足飛びに行けるシェルターがあるなら、すがりつきたい。でも、それは『死にたい』とはちょっと違うと思うの」


 アヤナが、右手で左腕の#092の傷をさする。


幽世かくりよって、実際に見たことある人は、この世にはいないわけだよね。まだ死んでないんだから。あのパイドパイパーも」


 フードの下から、うつむき加減のアヤナが反論する。


「パイドパイパーさんは、迷える人々を一人でも多く救い出そうとしているだけです。自分がしんがりになって、みんなを見届けてから幽世かくりよにおもむくって」


 あれが自殺も辞さない人間の雰囲気だろうか。他人を支配し、思い通りに動かすことで、自分の力を確認し誇示する、そこにしか興味がない雰囲気。


「そうかしら。仮に百歩譲ってそうだとしても、幽世かくりよがいい世界とは限らない。もしかしたら、ここより悪いかも」


 ふと、母が死んだときに現れた、半紙で顔を隠した者たちを思い出す。あれはおそらく、死の国からの使者だ。


「そんなはずない! だって、この世は予行演習で、幽世かくりよが本番だってパイドパイパーさんが言ってたもん。煩わしい悩みや人間関係はなくなるって」


 アヤナが感情的になっている。いつきは努めて冷静に言った。


「パイドパイパーは、幽世かくりよのことをどんなところだって言ってたの?」


 アヤナが口ごもる。


「極楽浄土とか、ケルト神話の喜びの島マグメルとか、そんな感じ?」

 助け舟を出してみる。


「ううん、人間にはまだ理解できない世界だって……あちらに行って幽体にならないと、感じ取れない。でも、ただそこにいるだけで多幸感に包まれる世界だって」


 ある特殊な人か状況でないと理解できない世界を目指す、というのはかなり胡散臭い。それが真実かどうか、誰にも確認できないからだ。


「じゃあ、満たされた心のまま、死んだ人はずっとそこにいるってことか。古代からずっと。……もう満員御礼じゃないかな、幽世かくりよ


 できる限りとぼけた調子で、いつきは続けた。


「別の宗教の人は、別のところへ行くのかな。でもそれって不公平だよね。宗教を知らない人だっているんだし」

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